俺様の美技に酔いな 40

 ――授業後、高口からスマホを返された。
「授業中はちゃんと電源切っとけ。もしくはマナーモードにするか。――スマホはなし崩しに大多数の生徒がやっていることだがな……」
 と、言われて。――その時は返す言葉もなかった。
「災難だったなぁ、越前」と、堀尾が同情するように言った。
「いや……俺が不注意だったんだし」
「一回抜けても大丈夫だろ? お前の英語の成績なら。どうせ寝てんだし」
「まぁね……」
 リョーマは堀尾を突き抜けて窓の外を見ていた。ひなたくさい、だが、慕わしいおひさまの匂い。――昼の明るさを保ちつつ、時刻は夕刻に移ろうとしていた。
「越前」
 高口が再びリョーマの前に来て言った。――何だろう。
 高口はリョーマの頭をがっしと掴んだ。
「関東大会、頑張れよ! お前なら出来る」
 そう言って廊下へと去って行った。堀尾が口を尖らせた。
「ちぇー、高口のヤツ、越前立たせといてよく言うよ」
「うん、でも、悪い人じゃないから――」
 それに、当日来るかどうかわからないけれど、リョーマは何故か英語教師の高口が嫌いではなかった。
 褒めるべきところは褒め、叱る時は叱る。スミレにも似た教育方針だが、高口のは少々理不尽さが混じっている。だが、その理由を高口はちゃんと話してくれる。
(お前――本当は教壇に立って代わりに教えて欲しいとこなんだがな。お前はこんな授業は些か退屈だろうからな。せっかくスマホを鳴らしたという絶好の口実が出来たんだからそれを利用させてもらおう。――廊下に立っとれ!)
 高口がリョーマのことを認めていることはリョーマも知っていた。
 高口が狙っているのは別のところにあったと、リョーマは思っていた。
(足が疲れるなら、座っててもいいぞ)
 高口はそうも言った。――リョーマを休ませてくれたのであろう。それだったら、机で寝かせてくれた方が遥かに有り難いが。
 この教師は少々理不尽で、勝手で、先生という立場を使って時には生徒を振り回す、そんな男だったが、それをわかってやっている。だから――
「大丈夫? 越前くん」
「ひどいよね。高口のヤツ。確かにスマホは学校で禁止されてるけど、そんなの皆やってんじゃん。ねぇ」
 女生徒の同情票がリョーマに行くことも高口はちゃんとわかっていた。――多分。
「そうだな。俺もそう思うよ」
「きゃあ――って、高口先生?!」
 高口はにっと笑った。
「忘れ物取りに来たんだよ。確かに俺はオーボーだな」
「でも、おかげで一時間休めました」
 リョーマがしれっと言った。
「……花沢先生にも会ったし。――この学校、職権乱用する人が多いですね」
 リョーマが小さく笑う。
「花沢先生も職権乱用か。困ったもんだ。けど、この学校は生徒と同じように先生の自主性も尊重してくれるからな」
「単に経営がザルなだけでしょ」
「――違いない。どうだったか? 越前。廊下で立っている間、退屈じゃなかったか?」
「全然。いろいろ考えることはあるんでね」
「――しかしお前も真面目だな。俺だったら即サボるな。お前はいい生徒だ。越前」
「単に反抗するのがめんどくさかっただけ」
「――お前にテニスがあって良かったよ」
 高口がわしゃわしゃとリョーマの髪をかき混ぜる。
「本当はお前は俺の苦手なタイプだ。反抗はしないわ、かといって俺や他の先生に懐いたようでもない。――お前にはテニスしかないんだろう?」
「ウィッス」
「竜崎先生から話は聞いている。――俺はテニスをしている時のお前が好きだ。それから……いっぺん生徒を廊下に立たせてみたかったんだ。でも、今の時代、他の生徒にそんなことをしたら即問題になる。越前、お前をスケープゴートに仕立ててしまったな」
「スケープゴート?」
 堀尾が首を傾げる。
「いけにえの山羊、という意味ですか?」
 リョーマが答える。
「流石だな。越前。――やっぱりもういっぺん廊下に立たせてやりたい……ずーっと廊下に立たせてやりたい気分だが、それだとちとやり過ぎだからな」
「俺はそれでもいいけど」
「俺の授業はどうだっていいのか。ちくしょ――まぁいい。実は、今日の罰はお前がいつも寝ていたことも含まれていたんだがな」
「そうだったんだ。あれ、罰だったんだ」
「お前が教室を出て行った後、どこへ行くかお前の自由だったのに、お前は大人しく立っていたもんなぁ……お前は意外と負けず嫌いだと竜崎先生から聞いていたが、そうじゃなかったら俺はお前が心配になって来るところだぞ」
「――俺を試したんですか?」
 リョーマは少し硬い声を出した。けれど、それならそれで良かった。
「ん、それ程深い意味はないんだが」
