俺様の美技に酔いな 43

「樺地、忍足――」
 跡部は呆然としたように氷帝のチームメイトの名を呼ぶ。リョーマが言った。
「ああ、あの丸眼鏡の人。アンタ、忍足と言うんだ」
「せや。よろしゅう」
「アンタとは宜しくしたくないなぁ……」
「ははっ。正直なやっちゃな。――俺、アンタみたいなの嫌いやないで」
「――俺は嫌いっス」
「いつも跡部と一緒にいるからか?」
 忍足の挑発するような揶揄いの言葉に、リョーマは何も言わず帽子のつばを下げる。
「図星か? ぼん」
「別に――」
「行くで。跡部。榊先生が待っとる」
 忍足は跡部の背中に手をやった。ただでさえほのかだった薔薇の香りが遠ざかる。
(待って――!)
 リョーマは後を追おうとした。――が、出来なかった。人の目がある。父親南次郎も見つめている。
 スミレはどういう訳か了解したらしく、
「やれやれ。――難儀な想いを抱えているようじゃのう」
 と、リョーマを見ながらひとり呟く。リョーマがスミレの方を見た。スミレはさっきの台詞などなかったような顔をしている。
 バアさんには油断出来ない。
 スミレがリョーマに近づいてきて、ぽん、と肩を叩いた。
「桜乃のことも、考えてやっておくれね。お前さんの想い人に対する想いの十分の一でもいいからさ。アタシゃ――この件に関しては口は出さんよ。ただ、桜乃は可愛い孫だからね」
 しっかり口出ししてんじゃん――リョーマは思ったが、それはおくびにも出さなかった。
「さて、みんな、今日はもう帰んな。それからそこに隠れておるヤツ!」
 いつの間にかスミレが仕切っていた――草陰から現れたのは、『月刊プロテニス』の井上守と芝沙織であった。
「ちょっとお貸し」
 スミレは芝のカメラからフィルムをピーッと取り出し、ネガを台無しにした。芝が泣き出した。
「井上さ~ん」
「む……デジカメの方が良かったか……」
 デジカメも、今は性能が上がったと聞く。――それはともかく。
「南次郎はそっとしといてやっとくれ。――リョーマのこともな」
 スミレが呟いた。「は……はい……」と頷く二人。リョーマはその様子を眺めるともなく眺めていた。
 あの丸眼鏡の男――跡部の友人だろうか。
 それにしては親密なような気がしてリョーマは気に入らない。世界中の丸眼鏡の男を憎悪してしまう程に。
(あの男――嫌いだ)
「……にゃろう」
 リョーマはぎりっと歯噛みした。
「置いてくぞー。リョーマ」
 南次郎が呼んだ。
「あ、今行く」
「越前。今日は俺が――悪かったよ」
 堀尾はいつもと違ってしおらしい。堀尾は愛嬌のあるサル顔だが、その様は可愛くないこともなかった。
「いや、俺達もさ――堀尾のおかげで勉強になったよ。あの南次郎さんにフォーム教わったもんなぁ」
「辻坂……」
「誰?」
「俺の他校の友達。テニススクールで一緒にやってんだぜ。こいつらと」
「はは……まぁ、地区予選で負けちゃったけどね……青学は応援しているから、頑張って」
「ありがとう」
 上の空でリョーマが返事をする。脳裏を過ぎるのは、跡部の背中に回された忍足の手だった。――その日から、忍足はリョーマの恋敵となった。恋敵。そう思っているのはリョーマだけであったとしても。
「堀尾くーん、僕達ももう帰ろうよー」
 カチローが呼ぶ。
「そうだな。――じゃあな。越前。俺達も応援してるぜ」
「越前」
 桃城の声がする。今度は何だろうと、リョーマは桃城の方に首をねじ向けた。
「俺も応援頑張るよ!」
 桃城の顔が爛々と輝いている。何があったのだろうか、やたら張り切っている。リョーマには青学のくせものの桃城武の考えはわからない。
(何か企んでるみたいな顔っスね)
「桃城――お前、何考えてる?」
 フシュ~という息遣いと共に、海堂薫が言った。海堂にも、桃城の考えていることはわからないらしい。元々仲がいいとは言えない二人だ。同じ二年で気心が知れている部分もあるだろうが、結構喧嘩もよくしている。
「大会までのお楽しみ!」
 桃城はリョーマ達に対してにっと笑った。
「もうすっかり元気になりやがって……俺にはてめぇがわかんねぇよ」
「あ、俺、海堂にわかってもらえなくていいから。じゃあな」
「越前くーん」
「えーと、確か、アンタは……」
「『月刊プロテニス』の芝よ。――関東大会頑張ってね。期待の一年ルーキー」
「はぁ……」
「こうして見ると普通の中学生なんだけどねぇ……また取材に来てもいいかしら」
「構わないっスよ。俺は」
「でも、今回はスミレ先生に注意されたし、諦めるわ。もし青学が全国に行ったら、そう大人しく引き下がることも出来ないけど。じゃね」
 帰り際に芝はぽんぽんとリョーマの帽子を軽く叩いた。それが、リョーマの気に障った。
「…………」
 跡部は忍足達と帰ってしまうし、芝には子ども扱いされるし――どうにも面白くないことばっかりだ。
「くそっ!」
 リョーマは足元を蹴った。
「よぉ、荒れてんな、青少年」
 南次郎が背後からひょっこり現れた。
「親父……帰ったんじゃ……」
「なかなか来ないんで引き返してきたんだよ。何? お前、芝に興味あるの? わかるなぁ。あの女、胸がぷるんぷるんして――」
「親父みたいなのは相手にされないんじゃないの?」
 リョーマも負けじと悪態を吐く。それに、芝はリョーマの好みではなかった。
「――あんな年増、どうだっていい」
「言うねぇ。まぁ、ボインの魅力は大人になってからわかると思うがな」
「……一生わからなくてもいいや」
「……母さんははっきり言ってボインじゃあないからなぁ。こりゃ、お前の育て方間違えたかな」
「ふん」
「さぁ、今度こそ帰ろうぜ。今日はいい汗かいた」
「あ、南次郎さん」
「堀尾――アンタも帰ったんじゃなかったの?」
 リョーマは少し目を見開く。
「ああ――南次郎さんにも謝っとこうと思って戻って来た」
(聞かれちゃったかな……)
 あまり堀尾の耳には入れたくない、南次郎との言い合いである。だが、堀尾はそんなこと、気にかけていないようだった。というか、それどころではなかったという方が正しいのか。
「南次郎さん! すみません!」
「え……何がどうした? ……サル」
「堀尾聡史っス。あの……今日は……俺の手違いで南次郎さんに迷惑かけたから……」
「別に迷惑なんて思っちゃいねぇよ。暇潰しも出来たし、いい汗かいたし。おじさん、久々にテニスに賭けた青春を取り戻したような気がしたぜ。人に何か教えるなんて貴重な体験しちまったしな。でも、教えるのは、多分、カチローの親父さんの方が上手いぜ」
「南次郎さん……」
 堀尾が涙声になった。
「おっ。泣くな泣くな」
「すみません……南次郎さんにそう言ってもらえるのが嬉しくて……多分、カチローもカチローの親父さんも、喜ぶと思います」

次へ→

2020.03.12

BACK/HOME