俺様の美技に酔いな 67

 岡村玲子に、リョーマは別れを言って合宿所へ向かう。玲子おばあさんは孫に会いに行くらしい。
(幸せだね。親父――)
 越前南次郎は、きっと、岡村玲子のような無名のファンによって支えられてきた。
 そんな話をすることもないが、越前家には、今でも南次郎へのファンレターが来る。その中には、小学生くらいの子供からのも、少なくない。
 人は、一人では生きていけない――そんなことを改めて体感した。
 リョーマは何故、父が住職になったのか、おぼろげながらわかったような気がした。それは簡単に言葉には出来ない。
 俺も、なれるかな。観ている人が元気になれるテニスプレイヤー。そんな、存在に――。
 リョーマは真っ直ぐ前を向いた。この道は未来に続いている。リョーマは大きく息を吸った。自然の匂いがした。森の匂い、風の匂い、霧の匂い――。霧のせいで何があるのかはあまりはっきりと見えないけれど。
 この道は、自分の目標へと続いている。困難も来るなら来い。どんと受け止めてやる。
「よし、頑張るぞ」
 リョーマは自分自身に向かってそう言った。

 リョーマが初めてファンレターをもらったのは、確か、関東大会の辺りであった。ラブレターは朋香やクラスの女子からもらったことがあるけれど――。
 彼女達には、あわよくばリョーマの彼女に――という望みがある。閑話休題。
 そのファンレターは、言葉は丁寧だけど、無邪気とも取れる憧れがあった。かなりの年配の方だったらしいのだが――因みに男性である。全文を掲載しよう。
『越前リョーマ様へ

 前略

 初めまして。私は高校で教職をとらせて頂いている者です。名を沢村ヨシュアと言います。こんな名前ですが、日本育ちです。アメリカで生まれたので、こんな名前をつけられました。
 私は、この間、あなたのテニスを観戦する機会をもらって、観客席から久々のテニスを楽しんでいました。が、しかし――。
 あなたのプレイを見て鳥肌が立ちました。鳥肌が立つと言う言葉は、日本ではいい意味では使われませんが、素晴らしいものを見ると、肌が粟立つものです。
 華麗で豪胆な常識を上回るステップ。私は思わず惹きつけられました。
 あんな小さな体でよくもああ暴れ回ることと感心しました。私はあなたの技に思わず見惚れてしまいました。
 世界的に有名なサムライ越前南次郎の息子と知って納得しました。
 偉大なお父様を持って幸せですね。リョーマさんもお父様にテニスを習ったのでしょうか。
 青は藍より出でて藍より青し。そんな諺が浮かびました。リョーマさんはきっと、お父様を超えられるでしょうね。
 陰ながら応援しています。いつか、あなたは子供達のヒーローになることでしょう。
 返事はいりません。ただ、密かにあなたのご活躍を応援している者がここにいることを知ってもらえると嬉しいです。
 これでも、国語の教師ですが、運動はテニスが一番好きです。
 これからのご活躍とご健闘を祈っています。

