俺様の美技に酔いな 51

 跡部家の薔薇の香る庭園で――
「跡部さん、ありがとうございました!」
「――世話になったな」
 越前リョーマと南次郎が跡部景吾に頭を下げる。跡部は少したじたじとなったようだった。
「あ……ああ……」
「おかげで、忘れていたテニスを取り戻すことが出来ました」
「そうか――良かったな」
 跡部がふっと笑った。やっぱりこの人は綺麗だ――リョーマは改めてそう思ってまじまじと見た。
「ん? 何だ?」
「――何でもないっス」
「こいつ、照れ屋なんですよね。そんでツンデレと来たもんだ。父ちゃんはいつも苦労してんだぜ」
 いつまでも父親風吹かせて――。
 だが、跡部の前で親子喧嘩する気にもなれす――リョーマは黙って帽子のつばをいじっていた。
「ほんと、アンタがヘリを飛ばさなかったら、全国大会の決勝に間に合わなかったぜ」
 南次郎がぞろっぺぇな口を叩く。倫子がいたら何と言うか。きっと注意するであろう。
(全く――あの時世話になった人全員に礼を言って回るとか言って、この口調なんだから――)
 南次郎は口が悪い。流石、リョーマの父親だけのことはある――と、リョーマを知っている人なら言うであろう。跡部が言った。
「南次郎さん、リョーマ、ハイ・ティーでもどうです? ミカエルの作るサンドイッチは絶品ですよ」
 跡部が誘う。南次郎に負けず劣らず口が悪い跡部が丁寧語を使うのは、南次郎がいるからであろう。
「サンドイッチ――」
 親子二人で生唾を飲んだ。しかし、そんなことをしている場合ではない。越前親子は他にも回らなければならないところが沢山あるのだ。それは、ハイ・ティーは魅力的だが。
「いやぁ、お誘いは有り難いですが、俺ら忙しいんで――」
「そうか、残念ですね。また来てください」
「跡部さん――連絡先教えてください」
「おう、いいぜ」
 リョーマと跡部は連絡先を交換した。
「友達が増えて良かったな」
「友達というより、ライバルだけどね」
「おい。越前。今度は俺が勝ってやるからな!」
「――そしたら返り討ちにしてやるっス!」
 リョーマは人差し指を銃の形に構えて跡部に向けた。
「態度がでかいのは相変わらずだな」
「アンタに言われたくないね」
「……記憶は完全に戻ったらしいな。しかし、あの時の方が素直だったな」
「素直な俺の方がいい?」
 もし、記憶を失った自分の方がいいと言われたら、リョーマはショックで再び記憶をなくそうとするだろう。
「いや――」
 跡部は間髪を入れずに首を振った。
「生意気なお前の方がお前らしい。少なくとも、そっちの方が俺は好きだ」
(好き――)
 リョーマはもごもごと口を動かす。確かに、もし跡部が素直な性格になってしまったら――いや、そっちの方が良いかもしれない。それが、跡部とリョーマの差かもしれなかった。
 けれど、悪人に騙されると困るからこのままでいいか。跡部は将来跡部財閥を担う少年なのだ。素直過ぎたらなめられる。幸い、跡部は強い性格だ。頭の回転も速い。テニスだって全国区だ。
(本当にいるんだね。こんなチートな人ってさ――)
 リョーマにはテニスしかない。だから、跡部に負ける訳にはいかなかった。
「ところで跡部。うちの小僧がアンタの髪を刈ったと聞いたが――?」
「おう。見てみますか? 南次郎さん」
 そう言って跡部はかつらを取った。金色のベリーショートが光る。かつらをかぶっていた時とはまた違う色気がある。――リョーマは息を飲んだ。南次郎が顎を撫でながらにやにやする。
「ほう、これはこれは――」
「俺、この髪型も気に入ってるんだけど、雌猫がうるさいからなぁ――」
「ああ。似合ってるぞ。けれど、リョーマのヤツには苦情が殺到したな。あ、そういえばその髪型、俺とお揃いじゃねぇか?」と、南次郎。
「――光栄ですね」
 ベリーショートの跡部もそれはそれで様になっていて――リョーマは思わず凝視した。しかも、その髪型にしたのは自分なのだ。テニス引退した後は床屋でも食べていけるかな――リョーマはそう考えた。否、自分は一生現役のテニスプレイヤーだ。
(跡部さんは……変わった)
