俺様の美技に酔いな 47

 ドンドンドン――乱暴なノックの音がする。
「おい、リョーマ、寝てるか?」
 南次郎の声がする。いつもだったら無視しているところだ。だが――今は誰かと話したかった。カルピンも寝てしまったし。
 例え相手が父親であっても構わない。
「どうぞ」
 きぃ、とドアが開く。
「おお、起きてたか。ホットミルク。どうだ?」
「――ありがと」
 ふわっと包み込むような牛乳の匂い。牛乳はあまり好きでないけれど、こういうのだったらいいな、とリョーマは思った。
「暑くなってきたけどな。たまにゃ温かいのもいいだろ」
「――そうだね」
「俺なぁ、自分の子供と酒酌み交わすのが夢なんだ。けれど、今はおめぇ、まだ未成年だろ? ――何があった。リョーマ」
「ちょっとね――もうカルピンがいるから大丈夫だよ」
「カルピンは優しいからな。関東大会、初戦は氷帝ってところだろ? ――負けんなよ」
「もち」
 南次郎とリョーマがぐーたっちをした。
「あれ? 親父、それ……」
「ああ、オレの分も母さんが用意してたんだよなぁ。母さんは出来た女だよ」
「父さんには勿体なかったんじゃない?」
「うっせ! ――でも、確かにそうかもなぁ……母さんは、俺よりいい男と結婚も出来たかもなぁ。ペチャパイで色気もねぇけど」
「……母さんに言ってやろ」
「でも、そんな外見的なことより、素晴らしいもんが母さんにはあったんだよ。だから、俺は独り占めしたくてな」
「ふぅん」
 リョーマが熱いミルクを啜る。
「どうやら真面目な話みたいじゃん」
「へへ……まぁな。ちょっと惚気みたいで照れるけどな」
 ミルクが喉を通る。――旨い。
「人並みに羞恥心があるって訳」
「羞恥心――どっから習ったそんな言葉」
「不二先輩」
「そういや、今日もいたな。なんか、中性的なイケメン」
「手出しちゃダメだよ」
「アホ。女顔でも男にゃ興味ねぇ」
「そういう人程危ないんだよねぇ……」
「俺には母さんがいる」
 ――そっか。
 この南次郎も、例えグラビアに夢中な生臭坊主でも、母には本気なのだ。だから、結婚して、リョーマが生まれた。
(ありがとう。親父。母さん)
 リョーマはそっとここに誕生させた両親に感謝をした。
「俺な……でっかい夢見つける為にアメリカ行ったんだ」
「でっかい胸じゃなかったの」
「そうそう。アメリカにはでっかいおっぱい……じゃなくって!」
「――誰も親父なんか見向きもしなかったんじゃない?」
「アホぬかせ。こう見えてもモテたんだぜ。俺は」
 それは満更冗談でもないだろう。テニスが強くて――今も昔も南次郎は人気がある。現役時代は今より更に人気があっただろう。
 リョーマもモテない訳ではないし。今はファニーフェイスでも。
 大人になったら、父さんよりモテるかもね――母倫子がこっそりそう呟いたのを聞いたことがある。今でもファンクラブがあるくらいだ。――自慢じゃないけれど。
 その人気者だった父南次郎は、母倫子を選んだ。本当は倫子の方が南次郎に首ったけなのをリョーマは知っている。――今でも。
「父さん。用はそれだけ?」
「いいや。リョーマ――お前、期末頑張ったな」
「あ……うん……」
 勉強のことなんか念頭にない父の労いの言葉に、リョーマはつい素直に頷いてしまった。
「花沢先生が電話で言ってたぞ。『越前くんの八百屋お七に関する独自のレポートが面白かったです』って。お前、いつの間にそんなの書いてたのかよ」
「まぁね……」
「おかげで先生もやる気出したらしいぞ。やるじゃねぇか青少年」
「わぷっ。何すんのさ」
 南次郎に突然かいぐりかいぐりされて、リョーマは吃驚した。
「それにしても、何で八百屋お七なんだ? お前にも恋の狂気がわかるのか?」
