俺様の美技に酔いな 44

「じゃあね。おチビ。南次郎さん、今日は楽しかったよん」
「おー。またな。菊丸」
 南次郎は菊丸に手を振った。
「さてと――俺らも学ばせてもらったことだし、次のランキング戦には使わせてもらいますか」
「おー、頑張れ桃」
「頑張りまっす」
 桃城は真っ直ぐな気性で、南次郎の心を掴んだらしかった。
(俺はずっと親父が自慢だった――)
 小さな頃は南次郎が目標だった。引退して、煙草を吸うようになって脂くさくなった父親も、それはそれで貫禄が出て来た。例え美女に目がない男でも――南次郎には倫子がいる。
(俺の今の目標は――ゴロゴロいる。まずは手塚部長だ。それから、跡部さん。そして……)
 それから、兄貴。
 リョーマの兄――越前リョーガ。
(あれからどうしているだろう――)
 オレンジに込められた兄からのメッセージ。リョーガは叔母に引き取られたが、幸せであるといい。
(兄貴、俺、テニス辞めてないよ。――辞めないで良かったよ)
 跡部さんにも会えたしね――そう、こっそり付け加える。
 リョーガの嬉しそうな笑顔が頭を過ぎる。ツンツン頭のリョーガ。幼かった時のリョーガ。今はもう、立派に成長していることだろう。
(俺と兄貴は二歳違いだったな――確か)
 会いたいな。リョーマは思った。父も母もリョーガが好きだった。何となく、リョーガには人を惹きつける魅力がある。このままテニスを辞めなければ、いつかは会えるだろうか。
 リョーマも昔は「兄ちゃん、兄ちゃん」とリョーガの後を付き従ったものだ。けれど、テニスでは全力で勝負をしてくれなかった。
 今の俺だったら、少しは兄貴と同等に見てくれるだろうか――。
 けれど、まずは跡部を倒さねば。
 跡部景吾。俺が恋した相手。そして、一方的にだが……ライバル。そう言って良ければ。
 あの綺麗な顔を屈辱で曇らせてやる。
 リョーマは深呼吸をして、ぐっと拳を握った。
 そして、忍足。あの男はなんなんだ? 跡部にとってどういう存在なんだ。
 忘れようとしても忘れられない。跡部の友達? 部活の仲間?
(眼鏡取ったらイケメンかもね……)
 丸眼鏡。特徴のある関西弁。鬱陶しいような、青みがかった髪の毛。
 ――けれど、跡部は誰にも渡したくはない。例え、跡部を殺してでも。
「…………」
「何だ。物思いに耽って。青少年」
「――関係ないでしょ」
「あるね。俺はお前の親父だ」
「…………」
「それとも、俺にも言えないことか?」
「うん、そうだよ」
 年を取る、ということは秘密が増えることである。リョーマの心の中に、秘密の欠片が雪のように降ってくる。
 ずっとこのままでいられたら――。でも、それは無理な相談だ。
 だから、自分の手で未来を掴むのだ。
 リョーマは太陽に向かって左手を開いた。そして太陽を掴むようにした。
 跡部は天馬だ。どこまでも飛んでいける。――けれど、本当にそうなのだろうか。
 いずれ跡部財閥を継ぐと聞いている。平民には羨ましい地位だが、その苦労が、リョーマにも想像がつくような気がする。
 それにしても、あの人は、何て伸び伸びとテニスをするのだろう。
 彼のことを考えるのは楽しい。彼をやっつけることを考えるのは楽しい。――彼と会うのは、楽しい……だろう。まだ何度も会った訳ではないが。
 というか、リョーマはあまり認めたくなかったが――
(俺のやってることって、ストーカーとあまり変わらないんだよね)
 でもいつか、越前リョーマの名前を跡部のハートに刻んでやる。
「親父……やっぱ先行ってて」
「ん? どした?」
「――自主練」
「……わかった。無理すんなよ」
「うん」
 リョーマは南次郎が羨ましかった。跡部に認められている南次郎が。
 ――けれど、俺も負けない。
 ひらっと木の葉が舞った。リョーマはサーブを当てた。リョーマは満足げに薄く笑った。
 それから、鐘の石台にボールを当てて、跳ね返ったボールを何度も何度も打つ。
 楽しくて仕方がない。リョーマは今度は全開で笑っていた。

「ただいまー」
 すっかり汗をかいてしまった。シャワーを浴びようかと思ったその時、菜々子が来て言った。
「はい。リョーマさん。お疲れ様」
 そして、白いタオルを渡してくれた。
「サンキュー、菜々子さん」
「氷帝の何とか言ったかしら……跡部さん? ――がおじ様のところに来たらしいけれど」
「うん、来たよ。俺もいたもん」
「おじ様にコーチしてもらいに来たんでしょ? すげなく追い返したらしいけど」
「ああ……」
「んもう。おじ様も相手をしてあげればいいのに」
「いいんだよ。跡部さんは俺が倒すから」
「あら、リョーマさんのライバル? 強いのかしら?」
「――強いよ」
 自分もテニスをやっているから、相手の力量はわかる。それに、もう、リョーマは跡部の美技に半ば酔っている。
 リョーマがもし跡部に会ったなら、
「アンタ本当に強いの?」
 ぐらいは言って、挑発するだろうけれども。それがリョーマの性分である。荒井辺りには生意気だと言われるが、まぁ、仕様がない。
 この世界、勝った方が強いのだ。
 そして、リョーマは自分のテニスの才能に自信を持っていた。そして、その才能を磨くのも怠らない。
 テニスに会わせてくれた、南次郎に感謝だ。
「今日はまぐとろ丼よ」
「ほんと?!」
 リョーマは目を輝かせる。こういうところは、年相応だ。――両親が見たらそう思うであろう。菜々子もそう感じたらしく、くすくす笑った。
「あのね、リョーマさん。おば様ね、リョーマさんの為に和食も作ってあげようと頑張ってるのよ」
「へぇ……」
「リョーマさんの熱意が伝わったのね、きっと。――リョーマさん、可愛い顔してる」
「やだな。可愛いなんて。子供みたいに」
 リョーマは唇を尖らせた。
 可愛いなんて、例え相手が跡部でも言われたくない。生意気だ、だけど強い。そう認めてくれた方が遥かに嬉しい。
「やっぱりリョーマさん……」
「まだまだだねって、言いたいんでしょ? それはこっちの台詞だよ」
 菜々子は何を思ったか、またくすくすと笑った。
「ま、いいや。シャワー浴びるよ」
「どうぞ。バスタオルならいつものところよ」
「――ありがと」
 リョーマは風呂場に行った。そうだ。髪も洗おう。
 リョーマがお湯を浴びていると、カルピンも入って来た。自分も洗ってもらおうと思っているのだろうか。
「カルピン、今日はお前も洗ってやろうか?」
「ほあら~」
「菜々子さーん、カルピン洗うから夕食ちょっと遅くなるよー」
 菜々子は、「はいはい」と答えながら、リョーマさんと食べたいから待ってるわね、と嬉しいことを言ってくれた。

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2020.03.31

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