俺様の美技に酔いな 58

 ケビンに見送られて、リョーマはアメリカ発日本行の便に乗った。
(リョーマ。日本に帰っても俺のこと忘れんなよ)
(――忘れないよ)
(どうだかな。お前、薄情そうだもんな――)
 独特の臭気が立ち込めるエコノミークラスの飛行機の中でリョーマはケビンとの会話を思い出していた。空港で一緒に食べたチョコレートパフェは美味しかった。ボリュームも沢山あって。もっと食べていたいところだったけど、時間がないとせかされた。
 また、あのパフェが食べたいな――。ケビンと一緒に。ジェイコブにも教えておくか。
 それにしても、薄情か。心当たりがないここともないので、リョーマはいまいちケビンに腹を立てることは出来なかった。元々腹を立てる質ではなかったが。それだけで、学校ではクールと呼ばれた。
(堀尾、元気かなぁ)
 お調子者のクラスメートだった少年のこともリョーマは思い出す。カツオとカチローも元気だろうか。そして桜乃……。
 桜乃は、学校でのよしなしごとを教えてくれた。堀尾達のことも。
(堀尾達にも世話になったな)
 つい物事を頼みやすい相手が堀尾だった。同じクラスだし。
 ――後で何かで埋め合わせをしてやろう。
 堀尾はあれで、なかなか人がいいから、頼んだらやってくれる。今までのお礼にパフェでもおごってあげよう。――そういえば、跡部はパフェは食べたことあるのだろうか。何だか高くて無駄に豪華なのは食べたことありそうな気がする。
(――って、どうも、思考回路がパフェに傾いてるな)
 リョーマは、自分の頭をこつんと軽く叩いた。それに、何だか大事なことを忘れているような気がする。――何だろう。
(お前、薄情そうだもんな)
 そんなケビンの言葉にいまいち反論出来そうにないリョーマであった。確かに桃城などと違って情に厚い方ではないし、記憶喪失なんてものになったから、記憶も完全には元通りになっていないし――。
 それに、誰か大事な人を忘れているような気がする。誰だっけ――。記憶の底の方に確かに沈んではいるのだが。この頭を掻きむしってやりたいけれど、思い出せないと言うことは、本当はそれ程重要な人物でないのかもしれない、とリョーマは思う。
 やっぱり俺って薄情なのかな……。
(――あ)
 リョーマは窓の外を見た。雲の上からオレンジと青紫の空が広がっている。綺麗だな……。
 やはり、何度見ても飛行機からの眺めは美しい。この空を見るのも、飛行機の旅での楽しみのひとつである。
 エコノミーではなかったらもっと快適だったろうに……。
 けれど、無駄遣いはしたくなかった。それに、単身アメリカに渡った時もエコノミークラスだった。ケビンのところへホームステイ出来たのは、運が良かったというべきか。
(親父、母さん。俺、新しい友達も出来たよ)
 帰って来たら、土産話をしてやろうと、リョーマは鼻歌を歌いながら考えていた。

 久しぶりに日本の土を踏む。何とはない感慨があった。今日は寒い。
(もうちょっと厚着してくれば良かったかな)
 でも、もうすぐ家に着く。温かい家に。家族の待っている家に。
(母さん、菜々子さん、カルピン――元気かな)
 ――父南次郎は無駄に元気であろう。
 駅にタクシーが止まる。リョーマは乗り込んで家の場所を言った。話好きなおじさんらしく、あれこれ訊いてくる。リョーマのことを小学生と思ったらしく、それがリョーマにとっては面白くなかった。
(いいもんね。いつか背が伸びるだろうし)
 そういえば、少しは伸びたような気がする。童顔は少しコンプレックスだけど。話題はテニスのことに移る。運転手は言った。
「おじさんはね、昔はプロになりたかったんだ。――今でもたまに打ってるよ。サムライ南次郎に憧れてねぇ……そういえば、坊や、ちょっと南次郎に似ていないかい?」
「そうっスか……」
 これ以上あれこれつつかれるのも嫌なので、リョーマは余計なことは言わないことにした。
「あの髪型も真似したねぇ。今では出来ないけれどね。ははは……」
 運転手の頭はつるんとしている。リョーマもつい、ぷっと吹き出してしまった。
「あ、笑ったな。坊や。まぁいいか。ハゲなのは仕方ないしな」
「――すみません」
「いいんだいいんだ。坊やは気を使わなくていいんだ――ハゲも味だしな」
 そう言って、運転手は再び笑う。けれど、本当は気にしているのではないだろうか。跡部もリョーマにバリカンで坊主頭にされた後、かつらで隠していた。
(やっぱり頭髪の問題って、大切なんだろうなぁ――)
 でも、リョーマは家に着くまで、二度と頭髪の話題には触れなかった。