 南次郎がリョーマの顔を覗き込む。迂闊なことは言えない。なんせ、ゴシップに対する南次郎の嗅覚はそこらの新聞記者並なのだから。しかし、南次郎は引き際も心得ていた。
「まぁ、お前が言いたくねぇと言うのなら聞かねぇよ。お前は関東大会も控えていることだしな」
 南次郎、今度はリョーマの頭をぽんぽん叩く。どうでもいいけど、俺って親父の何な訳? ――そうリョーマは疑問に思う。
「ねぇ、親父。――親父はいっつも勝手だけどさ、俺のことどう思ってるの? 息子にしちゃ扱いが雑な気がすんだけど」
「あーん? そんなの決まってるじゃねぇか」
「何」
「俺の玩具」
 ――俺って今までよくぐれなかったな……。リョーマは自分で自分のことを褒めた。兎にも角にもまともに育ったのは母さんと菜々子さんのおかげかもしれない……。
「ま、親父としちゃ、お前が立派な玩具に育ってくれて嬉しい」
「――昔から俺と遊んでくれているんだと思ってたんだけど、俺で遊んでいた訳ね……」
「そう、その通り。――お前も親になればわかる」
「こんな親ならなりたくないなぁ……」
 テニスをやり始めたのも、南次郎の影響で――。そうすると、南次郎は本気でリョーマのことを玩具と見做しているのかもしれない。
 でも、南次郎は悪人ではない。一見悪人面はしているが。
 それでも、自分が父親になったら――。子供にもテニスを教えるだろう。テニスの素晴らしさを伝えようと懸命になるだろう。
 それに跡部だって――。
(跡部さんを玩具に出来たら最高だな)
 リョーマはにやっと笑った。
「ねぇ、親父。人一人を玩具として育てるって最高だね」
「あぁ? お前はまだ俺の掌の上さ」
「今はそうかもしれないけどね。でも、もっといい玩具見つけちゃったから」
「その年でか。なーまいきなー」
 南次郎がリョーマの頬を突つく。
「俺、これでも親父の息子だからね」
 だからさ。跡部さん。俺のものになってよ。俺の玩具になってよ――。アンタならその資格、十分にあるからさ。
 けれど、気になることがひとつあった。
「親父、母さんも玩具なの?」
「…………」
 何だか、南次郎は冷や汗を垂らしているように思える。リョーマの母倫子は南次郎のウィークポイントのようだ。南次郎がリョーマの耳元で囁いた。
「……お前、母さんが大人しく玩具になってくれると思うか?」
「――その確率はまずないね」
「お前も乾の口癖うつったな」
「え? そうかな……」
「あの男、練習しながら何とかの確率は何パーセントだとか呟いていたぞ。はっきり言って気色悪かった」
「データテニスというヤツね。俺もあれはあんまり好きじゃない。でも、乾先輩が強いのは確かだよ。レギュラーに返り咲いて喜んでもいるし」
「――そんなヤツばっかなのかよ。青学は」
「そうじゃないけど――手塚部長とか不二先輩とかいるし」
 リョーマは不二先輩のことを思い出していた。桜吹雪が似合う先輩。古典音痴だった自分に『八百屋お七』を紹介してくれた先輩。
 ――不二先輩も、手塚部長と幸せになるといいのにね。
 どちらもお互いを意識しているのは明らかだ。何故この間まで気がつかなかったのだろうと、己の迂闊さを恥じ入るくらいだ。
 けれど、テニスの上では誰もがライバル。一番のライバルは自分自身だけど。
 ――親父。俺、アンタよりもでっかい夢見つけるよ。俺は親父の夢でもあるんだよね。――そうでしょう?

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2020.05.17

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