俺様の美技に酔いな 46

「あ、そうだ。テレビつけてもいいか? 母さん」
「どうぞ」
 南次郎がテレビのリモコンをつける。面白そうなのはあまりない。南次郎が次々番組を変える。――リョーマは大好きなジャガイモの味噌汁の味と感触と香りを堪能していた。
「テニスの番組はないの?」
「そうだなぁ。今時分はやってねぇだろうなぁ……お、この芸人面白れぇんだ」
 その芸人は――丸眼鏡だった。
 リョーマはリモコンを奪い去ると番組を強引に変えた。
「あ、何しやがる!」
 南次郎の文句を言う。そしてリモコンを取り返そうとする。リョーマはひょいひょいと避ける。
「お前なぁ……リモコン返せ。ただちょっとバラエティ番組観ようとしただけじゃねぇか。ちょっと柔らかい番組観ようとして何が悪い」
「ふん!」
 リョーマは怒りと共に鼻を鳴らした。
 丸眼鏡は――嫌いだ。あの男を思い出させるから。
(忍足とか言ったっけな――)
 跡部に馴れ馴れしかったあの男。もしかしたらライバルかもしれない。――いやいや、男が好きな男なんて少ないかもしれないが……。
(何てったって、相手はあの跡部さんだもんなぁ……)
 男とか女とか、そういう壁を乗り越えて、人々を夢中にさせる男。彼だったら、忍足も惚れたかもしれない。もしかしたら、それは、贔屓目かもしれないが。
 リョーマはリモコンをぽいっと捨てた。
「おい、何へそ曲げてんだよ、リョーマ、おい!」
 リョーマは自分を呼ぶ南次郎を無視して階段を昇った。
 あの男は、忍足は――嫌いだ。
 リョーマは樺地に対しては、跡部の言いなりになっていることを置いておけば、そんなに嫌ではないのに気が付いた。彼も恋敵かもしれないのに。そんなに注目していないだけかもしれない。
(やっぱり俺は菜々子さんの従弟なんだなぁ……)
 樺地に惚れた訳ではないが、彼の噂とかを聞いていると、いい友達にはなれそうな気がする。氷帝でも一部では人気らしい。
 跡部は、樺地とはキスとかしているんだろうか――。
 リョーマはぷるぷると首を振って妄念を振り払う。違う。あの人は違う。忍足さんも違う。違う――間違いであって欲しい。
 自分のこの思いは――。
(嫌だ! 跡部さん、忍足さんのものにならないで!)
 それだったら、樺地の方がまだマシだ。どうやらまだ樺地に惚れているらしい菜々子には悪いけれど――。
(やっぱり、菜々子さんの恋を応援した方がいいのかなぁ)
 けれど、樺地はまだ中学生である。菜々子は大学生。年の差なんてとはいうけれど、それは、なかなかに高い障害で――。
 それに、二人はまだ会ってもいない。縁があれば、いつかは会えるだろうが……。
「ほあっ、ほあっ」
 カルピンの声が足元でする。
「――部屋行く? カルピン」
「ほあら~」
 リョーマはカルピンを抱き上げた。
「すこうし重くなってきたね。カルピンはダイエットする気ないの?」
「ほあら~」
 リョーマは自分の台詞に吹き出した。
「なんて、そんな気ある訳ないよね。カルピンは――猫だもん」
「ほあ~」
 どこまで行ってもカルピンは猫で――でも、話を聞いてくれる、唯一無二の親友だ。リョーマはカルピンを抱えたまま部屋のドアを開けた。ベッドに座ると、早速切り出した。
「ねぇ、カルピン。俺、好きな人がいるんだけど、ライバルが現れたんだ」
 カルピンは何も言わず、くりくりした目で見つめている。
「その人、忍足って言うんだけど――そういや、下の名前知らないや」
 何だろう。忍足――下の名前も聞いたことがあるような気がするのだが。跡部のことを調べている時についでに。
 そう――リョーマにとってはその程度の人間なのだ。
 何だか足元から力が湧いて来た。
 忍足さんにも樺地さんにも誰にも――跡部は渡さない。勿論女の子達にも。
(俺は、跡部さんに勝ったら告白する)
 今までは漠然としていた想い。それをはっきりさせる。けれど、あることを思い出した。
(手塚部長――)
 手塚と跡部の試合を見てみたいと思う自分もいる。どちらが勝つだろうか――。
 リョーマは、手塚と高架下のコートで試合をして負けている。
