俺様の美技に酔いな 49

 ――世間は夏休みに入った。けれども、リョーマ達の戦いはまだまだこれから控えている。
 リョーマはオレンジジュースを飲む。オレンジジュースは好きだ。爽やかな柑橘系の香りがする。
 Pontaでも、グレープ味の次にオレンジ味が好きだ。グレープ味を買う方が多いけれど。100%のオレンジジュースは胃の底で熱を持つ。
「おーい、リョーマー。電話だぞー。竜崎先生から」
 南次郎が呼ぶ。
「竜崎先生から? 何だろ」
 取り敢えず南次郎から受話器を渡してもらい、電話に出る。
「はい、もしもしお電話代わりました。えっと――」
『リョーマ、今回の全国大会な、開催地東京に決まったぞ』
「はぁ……」
 リョーマは力なく返事をした。開催地が東京に決まるということはさして驚くこともない。昔はともかく、今は東京が日本の中心地だ。
『それでな……開催地の推薦枠があるじゃろ。氷帝も全国出場することに決まった。再戦もあるかもしれんな』
「えっ?!」
 リョーマは今度こそ驚愕した。
 ――しばらく話した後、受話器を置くとリョーマは言った。
「母さん! ちょっと走ってくる!」
「え、でも、こんな雨の中――」
 リョーマは聞いてはいなかった。赤いパーカーをひっかけて外へ出る。雨もむしろ、心地よい。
(大方、榊辺りが裏から手を回したんじゃろ。――こういうのは私は好かんがな。氷帝はどうしても全国に出たいんじゃろな)
 スミレの言葉が脳内で繰り返される。リョーマは必死で駆けていく。
 手塚は九州だ。再び氷帝と戦えると言ったら、もしかしたら――。
 跡部さんと対決できる!
「よっしゃあああああああああああ!」
 リョーマは泥の中に膝をつき、ガッツポーズをしながら雨の中吼える。稲光が空に閃いた。

「あら、お帰りなさい。リョーマ。あら、ずぶ濡れ。――菜々子さんがお風呂沸かしてくれたわよ」
「あ、ありがと、菜々子さん」
 リョーマは母の隣にいた菜々子にぶっきらぼうに礼を言う。風呂に入って泥で汚れた服を替えた。
 リョーマはベッドについた時、こんな風にカルピンに話しかけた。
「ねぇ、カルピン。全国では跡部さんのいる氷帝と戦うんだよ。俺……」
「ほあら~」
「俺、今度こそ、跡部さんと戦えるかもしれないんだ。……早く……跡部さんと……戦いたい……な……」
 リョーマは話す途中で眠ってしまった。