「矛盾してるっスよ。高口先生。どう考えたって試しじゃないスか」
 堀尾が横から口を出す。
「いいんだよ。堀尾。俺が授業妨害したことは事実だし」
 跡部のことも考えることが出来たし――リョーマはひっそりそう思った。これだけは誰にも言えない――不二辺りには言ってもいいけど――リョーマの心の秘密。
「俺、高口先生のことわからないけど……高口先生は変な先生だね」
「む。そうかな」
「俺も思いますよー。何か、今回のことについては、高口先生の私怨も混じってるって感じだし」
 堀尾が援護射撃をする。
「――そうだ。俺にもストレス溜まることがあるからな。越前を立たせたのだって――俺は越前がずっと羨ましかったからな」
「俺、自分に正直な高口先生が好きです」
「皮肉か? 将来越前が有名になった時も、『中学時代の越前リョーマを立たせた先生』ということで少しは思い出してくれれば本望なのさ」
「――俺、こんな小さいことすぐ忘れますよ」
「ちっ、言うねぇ。流石越前南次郎の息子だ――確かに、お前は俺のことなど忘れちまうだろうさ」
 高口は笑みを浮かべながら、再びリョーマの頭に手を置いた。
「テニスは――身長が低くても出来るもんなんだな。今でも小さな巨人の風格を現わしているお前の成長した姿が見てみたいよ。じゃ、俺はもう行くな」
 高口は、これでもリョーマを廊下に立たせたことに引け目を感じているのだ。だから、廊下に立たせてみたかっただの、スケープゴートだのと言って、リョーマを煙に巻こうとしていたのだろう。悪いと思っても真っ直ぐに謝れない。
 照れ屋な先生。
 リョーマはくすりと笑みをこぼした。
 リョーマには、不思議と嫌な感じはしなかった。
(俺も、同じだからな――)
 もし、リョーマが先生で跡部が生徒だったら、きっと、リョーマは集中的に跡部を指名するに違いない。小さな嫌がらせもする。おいたをしたら廊下にだって立たせてやる。
 自分は跡部と関わっていたいから――。
(でも、きっと、跡部さんは簡単に答えてしまうのだろうな――)
 調べてみたところ、やはり跡部は成績優秀みたいだし。でなかったら、氷帝の生徒会長になどなれないだろう。例え跡部の家が沢山の寄付を学校に送っていたとしても――。いや、氷帝はそういうところではなかなかに厳しい学校みたいなのだ。
 実力がなければ、生徒会長など出来やしない。テニス部を束ねることも不可能だ。何より、跡部の異常な人気。
(あの人気――既に人間の域を超えてるっスもんね……)
 もし、跡部がリョーマの生徒だったら――。
 考えるだけでくらくらしてきた。それを気取られる程、リョーマは迂闊ではなかったが。
 けれど、家族や、目敏い友人達の中には、リョーマは恋をしている――そんなことを感じ取っている者もいる。
(まぁ、今は関東大会が優先だ――そんで、氷帝や……王者立海大も倒すんだ)
 だから、静まれ。俺の恋心。――リョーマは深呼吸をした。外の空気に快い緑の木々の匂いが混じっている。
 幸い、堀尾は見当違いのことを考えているらしい。リョーマの好きなのは竜崎か小坂田か――そんな風に思っているのだろう。
 ――確かに堀尾の感覚の方が普通なのだ。
 竜崎スミレと言えども、リョーマがライバル校の――しかも、去年の都大会で青学を倒したという因縁のある氷帝の、その生徒会長にリョーマが恋しているなどとは知りもしないだろう。
 そのスミレだが――。
 今日の部活でもやけに張り切っていた。
 打倒! 氷帝!
 スミレもリョーマも燃えていた。いつも飄々としているリョーマが熱くなれる時。それはテニスしかない。
 さっきスミレと目が合った時、スミレはリョーマの気持ちをわかってくれた。氷帝に勝ちたいという思いを。
 それに――こういう練習をしている時は、跡部への恋情も、無駄な思いも消え去る。リョーマはいつもより念入りにアップした。
 日本に来て良かった。青学に来て良かった。皆にもスミレの熱意が伝わったらしい。テニス部の部員達の力強い応援の声がグラウンド中に響いて選手達の士気を高めた。
 日本じゃないと、こういう部活動は無理だったと思う――テニス部の仲間達に、皆に会えた。アメリカを懐かしく思うことはあるが、その時は、跡部の燃える目を思い出すようにしていた。
 あの青い目。命を持った宝玉。あの目の持ち主を欲しいと心から思い、その熱意をテニスに思い切りぶつけた。

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2020.02.13

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