 思いは錯綜する。手塚と跡部の試合を見てみたい。けれど、自分も跡部と戦いたい。――リョーマは根っからのテニス馬鹿だ。自分でもそれはよくよくわかっている。
 口は上手い方じゃないから、テニスでしか語り合えない。そんなリョーマをクールだとかかっこいいとかいう人もいるけれど。リョーマの中には小さな自分がいる。兄に捨てられ、途方に暮れている自分だ。
 その自分を隠す為に、リョーマはわざと挑発的な態度を取る。誰にも、決して本心を語らない。
 皆、俺に兄がいたことなんて知らないだろう。朋香や桜乃だって――。
「竜崎か――」
 竜崎桜乃。彼女は初めから何だか他の人とは違っていた。
 長い三つ編み。下手なくせに、努力家で。竜崎先生とは性格が全然違っているけれど、芯は強そうな気はしている。
「でも、あの三つ編みは長過ぎだよね……」
「ほあ」
 カルピンが、尻尾を揺らしながら鳴く。
「お前、俺の言いたいことがわかるの?」
 大概の猫キチなら、一度は抱く疑問。うちの猫は絶対に言葉をわかっている! ――と、主張する人もいる。
 けれど、リョーマは冷めていた。
「――なんて、そんな訳ないよね」
 カルピンはリョーマを見上げてまた尻尾を振る。カルピンが人間だったら――と思ったこともあったけれど。カルピンはいてくれるだけでいいのだ。
「遊んでやろうか?」
 リョーマがカルピン用の玩具を取り出す。猫じゃらしを模した玩具。目の前で振ってやると、キャッチしようと追ってくる。
「ほあ、ほあ……」
 少し運動不足気味だったかな。カルピンも。
「ごめんね。カルピン。テニスにばかりかまけてて。でも、もうすぐ関東大会なんだよ」
 リョーマが独り言つ。
「ほあ~」
 カルピンが玩具を追って来る。あははは、とリョーマが笑う。第三者が見たら、あれがあの越前リョーマかとびっくりするだろう。それ程、中学一年生らしい屈託のない笑顔だった。――跡部のこともその瞬間だけは忘れた。
 ――カルピンが可愛い。
 例え、いつか別れの時が来るとしても。
「十年後も元気でいてよね。カルピン」
 しばらく遊んだ後でリョーマは言った。そんなリョーマの言葉に答えるように、カルピンが「ほあら~」と鳴く。
 やはり自分の言葉がわかったのだろうか。いやいや、そんなはずは――。けれど。
「ねぇ、カルピン。今の鳴き声、俺の言葉に返事したことにしといて」
「ほあら~」
「愛してるよ。カルピン」
 リョーマの目の縁から涙が盛り上がって、すーっと頬を滑った。それを掌で受け止める。あれ? 何で泣いてんだろう。さっきは俺、あんなに笑ってたじゃないか。
 愛している。カルピン。跡部に対してとは違う意味での『愛してる』だけど。リョーマは跡部のことを思い出していた。どうしてこんな不安な気持ちになるのかもわからずに。
「跡部さん……」
 会いたいよ。跡部さん。ナンパ野郎でもナルシストでもいいから――どんな悪辣非道な男でもいいから、跡部さんに傍にいて欲しいんだ。忍足や樺地なんか吹っ飛ばしてよ。
 カルピンも、跡部さんと仲良くなれるといいね――。
 今からでも……誰かに跡部さんの番号を訊こうか……。岬先輩にでも……。
 って、何血迷っているんだよ、俺……。
 そんな自分にリョーマは呆れた。何? ――俺、何でそんなに跡部さんが好きなの?
 会ったのなんて、ほんの二、三回ぐらいしかないのに。メールだってLINEだって電話だってしたことがないのに。
 越前リョーマ。お前は馬鹿だよ……。リョーマが心の中で呟いた。
 カルピンが、リョーマの手を舐めた。
「ああ、ごめん、カルピン」
 カルピンはリョーマの膝の上に乗っかった。やはり重くなっている。けれど、この体勢が一番しっくりする。リョーマにも、そしておそらくカルピンにも。リョーマは言った。
「ありがとう。付き合ってくれて。カルピン。――お休み」

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2020.04.29

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