俺様の美技に酔いな 62

「よぉ、遅かったな、悪ガキ」
 南次郎がをモクを吸いながら出迎えてくれた。――しかし、正直言ってやに臭い。嫌煙権を発動したいくらいだ。――まぁ、生臭坊主の南次郎も嫌いではないのだが。やな親父、と毒づいたことなら、何度か、ある。
「ただいま」
「今までどこにしけ込んでたよ。え?」
「――友達と会っただけだよ」
「友達ぃ? 女か? あ、もしかして竜崎んとこの嬢ちゃん!」
「――違うよ」
「もしかして、お前が好きな……男?」
「俺、もう着替えて寝る」
「えっ、そんな……親に対して冷てぇじゃねぇか! ――あ、母さん、母さんも知りたいよな? リョーマがどこに行って何をして来たのか」
「リョーマにも思うところがあるんだろうと言ったのはあなたですよ」
「うっ……それはそうだが、しかし……好奇心には勝てなくてな――」
「好奇心は猫をも殺す、と言う諺、知らないの?」
 ――不二に習った諺だ。猫は九つの命を持っている。そんな猫でも、好奇心のままに首を突っ込んでいると、命がいくつあっても足りないという意味である。
「リョーマ、父さんは母さんがしっかり教育してあげますから、あなたは部屋へ行きなさい。――それにしても、リョーマもそんな諺よく知ってるわねぇ……」
「部活の先輩に習った」
「まぁ、いい先輩じゃないの。――そうやって日本の言葉についていろいろ触れる機会があるのは、母さんとしては嬉しいわ。リョーマは帰国子女だものね」
「不二先輩って言うんだ。現国だけじゃなく、古典にも詳しいよ」
「あの美形の兄ちゃんか――お前の好きな男ってーのは」
「違うよ」
 リョーマは即答した。
「何です、あなた。男の子だって、優れた男の先輩に憧れることぐらいあるでしょう」
 倫子が言った時、リョーマの脳裏に跡部の顔がちらついた。
「だから、違うって――それにあの人、俺に試合で負けたし……」
 そう。俺は跡部さんに勝った。でも、何でだろう。この胸の疼きは――。
(跡部さんは、俺の人生の先輩でもあるんだ――)
 跡部がリョーマより二年長く生きてきたのは伊達じゃない。リョーマのことなんて放っておいても良かったのに、跡部はわざわざ軽井沢まで来た。
(敵わない。人間としては、あの人には――)
 そういえば、この頃、リョーマは跡部のことを『サル山の大将』と言わなくなった。あの人は、本当にすごいんだから――。氷帝学園の、二百人の部員を束ねる部長でもあるし。せめて、テニスでは俺が勝たないと振り向いてもらえない。
(でも、テニスでだったら絶対負けない――)
「あの人?」
 母も首を傾げた。
 しまった! 跡部さんのことが頭に浮かんだから、つい舌が滑って――。
「いいわ。母さんは父さんのように問い詰めたりしないから」
「だから、問い詰めてねぇよ、母さん――」
 南次郎が困った顔をしながらぽりぽりと頭を掻いた。リョーマは跡部もあんな髪型にしてしまった。跡部はかつらで隠しているけれど。
(跡部さんは、親父よりいい男に育つね)
 リョーマは心の中で呟いた。勿論、南次郎もいい男であるが――。ゴシップ好きなのは悪い癖だと思う。しかも、実の息子の恋愛事情まで知りたがるなんて――。南次郎には大人しく週刊誌でも読んでいてもらいたい。
「じゃあね、母さん、お休み」
 リョーマはわざと南次郎を省いた。菜々子はこの場にはいない。
「おう、お休み」
 南次郎は気にせずに声をかけた。鉄面皮なのか、天然なのか――それとも、どっちもだろうか。いずれにせよ、一筋縄ではいかない。桃城よりもくせものかもしれない。年を取って更に食えない男になって来ている。
(まぁ、親父のことも嫌いじゃないけど)
 朝になったらおはようぐらい言ってやろう。扉を閉めて、階段を昇る。そして、部屋へ行く。何となく気になって、スマホを見る。
 ――あ、竜崎からだ。
 メールには、クラスのよしなしごとが書かれてある。嬉しいけれど、何と返事をしたらいいかわからない。面倒なので放っておく。堀尾からも来ていた。『越前元気か?』とか、『俺もテニス頑張ってる』とか、そんな類の文だ。
 LINEには、一応打っておくか。
『――今日、日本に帰ってきたよ』
 LINEには、様々なコメントが流れて来た。――また後でじっくり読もう。
「ほあら~」
 部屋の外からカルピンの鳴き声がする。リョーマはドアを開けた。
「入る? カルピン」
