俺様の美技に酔いな 56

「はいはい。話すのもいいけど、早く食べないと飛行機に乗り遅れてしまうわよ。リョーマ」
 ケビンの母が言った。
「やべっ!」
 リョーマは卵豆腐を口にした。どこか懐かしくもある味、匂い――。菜々子の作る卵豆腐に勝るとも劣らない。話し込みながらあっという間につるんと胃の中に入ってしまった。
(もっと食べたいなぁ)
 リョーマが思っていると、ケビンが言った。
「リョーマ、これ、やるよ」
 それはケビンの分の卵豆腐だった。リョーマは飛びつきたいのを我慢して訊いた。
「いいの?」
「――ああ。当分アメリカには来れないだろ。卵豆腐は日本で食えるけど。俺は……またお袋に作ってもらうよ」
「ありがとう」
 リョーマはほわんとした気持ちになった。ケビンが照れたように笑う。
「お……お前のそういう顔、初めて見たな」
「とてもキュートね」
 ジェシカも笑った。ロブも「ワン!」と嬉しそうに吠えた。多分、皆が幸せそうなのが嬉しいのだろう。気立てのいい犬である。
「あ、そろそろ行かなきゃ。じゃね。リョーマ、ケビン」
 ジェシカはロブと共に去って行った。彼女達のおかげで有意義な時間を過ごすことが出来た。今度はジェシカの名前をちゃんと覚えておくことにしよう。――リョーマは心の中でそう誓った。あまり人の名前を覚えるのが得意ではないリョーマだったが、(遠山よりはマシかな――)と、思っている。
 あの遠山金太郎と来たらいつも人のことを『コシマエ』って呼ぶんだから。俺は『エチゼン』だっての。
 ――リョーマは心の中でぶつぶつ文句を言う。しかし、ケビンがくれた卵豆腐のおかげでそう沈まずにいられた。
「荷物はまとめたかい? リョーマ」
 ケビンの父が優しく訊く。南次郎も悪い父親ではないが、この人ぐらいの威厳があったらなぁ、と思う。
「勿論っス」
「もう一度点検しておいた方がいいんじゃねぇか?」
 リョーマは、ケビン、案外心配性だなとは思ったが、確かに一理ある。でも――。
「その前に実家に電話だよ」
「ああ、そうだったな」
「ちょっと――国際電話だからなるべく早く終わらすね」
「気ぃ使わなくていいのに――菜々子さんに宜しくな」
「ケビン、菜々子さん好きなの?」
「ああ。写真で見せてくれたじゃん。なかなかお淑やかそうな――大和撫子っつーの? ああいう女の人、タイプだな、俺。如何にも日本女性って感じでよ。着物着たら似合うんじゃないか?」
 リョーマは、ケビンの開けっぴろげさが羨ましかった。
「――菜々子さんの和装姿を撮った写真が実家のパソコンにあるから後で送るよ」
「済まねぇな」
 ケビンはほんのり頬を赤くしながら嬉しそうに笑った。アメリカ人て、日本好きだよなぁ。――ケビンが特別そうなだけか? でも異国情緒とかそういうのは好きそうだよな。
「リョーマ君、リョーマ君」
 ケビンの父がリョーマを呼ぶようにジェスチャーをした。
「はい?」
 やって来たリョーマにケビンの父が耳打ちした。
「おじさんにもその写真送ってくれないか?」
 ――前言撤回。ケビンの父も南次郎の同類であるらしい。男なんてそんなもんだ――南次郎なら言うかもしれない。いくつになっても男は――である。
(後でおばさんにチクってやろうかな)
 でも、ケビンの父にも世話になったのだ。菜々子の写真ぐらい、送ってあげてもいいだろう。
(俺だって跡部さんの着物姿見たいしさぁ)
 それはグロテスクと紙一重であろう。だからこそ危うい美しさ。跡部は綺麗だが、立派な男性型の顔立ちをしている。そんな跡部の女装を見てみたい。写真にも撮ってみたい。
 跡部は不二のような中性的な美貌でない。――不二で思い出した。ケビンの家族に青学の先輩達の写真を見せた時の、ケビンの父の、
「おー、青春学園には別嬪さんがいるんだなぁ」
 と、いう台詞が忘れられない。
 不二にも女装してもらって撮影させてくれるよう頼もうか――リョーマは考えたが、少し考えて諦めた。不二は女装と聞いてどんな顔をするか――女に間違われることをあまり快く思ってなさそうなイメージが不二にはある。女装写真を撮ることを成功させたらさせたで、今度はどんな仕返しが待ち受けているのかわからない。
(何で不二先輩は手塚部長のこと好きなんだろう)
 中性的な外見とは裏腹に、不二は剛毅な質である。手塚を好きになった時、自分の性別について少なからず悩んだのではないのだろうか。
 ――跡部に惚れた時のリョーマのように。だから、『八百屋お七』の研究もした。