 草々』

 この手紙を読んだ時、リョーマは思わず顔が綻んだ。
(俺も、あれをやってたんだ――無意識のうちに)
『俺様の美技に酔いな』
 リョーマは跡部の美技を初めて見た時、その美技に酔った。
 しかも、沢村とは、アメリカ生まれの日本人というところまで同じなのだ。沢村はそのことは書いていなかったのだが、リョーマと片仮名で書かれた名で知っただろう。何せ、これだけの経験と教養の持ち主とわかる手紙を書いてきたのだから。いや、日本にも片仮名の名前の人はいることはいるが。
 リョーマは、返事を書こうとして、でも、書けなくて、そのまま忘れてしまった。
 その手紙は、今も大切に机の中に保管してある。
 国語の教師と書いてあった。『八百屋お七』を知っているだろうか。
 それにしても、ヨシュアとは――クリスチャンででもあるのだろうか。本人がクリスチャンでなくとも、例えば親が。
 いくつぐらいの人なのかな――とリョーマは思った。五十代と見当はつけてみたのだが。
(――ここにも、俺を支えてくれる人がいる)
 そして、リョーマが活躍する度に、応援してくれる人が増えてくるだろう。勿論、敵も増えていくだろう。
 だが、敵は蹴散らすのみ。
 ――南次郎から教わったプレイスタイルだ。そして、リョーマは負けん気だけは南次郎を上回っていた。そして、同じく負けず嫌いの集団に出会った。
 青学のメンバーである。
 皆、負けず嫌いだった。それが嬉しかった。荒井先輩も全力でぶつかって来てくれた。――荒井先輩は、レギュラーではないのだが。
 負けず嫌いと言えば、桃城武と海堂薫が双璧であろう。二人が同じ二年生というのも面白い。
 だから、二人はお互いに、時には反発し合い、時には力を合わせながら、技を磨いていった。あの二人は面白い。見ていて飽きない。――リョーマは少し彼らが羨ましかった。
(でも、堀尾達も実力をつけて来ている)
 竜崎スミレから時々スミス家に電話が来た。人の家の電話で、しかも海外通話なので、長く話すことは出来なかったが。ケビンもスミレを気に入っていて、
「あのバアさんから電話、まだ来ないか?」
 と、よく気にしていた。ケビンの方がリョーマよりスミレに打ち解けているような感じである。
 ケビンにはスミレと桜乃が映った写真も見せた。リョーマはスミレを見せたつもりであったのだが、
「なぁ、この長いおさげの子、お前の彼女か? 彼女だろ? チビなところも似ているし」
 と、興奮しながら訊いて来た。チビはアンタも一緒だろ?――と、リョーマも返してやったが。
 そういえば、竜崎に何も言わずに出てきてしまったなぁ――リョーマは思う。跡部とはこれから会うつもりでいるが。
 手塚国光に、
『お前は青学の柱になれ』
 と、言われたリョーマである。だが、もう青学には戻れないかもしれない。何となく、そんな予感がした。
(手塚部長、済みません。俺、青学の柱になれないかもしれない)
 けれど、手塚ならわかってくれるだろう。手塚もこのU-17合宿に選ばれているのだから。
 U-17合宿。メンバーは高校生が主だが、今年から実力のあると目された中学生も選抜されることになったのだ。
(ま、俺が選ばれない訳ないよね)
 リョーマはそう自負している。口だけでは終わらせないつもりだ。堀尾と違って――いや、堀尾も案外馬鹿にならないかもしれない。口を動かすエネルギーを練習に使えば、だが。
(あ、そうだ。あれを忘れていた)
 リョーマはぴたりと立ち止まる。
(堀尾に持ってくるよう言っとこ。あいつの鍛錬にもなるしね)
 そう独り決めしたリョーマは、スマホを取り出して指をタッチパネルの上に走らせる。
「これで良しっと」
 ――送信。
「待ってるよ。堀尾」
 そう言ったリョーマの顔は満足そうであった。そして、こうも思う。
(これからの青学の柱の役割――アンタに託すよ。……俺には敵わないけどね)
 堀尾がリョーマの考えを読めたら、俺だって負けねぇもんな!と怒るかもしれない。下積みをずっとやってきた根性は伊達ではないだろう。カツオもカチローもそうだ。
(俺は、運も良かったからな――レギュラーになれたのは、俺の力だけではない)
 いろんな人に支えてもらってリョーマは青学のレギュラーになれたのだ。トリコロールと呼ばれる三色のジャージを一年生のうちに着ることが出来たのだ。
 今度は、お前の時代だよ、堀尾。でも、負けないけどね。俺は、もっともっと上に行くから。
 リョーマはここにいない堀尾に対して語りかけた。――心の奥底で。
「あ、返信来てら」
 ヴヴヴ……と、スマホが鳴る。メールが来ていた。堀尾からだ。件名なしで、『了解♪』とだけ本文が現れていた。音符印が彼らしい。
 リョーマは思わずクスッと笑った。
「途中でへばらないといいけどね――」
 そう言って木の枝を拾うと、林の白樺を鳴らした。鼻歌を歌いながら。

「あ、ここか――」
 テニスコート。厳重そうな警備。立派な建物。
(何か――牢獄みたいじゃん)
 リョーマはぶるっと体を震わせた。だが、ここで怖気づいては何も出来ない。ここで強い高校生と戦うのだ。
(まぁ、そんなのいないかもしれないけどね――)
 でも、一応選抜に選ばれたのだから、自分より強い存在がいても不思議ではない。
「いいじゃん。わくわくして来たよ――どっからでもかかって来やがれ」
 と、リョーマは英語で言った。怖気づいた自分を奮い正す為に呟いたのだが、案外、それが本心であることもわかった。負けず嫌いの自分に感謝――だ。
「Get drunk on my finest moves.(俺様の美技に酔いな)」
 そう呟いて、リョーマはにやりと笑った。
「さぁてと。かつてのライバルの仕上がりはどんなかな」
 リョーマはわざと『かつての』に力を入れた。跡部も成長したであろう。どれだけ力をつけたのか。――髪はどれだけ伸びたのか。目の前には、高く険しい山が聳えていた。

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2021.05.04

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