俺様の美技に酔いな 54

「ジェイコブ。アンタもリョーマのお別れパーティー参加しない?」
 ケビンが誘った。
「え……いいよ……」
「だーじょうぶだって。この日の為に鶏一匹潰してもらったんだから」
「鶏……」
 ボビー達が正常な判断力を失ったように固まった。
「そういえば、旨そうな匂いがするぜ」
「テッドもボビーも来なよ。サリーも」
「うん。鶏料理は大好きだからね! お邪魔しまーす」
「お、お邪魔します……」
 サリー達の後にジェイコブが遠慮がちに続いた。ケビンやジェイコブのおかげで、リョーマはアメリカ生活をめいっぱい楽しんだ。それに、ジェイコブには意外とテニスの才能があると思っている。ボビーやテッドよりも。
「お袋、ちょっと人数増えたけど構わない?」
「はいはい。食事はいつもより多めに準備したからね」
 リョーマはテニスボールの入ったケースを見遣った。朋香はボールにリョーマの顔を描いていた。結構特徴を捉えていて上手だったのを覚えている。大石より上手いかもしれない。
 慕われるのは鬱陶しい時もあったけど、今はいい思い出だ。朋香ともまた会えるかもしれない。
 日本に帰るのも運命かもしれない。ずっとここに留まっていたい気もするけど、今更この環境を惜しんだところで仕方がない。賽は投げられたのだ。
「ねぇ、リョーマ。あたし達の初対面は最悪だったわよね」
「うん。ボビー達がジェイコブに因縁つけててさ」
「あたしも止めなかったしねぇ」
「本当はジェイコブの方が上手いんだよな。俺達より」
「そんなことないよ……」
 ジェイコブが控えめに頭を掻いたが満更でもなさそうだった。
「お前は何とかいう合宿に行くんだろ? 高校生と混じって」
「うん」
 リョーマは鶏料理に食らいついていた。U-17合宿のことであろう。
「頑張れよ。応援してるからな」
「――ありがと。今まで世話になったね」
「リョーマ、また遊びに来いよ」
「あたし達のこと、忘れないでね」
 リョーマとサリーが握手をした。けれど、彼らの間に恋愛感情はない。ボビーがスマホで写真を撮っていた。
「今はツィッターもLINEもスカイプもあるからな」
「……そうだね」
 しかし、リョーマと跡部は手紙のやり取りを主にしている。自分達は古い人間なんだろうか。けれど、常時繋がっているより、距離感のあった方が気が楽なのは確かだ。跡部も忙しいだろうし。
「うっ……」
 サリーが泣いた。
「ご、ごめん、リョーマ……ちょっと化粧室行ってくる」
 サリーが消えるとボビーが言った。
「あいつ、リョーマには心配かけさせないように、泣くのを堪えてたんだな。――いい女だよな」
「アンタ、サリーのこと好きなの?」
「ああ! 告白したことはないけど、大好きだ!」
 ボビーは力強く言った。だが、こう付け加えた。
「ま、ここだけの内緒にしといてくれ」
「へぇー……」
 ここに来てリョーマも初めて知った真実。恋をするのはいいことだ。
 サリーが戻って来たので、ケビンと二人がかりでボビーの想いを伝えようとしたが、ボビーに牽制されてしまった。
 デザートはクッキーの残りとPonta。クッキーは沢山作り過ぎたらしい。いかなケビンの母でも分量を誤ってしまったのであろうか。
 そうではない。リョーマの好きなチョコチップクッキーをいっぱい食べさせたかったのであろう。流石のリョーマも涙が込み上げて来た。
 倫子も料理が上手だし、菜々子も器用だが、ケビンの母のようなお菓子や料理は作れまい。ケビンの母は言わばアメリカのお袋さんだ。
 ゲームをしている間に時間は過ぎた。ジェイコブやボビー達も帰ってしまった。
「リョーマ、一緒に寝ようぜ」
「うん……」