 いや、元々器が大きいのかもしれない。跡部はリョーマを探しに軽井沢まで来てくれた。リョーマの失った記憶を戻す手伝いもしてくれた。――リョーマは彼に可能な限り、跡部に感謝している。それに――
(やっぱり俺は、跡部さんを愛している)
 それは恋愛よりも深い愛。この心も見た目も綺麗な人へ寄せる情愛。皆、性格が悪いと言っていたけれど――リョーマもそう思っていたけれど――この人はわざとそう見せているだけではないのだろうか。
「おい、リョーマ、行くぞ」
「待って。もう少し――」
 もう少し、この綺麗な人と一緒にいたい。
 青い瞳は試合の時のように陽光に反射してきらめいて――美しい宝石だとリョーマは思った。南次郎が文句を言うので、リョーマは名残惜しく思いながら、跡部と別れた。
「よし、次は忍足のところだ」
 南次郎が言う。
「ええー。俺、あの人嫌い」
 ――だって、俺より跡部に近いところにいる人だから。――リョーマは思った。
「我慢しろ。これから氷帝や、不動峰や山吹中、俺の後輩のいる緑山中、後どこだったかな――」
「げぇっ! そんなに回るの?」
「当たり前だろ? 記憶を失ったことで皆に迷惑かけたんだぞ。お前は」
「――親父が修行とか言って俺を軽井沢に連れ出さなければこんなことにはならなかったのに――」
「あん? なんか言ったか?」
「――ついに耳遠くなったんだね」
「馬鹿言うな。ちゃんと聞こえてるぞ。さー、行くぞ」
 リョーマはずるずると南次郎に引っ張られていった。
「つうかさ――電話じゃダメなの?」
「直接出向くことで誠意を見せるのさ」
「だから、俺が記憶を失ったのは俺のせいじゃないって――」
「わぁってるよ。そんなこたぁ――」
 南次郎が言った。父親らしい優しい目だった。
「でも、沢山の人に世話になっただろ? その借りは返さなくっちゃな。――ほんと、いい友達持ったよ。お前は……」
「皆手加減せずにのしてやったけどね――まさか田仁志さんのいる比嘉まで行かなくちゃいけないの?」
「んー、そっちは悪いけど次に沖縄に行った時だな。電話でも謝っとくけど」
「母さんにも随分迷惑かけたよね。俺」
「なぁに。母さんはリョーマの世話を焼くのが嬉しくて仕方ないんだ」
 それは親父もでしょ? ――そう言いたかったが、言うタイミングを失ってしまった。信号が青になったのだ。
「ねぇ、やっぱり忍足さんとことばさない?」
「駄目だ。――話を聞いてみるといいヤツみたいじゃねぇか。何がそんなに気に入らないんだ?」
「ううう……」
 やはり、忍足侑士は自分の恋敵だからとは言えない。
 忍足には謙也という、四天宝寺中に同い年の従兄弟がいて、テニスもなかなか強い。二つ名は『浪速のスピードスター』。外見は侑士とはあまり似ていない。リョーマ個人としては謙也の方が交換が持てる。侑士はあの丸眼鏡が胡散臭い。それに、なかなか食わせもののような気がする。
「東京の空気……一段と濁って来たな。俺の子供の時にはもちっとマシだったような気がするんだけどな――」
「昔のことなんて知らないよ」
「なぁ、リョーマ……本当に行くのか? アメリカへ」
「当然」
 リョーマは決まりきったことを聞くなぁと言うかの如く、宣言した。
「どうせ、俺、アメリカで育ったんだし――あっちの水の方が合ってるんだよね」
「そうか……ま、寂しくなったら連絡しな」
「――ウィッス」
 信号を渡り終えたリョーマと南次郎の二人は、白茶けた雲に覆われた空を見ながら歩いていた。

「おーい、リョーマ。手紙だぞ」
 アメリカのホームステイ先のスミス家の息子、ケビン・スミスがやって来て、リョーマに声をかける。ケビンは日本語も流暢だ。そしてテニスも上手く、一方的にリョーマをライバル視している。――そんなケビンから、リョーマは手紙を受け取る。「サンキュ」

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2020.06.29

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