 タクシーから降りて、代金を払う。くせでつい、チップを払おうとすると、運転手は、
「気を使わなくていいって」
 と、笑いながら言った。――そうだ。ここは日本だった。リョーマは改めて実感した。
「リョーマさん、お帰りなさい」
 従姉の菜々子が出迎えてくれた。菜々子は相変わらずのロングヘア―だ。少し大人びて来たかもなぁ、と思う。けれど、相変わらず美しい。リョーマはケビンやケビンの父の気持ちがわかるような気がした。
「ただいま。菜々子さん」
「おじ様ー。リョーマさん帰ってきましたよー」
「おー、来たか放蕩息子。道には迷わなかったか?」
「それはないでしょ親父。竜崎じゃあるまいし」
「ん? 桜乃ちゃん、方向音痴なのか?」
「まぁね」
「ふぅん――」
 南次郎は顎を撫でながらにやにやしている。何か言いたそうだ。
「デートの時には案内してやるんだな」
「だから、誰がデートなんか……」
「桜乃ちゃんとデートは嫌か? じゃあ誰とデートしたい?」
「取り敢えず今は寝たい」
 早く、南次郎の追求から逃れたかった。南次郎は恋の話が大好きである。倫子もそうである。菜々子もそういう話は嫌いではないらしい。――樺地に惚れたことをリョーマにこっそり教えてくれたのだから。
「アメリカにもいい女いたろ? でっかいおっぱいの女いっぱいだったろ?」
「――そんなのはいなかったよ」
 サリーは控えめな胸の持ち主だった。ケビンの母は胸以外のところも大き過ぎて――。
「何? アメリカに行って巨乳に会わないなんて、お前人生損してるぞ! お前の目は節穴だろ、そうだろ!」
「あなた」
 母が台所から現れた。
「あ、母さん。――父さんが煩くて……」
「わかってるわ。ここまで響いてきたもの。災難だったわね。リョーマ」
「ま、待て……母さん……リョーマもお年頃だからなぁ……こうなったらリョーマに巨乳美女の集まるエリアを教えとくべきだったなぁ……」
「リョーマはまだ中学一年生よ。そんな破廉恥なエリア、教えないで欲しいものだわ」
「母さん……」
 確かにリョーマはまだ中一だ。けれど、体は一人前の男だし、恋だってしている。
(跡部さん……)
 ――例えそれが淡い初恋であったとしても。相手が男だったとしても。それに、桜乃のことも憎からず思っている。
 桜乃はどんくさいけれど、そういうところは可愛いと思う。彼女が受難体質なのは認めるけれど、それだって彼女が悪い訳じゃない。リョーマはふぅ、と息を吐いた。自分の恋する相手は、どうしてこう個性的というか、変わった人ばかりなんだろう。
「ほあら~」
 鳴きながらカルピンがやって来た。
「カルピン!」
 リョーマはカルピンを抱きしめてモフモフした。カルピンの毛皮は気持ちいい。南次郎が、
「カルピンは俺よりリョーマに懐いているんだよなぁ」
 と、独り言ちていたが、当たり前である。猫はご飯をくれる人間と遊んでくれる人間に懐く。ご飯は倫子がやっているから、リョーマは遊び担当。よく一緒に眠ったりもした。
 ――南次郎にもそれなりに懐いているようだが。
「俺、部屋で寝てくる。カルピンと一緒に」
「そうね。カルピンとは久々に会ったんだもんね。ねぇ、カルピン。リョーマさんとまた会えて嬉しいでしょう」
 菜々子の笑顔の質問に、カルピンは「ほあら~」と鳴いた。
「菜々子さん、カルピンは人の言葉がわかるんだよ」
「ええ。知ってるわ」
「ちっ、そんな訳ねぇだろうが……」
 南次郎が舌打ちしながら言った。カルピンは「ほあら~」と、南次郎の方に顔を向けて、今度は威嚇するように鳴く。
「あらあら。カルピンはおかんむりね。おじ様があんなこと言うから……」
「俺のせい?!」
「うん。親父のせい。――よしよし。カルピン」
 俺の味方は存在しねぇのかよ……仮にも一家の主だぜ――南次郎はそう言って泣き真似をする。倫子はそんな南次郎を放っておいて、お風呂、沸かしておくわね、とリョーマに言った。
 熱めに頼むよ。リョーマがそう注文した。熱湯が好きなのは、南次郎に似たのであろう。

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2020.09.07

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