 リョーマがケビンに頷いた。ケビンはリョーマの部屋で寝ることになった。一緒に寝ると言っても、布団は別。当たり前のことだが。
 最初、ケビンからは一方的に敵意を燃やされていたが、今ではいい友達だ。
「リョーマ……好きなヤツいる?」
「――いない」
「嘘つけ。何だその間は」
 ケビンは無駄に鋭い。リョーマは心の中で舌打ちをしたくなった。ケビンは続ける。
「ボビーだって言ったんだぞ」
「サリー本人には言ってないじゃん」
「いーや。あの顔はもうすぐ告白することに決めた顔だぜ」
「どんな顔だよ、全く……」
「だから、予行演習として俺達に話したのさ」
「――そういうケビンは好きな人いるの?」
「今はテニスが恋人だけど? 親父も昔はそうだったらしいし。テニス馬鹿の血が流れているのかな」
 ――リョーマにもテニス馬鹿……いや、テニス界のサムライの血は流れている。血って不思議だよなぁ、と、リョーマは考える。ただ流れているだけのように見えて、実は多くのものを運び込んでいて。
(俺は、親父の子供で良かったよ)
 いや、玩具だったかな。まぁ、どっちでもいいや。今が幸せなんだから。
 子供なんて親の玩具。そう割り切った方が、世の中簡単になる。南次郎はシンプルに生きる術を教えてくれる。南次郎は馬鹿なことはするが、決して馬鹿じゃない。倫子なんて未だに南次郎の魅力に参っている。
(――あの夫婦、倦怠期ないのかね……)
 少しはあった方が静かでいい。ところがどっこい、二人とも新婚夫婦もかくやという熱愛ぶりだ。
 そのおかげでリョーマは生まれ、跡部と出会った。
(竜崎ともか――)
 それから、ケビンにジェイコブに、青学の皆に、様々な人々に会って今に至る。
 人は決して一人じゃない。死ぬ時は一人だと言っても、本当は決して一人ではない。小さい頃、母が、
「リョーマ。私達が死んだらね、天使が迎えに来てくれるのよ」
 と、優しく言ってくれた。ひいおじいさんが亡くなった時だ。その頃、とても死が怖かった。けれども、それからは死も怖くなくなった。
 おかげで無茶なこともするようになったので、いいのか悪いのか――というところだが。
「お前は手が早そうだなぁ、リョーマ」
「余計なお世話」
「なぁ、本当は誰か好きな人いるんだろ? 俺だけに教えろよ」
「やだ」
 リョーマは笑って舌を出す。
「けど、嫌いなヤツはいないね。もしいたとしてもテニスで捻じ伏せるだけだし」
「――おっかねぇなぁ。リョーマは。あんま怒らせないようにしよ……」
「ふふん」
 ケビンのことも好きだとリョーマは思った。皆大好きだ。だからこそ、テニスで語り合いたい。今のリョーマはそう考えていた。
「ふぁ……ねむ……」
 カルピンのいない夜にも慣れた。日本に帰ったらまた一緒に遊んでやろう。
「カルピン……」
「ん? カルピンて女が本命か?」
「――カルピンはオスだよ」
 寝入りばなに馬鹿なことを言われて、リョーマは寝ぼけ眼で答えた。
「オス?」
「猫なんだ――うちの。もう寝るね」
「ちぇっ、はぐらかされちまった」
 そう言いながらケビンも寝てしまったようだ。リョーマの瞼も重くなる。
「リョーマ」
「リョーマくん」
 跡部と竜崎桜乃だ。――てことは、これは夢か? 自分はまだアメリカにいたはず……。――カルピンがバスケットから出て来た。
 朝、起きた時にはリョーマの頭はまだ上手く働かず、しばらくぼーっとしていた。これがいい夢なのかどうか、リョーマにはわからない。ただ、跡部と桜乃はお似合いの恋人同士に見えた。

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2020.07.23

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