俺様の美技に酔いな 57

 リョーマは電話を切った。
「おばさん、電話貸してくれてどうもありがとう」
「いえいえ」
 ケビンの母は洗い物を終えたらしく、エプロンの裾で手を拭っていた。
「ちょっと無駄話したんで――電話代少し負担しましょうか?」
「いいのよ、そんなこと。あのね」
 ケビンの母はリョーマにひたと目を据えた。
「遠慮せずにまた来ていいのよ。私を本当の母親だと思って。私もリョーマのこと、本当の息子だと思っているから」
「はぁ……」
 ありがちな台詞だとは思った。――けれど、そんなありがちな台詞で感動している自分も少しどうかしている、とリョーマは思った。スミス家は第二の我が家だ。そして、いつでも心の中にある、第二の故郷。
「これ、持って行ってね」
 それは美味しそうな匂いのするクッキーと、お金。
「く、クッキーはともかく、お金なんて持っていけません!」
 リョーマが焦っていると、傍にいたケビンがくっくっと笑った。
「いいから受け取っとけよ。リョーマ。遠慮しねぇでさぁ……。お袋はアンタの世話を焼くのが好きなんだ」
「はぁ、じゃ、いただきます。――ありがとうございます」
 結局リョーマは受け取った。ケビンの母はリョーマの頬にキスをした。
「ここはあなたの家でもあるのよ。いつでも帰ってきてね」
「はい!」
 リョーマはケビンの母の目を見つめて、きっぱりと返事をする。――ここが第二の我が家だと思ったこと、おばさんにも伝わったのかな。リョーマはこそばゆい思いに駆られた。ケビンが嬉しそうに微笑んでいた。
「リョーマ、またテニスしような」
「そうだね!」
「俺も、今度来る時は今までよりずっと強くなってるからな」
 強くなったケビンと対戦する。楽しみだな、とリョーマは思った。
「俺も、沢山練習して、ケビンと戦いたい」
「待ってるからな」
 リョーマとケビンはがしっと腕を交互に組み合わせた。ケビンの母が慈しむような目で息子とその友達を見ていた。ケビンの母は、ケビンのことも愛しているから――。それがはっきりとリョーマにもわかる。
「あらあら。ケビンとリョーマ、すっかり仲良くなって」
「仲いいって言っても、ぬるま湯的環境じゃねぇんだぜ。良きライバルって感じだろ? な?」
 ケビンがリョーマに問いかける。
「俺もそう思う」
 このアメリカの武者修行で自分も随分成長したとリョーマは認めることが出来る。少なくとも、人の好意を素直に受け取ることが出来るようになった。それはとても大事なことだと思う。人は一人では生きていけないのだから。
(――あ、スマホで実家に電話をすれば良かった)
 リョーマは今思いついた。けれど、下手に遠慮するのは、スミス家の人達に対してはかえって失礼に当たると思ったから――。
「ケビン、おばさん、今までいろいろありがとう」
「ええ――」
 ケビンの母はリョーマを抱きしめた。もうすっかり太ってしまったケビンの母。だが、写真で見た若いスレンダーな金髪美女は、母性豊かなある意味理想の良き母親になっていた。
「母さん――お、リョーマ。別れのハグかい?」
 ケビンの父親が新聞を携えたままパイプをくわえてやって来た。
「はい。リョーマ、父さんにもハグしてあげてくれる?」
「勿論」
「おお、これはこれは」
 リョーマはパイプを口から外して息子に渡したケビンの父ともハグをする。――煙草の匂いがした。ケビンはにやにやしながら言った。
「俺はやんねぇよ」
「わかってるって。アンタと俺はライバル同士だもんね。俺も慣れ合うつもりはないよ」
「俺にとっては嬉しい言葉だな、リョーマ。――まぁ、またお袋や親父に会いに来てやってくれ」
「アンタは?」
「お前とは今度は世界の大舞台で会うよ」
「ケビン。アンタ、リョーマとは一緒に寝たんでしょ?」
 とケビンの母。
「一緒の部屋に寝たってだけだよ。好きなヤツいるかって訊いたらはぐらかされちまった」
「どうせ、アンタも白状しなかったんでしょ? ――まぁ、ケビン、アンタはまだ恋してる人、いないみたいだけどねぇ。人気ありそうなのに――誰かいい娘はいないの? 母さんは心配よ」