 このスミス家の人間に『八百屋お七』の話をした時、彼らはちんぷんかんぷんといった表情をした。日本人ってわからないなぁ、とケビンの父も言った。国民性もあるのかもしれない。リョーマは少なからずカルチャーショックだった。
「皿持ってきてくれる? ケビン」
「わかった。――リョーマも手伝ってくれ」
「OK」
 リョーマとケビンは汚れた皿を台所へ運んで行った。そのついでに、リョーマは電話をした。
『おう、悪ガキ』
 ――南次郎の第一声はそれだった。リョーマは口をへの字に曲げた。
「息子に対する挨拶がそれ?」
『――だって、俺達置いて勝手にアメリカに渡っちまうんだもんなぁ。悪ガキで充分だぜ』
「一応許可は取ったけど?」
 リョーマはむすっとして言った。南次郎の恩師でもある竜崎スミレにしてみれば、南次郎、お前も充分悪ガキだよ、と言うところであろうが。
「親父だって昔は随分暴れたらしいじゃん?」
『まぁそれはな――でも、おかげで母さんに会えたんだぜ』
「また惚気?」
『ん? まぁ、そうだ。母さんももう少しおっぱいがでかけりゃ理想どんぴしゃの女性だったのになぁ――』
「だからって洋物のグラビア見たりしていい理由はないけど。それに母さん童顔じゃん。あまり胸があってもアンバランスだと思うよ」
『お前も言うようになったなぁ、リョーマ。そのアンバランスさがいいんじゃねぇか』
「あんまりふざけてると切るよ」
『そっちからかけてきたじゃねぇか』
「――と、そうだ。今日、午前中にアメリカ発つから」
『迎えはいいのか?』
「いらない。それから、ケビンが菜々子さんの写真欲しがってたよ」
『スミス家のガキか。おめぇと同い年だったな。俺も年食う訳だ――しかし、ケビンもいい趣味してやかんなぁ』
「ケビンの想いは残念ながら叶いそうにないけどね」
 リョーマはくすっと笑った。菜々子は逞しく、男らしい男が好きなのだ。茫洋とした大人物の相をしていれば尚良し。イケメンはあまり興味がないらしい。――しかし、これはリョーマと菜々子だけの秘密である。
「リョーマー、何か言ったかー?」
 リョーマの台詞は、ケビンには届かなかったらしい。皿を洗う水の音で掻き消されているのだ。
「何でもない!」
 リョーマは水の音に負けないように少し声を張り上げた。
「ま、東洋の神秘ってヤツに触れたがってるだけだと思うよ。写真送ること、約束したから」
『ふーん、そうか』
 途端に南次郎は興味を失ったようだった。――リョーマは秘密にしておくことが出来なくて、つい言ってしまった。
「スミスのおじさんも、菜々子さんの和服写真に興味津々だったよ」
『おっ。話せるじゃねぇか。あの男も――』
 南次郎は手もなく食いついてきた。
『菜々子ちゃんは美人だからなぁ。スミス家の連中、菜々子ちゃんに見惚れるぜ、きっと。オー、ヤマトナデシコ、とか言ってさ。それで? 話は変わるけど、お前、あの子からは来ないのか? メールとか、手紙とか――』
「あの子?」
『スミレばあさんの孫娘だよ。桜乃ちゃん。竜崎桜乃』
「ああ、竜崎……」
 今度はリョーマが疲れた声を出す番だった。
 手紙は――何通か来る。電話はあまり来ない。国際電話は高いから。たまにメールも来る。LINEも来る。だが――リョーマは桜乃に対してどんなスタンスを取ればいいのかわからない。
 桜乃は美少女だ。ファンクラブが密かに出来てるくらい。スミレと違って大人しく、しかし、実は努力家でもある。でも、好きかどうかとなると――リョーマは少し桜乃に苛立つことがある。好意の裏返し――なんだろうか。
(そういえば、俺は跡部さんにも苛立つことがある)
 でも、二人とも嫌いではなくて――それどころか、むしろ、好きで……。だから、どうしていいかわからなくなる。
(竜崎に対する感情は恋、じゃないよなぁ――)
 だが、南次郎には密かな懊悩を隠して、こう言う。
「たまに手紙やメールとかは来るよ。――LINEも。俺のこと、応援してくれてるみたい」
『あちゃ。メールにLINEと来たか。ケータイは苦手なんだよ。俺』
「親父はガラケーも使えないでしょ。もう用は済んだから切るね」

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2020.08.14

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