 カルピンは「ほあ」と一声短く鳴くと、堂々と部屋に入って行った。そして、ベッドの上に乗ってまた一声、「ほあ」と鳴いた。
 ――カルピン、寂しかったかな。
 そう思ったリョーマは、そんなこともないかと打ち消した。南次郎は何だかんだ言ってカルピンを構っているし、母倫子も優しい。菜々子だってカルピンが好きだ。
 でも、リョーマはカルピンがいなくてちょっと寂しかった。
 ――懐かしい、自分の部屋。
 倫子が掃除してくれていたのだろうか。とても綺麗に片付いている。埃ひとつない。
(ありがとう。母さん)
 リョーマが心の中で礼を言う。
 ――あ、そうだ。ケビンがカルピンの新しい写真を欲しがってたんだ。
 ケビンはとても動物が好きだ。カルピンの寝ている姿を撮った写真を見せたところ、
(キュート……)
 と、言って、しばらく目を離さなかった。
(ケビン、カルピンは気に入った?)
 リョーマが訊くと、
(うん! うん! ああいう猫欲しいなぁ)
 と、目を輝かせていた。カルピンは大人気だなぁ、とリョーマも笑った。無理もない。カルピンは本当に可愛いのだから。ちょっとふっくらしている体。モフモフすると気持ちがいい。
(また、写真送るよ)
 そう約束したのだ。約束は果たさなければならない。ケビンも喜ぶだろう。そして――もうリョーマのことを薄情と言わなくなるだろう。
 リョーマは再びスマホの電源を入れた。カルピンは気持ち良さそうに寝転んでいる。可愛いな、と飼い主のリョーマでさえ思う。他人はもっとそう思うだろう。カルピンはリョーマの自慢の愛猫であった。
「ほら、カルピン、こっち向いて」
「ほあら~」
 ピピッ。カシャッ。
 リョーマは、写真の腕については自信を持っている。スマホだろうが一眼レフだろうが。今回もカルピンの魅力を最大限に引き出せたと思う。――そして、ケビンに写真を送る。
 ――返信はすぐに来た。
『リョーマ! カルピンの写真サンキュー!』
 後、ワンダフルとかビューティフルとか単語がいっぱい並んでいたが、リョーマとしては苦笑するしかなかった。カルピンが褒められるのはいいことだ。ケビンはこうも書いていた。
『俺も親父に頼んで猫飼おうかな』
 ――と。
「いいんじゃない? 頼んでみれば?」
 リョーマがそんな意味の文を書くと、ケビンからまた返事が来た。
『うん! 親父もあれで猫好きなんだ!』
 そうか――おじさんは猫が好きだったのか。意外だな。けれど、ケビンが猫好きなのだから、信憑性はある。おばさんも喜んで新しい家族を迎え入れてくれるだろう。
『猫が来たら、リョーマにも写真送るぜ』
『楽しみだな』
 ――本当に楽しみであった。リョーマは犬も好きだけれど、猫はもっと好きだからだ。
 今は日本では猫ブームとか言われているらしい。テレビでも可愛い猫がいっぱい見れて、満足らしい――南次郎がいつだったかそう言っていた。
 ま、カルピンには敵わないけどね。
 南次郎もそう思っているらしく、いつか、カルピンの写真をテレビ局に送るとかのたまっていた。飼い主馬鹿と笑わば笑え。猫を飼っている家は多かれ少なかれそんなもんだと、そこら辺に関してはリョーマも南次郎と同意見だった。
 リョーマはスマホの電源を落として、カルピンに構うことにした。
「カルピン――毛皮つやつやだね」
「ほあら~」
 倫子や菜々子辺りが毛皮の手入れをしているのであろうか。南次郎はカルピンを可愛がってはいるが、そういうところには無頓着であるから。
 カルピンはマイペースだが、愛嬌があって気品がある。海堂にカルピンの写真を見せたところ、彼は複雑そうな顔をした。
(この猫――俺がジョギングしている時に見た。――遊んでやろうと思ったが無視された……)
 それを聞いていた桃城が大爆笑した。
(だってさぁ――マムシ怖過ぎなんだもんな~。カルピンも食われるかと警戒したんじゃねぇか?!)
(失礼ですよ。桃先輩……くっ)
 リョーマも笑いを堪えていた。海堂は睨んでいたが、リョーマも桃城も、そんなものは怖くはない。大石が必死でフォローしていたが、それは、リョーマと桃城の物笑いの種にしかならなかった。

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2020.12.11

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