「――うーん、俺が人気あるっていうのは当然だけどねぇ……俺、結構かっこいいじゃん」
 ケビンがさらっと言う。
「でも、俺はテニスが恋人だな。今は」
「そうか――父さんもそういう時期があったよ。でも、俺のファンだった母さんと出会って――結婚した」
「親父は面食いじゃなかったんだね」
「何それ、ケビン――どういう意味よ」
 詰め寄るケビンの母に、ケビンの父が笑った。
「まぁ、母さんだって若い頃はこんな太ってはいなかったんだしさ。でも、太った母さんだって俺は好きだよ」
「あなた……」
 あ、何かデジャブ。リョーマはごしごしと目を擦った。
「行こうぜ。リョーマ」
「うん……」
「父さんも変わったな――昔はもっと厳しかったんだけど」
「そうは見えないけど?」
「父さんが俺に厳しかったのは、おめぇの父親のせいだよ! 馬鹿! ――まぁ、リョーマの親父さんから送られてきたビデオ観て、アンタのプレイに魅せられたようだけど」
「――そうなの?」
「あの後、俺さ、親父に呼ばれて――『俺はお前に厳しく当たり過ぎたかもしれん』て、ぽつん、と。親父には俺もいろいろ思うところもあったけど、それで俺達は和平協定結んだ訳」
 意外だ。
 ケビンの父が声を荒げたのも怒ったのも、リョーマは見たことがなかった。
(あの優しくて、威厳のあるおじさんがねぇ――)
「俺はな、リョーマ。アンタに勝てるように親父にしごかれたんだ。まぁ、それは悪いことばかりでもなかったけど。ジェイコブやボビーやテッドより、俺が一番テニス上手くなったんだから――」
 確かに、ジェイコブはリョーマだけでなく、ケビンにも心酔していたように思える。
「お前のプレイには人を変える力があるよ。誰か、お前のおかげで変えられたヤツらなんて、いなかったか?」
 ああ――いたかもしれない。真田、田仁志、日吉、伊武、不二裕太、季楽、亜久津……桃城だって昔はライバルだった。そして――。
(跡部さん……)
 跡部が一番変わったかもしれない。それとも、元々いい人だったのか――。彼がいなかったら、幸村に勝つことも……青学が全国大会で優勝することもなかったかもしれない。
(跡部さん……みんな……ありがとう……)
「どうした? リョーマ。にやついて」
 ケビンが小首を傾げる。リョーマはへへっ、と笑った。
「何でもないよ」
 あの頃のことは――とてもいい思い出。でも、単なる思い出にしない為にも、リョーマは頑張る。ケビンとのラリーも勉強になった。アメリカのテニスというのも勉強になった。今までもアメリカJr.大会で優勝をかっさらったりしていたけれど――。
 でも、対戦相手は友達じゃなかった。今は、こんなに友達がいる。あまり頻繁に連絡取り合ったりとかはしないけれど――。
 友達の作り方は教わったような気がする。ケビンとも日本の友達について話し合った。時には笑い合うことも――。
「ケビン」
「ん?」
 ケビンが小さく笑っている。ケビンは肩までの金髪で、声変わりもしていないから、よく女の子に間違われる。その度にケビンは怒っていたが、同様の経験をリョーマもしていた為、気持ちはよくわかった。
「俺、荷物運んで来るから」
「忘れ物に気をつけな」
 ケビンに向かって、リョーマは頷いた。
 ここともしばらくお別れか――。
 跡部さん……会いたいな……。アメリカでの生活もそりゃ楽しかったけど……。
 ――その時、スマホが鳴った。せっかく荷物まとめたのに、何だろ。取り出しやすいところには入れたけど……。
(竜崎……)
 自分の顔が綻んでいくのがわかる。
『リョーマくん、元気だった? アメリカから帰って来るっておばあちゃんから聞いたけど。朋ちゃんも楽しみにしてるって』
 朋ちゃん……小坂田か。ちょっと煩いところもあるけど、明るくていい子だ。
 ま、今回は一応返信しとくか。
『俺は元気。日本に帰ったら宜しく』

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2020.08.25

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