 全国大会、氷帝戦の日――。
 リョーマは依然買ったバリカンを持って行った。お守り代わりでもあったし、いつ使うことがあるかわからない。
 跡部を見た時、越前は武者震いをした。
 越前vs跡部。この日をどれ程待ちわびていたことか――。
 氷帝コールも相変わらずだ。
『勝者は跡部! 勝者は跡部! 勝者は――』
 そこで、リョーマは自分のレギュラージャージを空に放った。そして言った。
「――俺だけどね」
 氷帝メンバーはリョーマの台詞に唖然とした。リョーマに美味しいところを持っていかれた形になったからである。生憎、リョーマは氷帝コールが終わるまで大人しくしているという殊勝な性格はしていない。――手塚と違って。
 ここで、跡部は出鼻をくじかれたであろう。
 だが、手塚でさえ勝てなかった跡部だ。リョーマも苦戦する。
 ――跡部には相手の弱点を見抜き攻撃するという嫌な部分を持っている。けれど、リョーマにも負けるつもりはない。
 試合を始める前、跡部はこんなことを言ったのだ。
(もしお前に負けたら坊主になってやるよ)
 ――何とお誂え向きの台詞を吐く男だろう。こっちが言ってやろうとしたのに。――上等じゃん。
 リョーマは手塚ゾーンも使えるようになった。――自己流だが。
 やはり、伝説のテニスプレイヤー、越前南次郎と毎日試合していただけのことはある。
(親父……腹は立つけど……サンキュー!)
 リョーマは跡部側のコートにボールを打ち込んだ。跡部も危なげなく返す。
「そろそろ行くよ――破滅への輪舞曲(ロンド)!」
 それは跡部の必殺技だった。
 いつも――。
 いつも思っていた。
 跡部さん、アンタの美技に酔いたいと。そして、アンタを俺の美技で酔わせたいと――。
(俺様の美技に酔いな)
 無我の境地を発動したリョーマは、心の中で密かに叫んだ。確かに、この台詞を真顔で言える跡部程心臓は強くはないかもしれないが――。
 跡部の蝋で出来たイカロスの羽を溶かすことは出来る。
 ――その時はやって来た。
 跡部とリョーマは同時にダウンした。
「スコアは同点。起き上がった者が勝利する」
 スミレの言葉が聴こえたような気がした。先に起き上がったのは――
 跡部だった!
 氷帝コールが響き渡る。
(こんなところで――負けていられない。そーいや、先輩達から随分いろいろなことを教わった。皆でテニス出来て、楽しかった。でも、勝たなきゃ。――青学は、頂上へ行くんだ)
 いつの間にか、負けた方がボウズになるという賭けも忘れていた。リョーマは根性で起き上がった。
「まだまだだね……」
 リョーマはツイストサーブを打った!
 跡部からの反応はない。どうやら、起き上がったことで気力を失ってしまったらしい。――立ったまま、気絶していた。
 手塚が言った。
「跡部よ……気を失って尚君臨するのか」
 氷の王様。氷帝の帝王という呼び名は伊達ではなかった。リョーマは全てを出し尽くした感覚に酔った。
「凄いよ……アンタ……」
 勝負は――リョーマが勝った。
 リョーマは跡部にそっと心の中で、アンタの美技に酔ったよ、と呟いた。
 でもそれはそれ、これはこれ。
 リョーマは持っていたバリカンで金茶色の美しい跡部の髪を刈ろうとした。それを阻止したのは氷帝の滝萩之介だった。
「何? アンタ、どいてくんない?」
「――嫌だ」
「滝! 激ダサだぜ! たかが髪の毛だろう? 俺だって髪を切った!」
 同じく氷帝の宍戸亮が叫ぶ。
「お前は跡部をわかっちゃいない! 跡部はお前に庇ってもらって喜ぶような男じゃない!」
「そうか――」
 宍戸の言葉に滝は跡部の傍から退いた。リョーマは思った。
(跡部さん、いい仲間を持ったね)
 不思議と嫉妬はなかった。滝の気持ちがわからないでもなかったからかもしれない。
 跡部の髪は刈られた。その様子を動画で撮っている者もいる。――後でネット上に流すのだろうか。跡部はベリーショートになった。丸刈りにしなかったのは、リョーマのせめてもの情けであろう。
 その後、跡部のボウズ論争がネットで賑わうことになるのだが――そのことをリョーマ達はまだ、知らない。
 ただ、その時のリョーマの心は晴れ晴れとしていた。跡部に感謝めいた感情も持った。
(跡部さん――全力を尽くしてくれてありがとうございます)
 跡部景吾と彼への想いを空に飛ばしたリョーマは、もう跡部のことなど忘れてしまった。
 けれど、この跡部景吾という少年が、やがてリョーマと深く関わるようになるとは誰も気づかなかった。それに、リョーマもそれどころではなかった。
 リョーマと戦いたいという少年が現れたのである。
 名前は遠山金太郎。中学一年生。やがてリョーマのライバルと目されることになる。
 リョーマは眉を顰めた。どこか、かつての自分を見ているようで――いたたまれないのだ。
 金太郎のリョーマに対するライバル意識は、リョーマが跡部に対して抱いていた感情よりは今日の空のように明るく明朗としていたけれど。本人のキャラクターでもあるのだろう。
 リョーマと金太郎は一球だけ勝負をすることになった。金太郎も強かった。だが、勝負はつかなかった。ボールがなんと半分に分かれたのである!

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2020.06.12

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