俺様の美技に酔いな 38

「行く行く! そういえばおチビの家行くのって初めてだにゃあ」
 菊丸がはいはい、と手を挙げる。
「俺はほぼ毎朝行ってるけどな」
 桃城が自慢げに言う。
「そういや、俺も初めてだな」
「僕も」
「僕も僕も」
 堀尾、カツオ、カチローが言った。この三人も確かに来たことはない。
「越前南次郎に会えちゃうんだな。俺ら――」
「別にそんなすごいもんじゃないよ。ただのエロ親父だよ」
 しかし、リョーマは少し得意げだった。身内を褒められて悪い気のする者はいない。
「俺は寿司屋で会ったことあるもんねぇ」
「菊丸先輩はただ騒いでいただけじゃん」
「うんうん。だからねぇ――越前のお父さんに話聞かせてもらうの忘れちゃったの。不二も呼ぼうか。後、手塚も。河村や乾も――海堂も呼んであげなきゃ可哀想かなぁ」
「いいんだよ。マムシは」
 桃城がぷいっとそっぽを向く。菊丸がにやりと笑う。
「――やっぱり呼ぶ」
「げぇっ!」
 嫌そうに言う桃城を見て、あはははは――と、一年トリオが笑う。それに、桃城だって海堂のことを本当に嫌な訳ではないのだ。――多分。
「大石も勿論呼ぶよー」
「副部長ならいいっスけど……」
 桃城が恨めしそうに菊丸を見る。
「でも、そろそろ氷帝戦だから、先輩達は体力とっといた方がいいんじゃないスか?」
 堀尾が言う。堀尾にしてみれば、親切で言ったに違いない。だが――。
「反対! 反対!」
「俺、越前を毎日送り届けに行くだけで、南次郎さんの話ってろくに聞いたことないんだぜ!」
 菊丸と桃城が勢いよく声を上げる。
「それに、話するだけだし! 俺は応援だけど、レギュラー陣は体力あるからいらん気遣いしなくていいんだぜ!」
「す……すみません、桃ちゃん先輩」
 リョーマがしおれた堀尾を見て、密かに笑った。
「あー、越前笑ったな!」
「ごめんごめん――あはは」
 掴みかかるふりをする堀尾に避けるふりをするリョーマ。その様子を見て他の部員達も楽し気にまた笑った。
 木造の部室。弁当の具材の匂いは散って行き、木の香りだけが辺りを包む。
 忘れない――リョーマは思った。
 皆で笑い合ったこの瞬間を、忘れない。これはテニスが齎した思い出だ。そして、テニスを教えてくれたのは、父南次郎だ。
(忘れない――)
 リョーマは初めて、跡部を可哀想だと思った。跡部は本当に孤独だ。こんな風に笑い合える友もいないのだから――。そう思いながら、リョーマは考え直した。
(あの人にだって、仲間は、いる)
 一筋縄ではいかなさそうなやつらだが。丸い眼鏡をかけた人とか、やたら髪の綺麗な人とか、男なのにおかっぱ頭の人とか。
 跡部の仲間に、リョーマは少しだけ嫉妬した。
 彼らは損得ずくで跡部の後を追っている訳ではない。やたら跡部に心酔している訳でもない風だった。彼らに囲まれて跡部は何を思っているのだろう。氷帝の生徒だというだけで跡部の傍にいられる彼らが羨ましくもあったけれど――。
 己にも仲間がいる。
 それに、女テニの小坂田朋香。竜崎桜乃。井村女史はリョーマのファンになると言ってくれた。
 楽しい時間。楽しい仲間達。
 ずっと、ここにいられると思っている。いや、思っていた。中学生の一日の時間は――長い。いつだったか高口が、
(俺の年になると一日が早く感じられるぞー)
 と言っていたが、リョーマはまだそれを実感出来る年ではない。手塚達の引退の時期が近付いていると聞いても、「ふぅん」と思うだけだ。
 だけど、高口はこうも言った。
(今になって中学時代の思い出が宝物だったなって思う日が来るんだ)
 堀尾が笑いながら、高口先生、クサいこと言うねー、と笑っていた。だが、今のリョーマにはほんの少しだけ、高口の気持ちがわかるような気がする。いずれ、リョーマにも未来より思い出の方が宝物になる時期が来るであろう。でも、それは今ではない。今ではないんだ。
 リョーマは走れる。だから、今は走り続けなければいけない。
(青春か――)
 そんな柄にもないことまで考えてしまう。仲間達に部活に恋。決まり過ぎているくらい決まり過ぎている。
 ただ、その恋愛の対象というのが男なだけであって――。
(跡部さん……)
 全部あなたのせいですよ。そう言って詰りたかった。あのきらきら陽光に透けて見える金茶髪を全部持って帰りたかった。
 だから俺は――心にバリカンを隠して練習をする。
 本当はあなたの心――心臓を持って帰りたかったけれど。……自分に猟奇趣味があるとは知らなかったが、跡部相手ならそれでもいいかと思ってしまう。
(これって、かなりヤバいんじゃないの? 俺……)
 これもあなたのせいですよ。――またこのフレーズを繰り返す。心の中で。
 あなたを――連れて帰りたい。
 氷帝の奴らはどう考えているのかな。あんな魅力的な跡部さんの隣で、どんな感情を抱いているのだろう。自分だったら耐えられない。恐らく、平気の平左という顔はしても。
 ウスの人――菜々子が惚れ、跡部の一番近くにいる樺地とかいう男はどうなのであろう。何となく、あの男に親近感が湧いた。
「おい、越前、越前!」
「うわっ、何?」
「もう授業だぜ。遅れるって」
「堀尾くん、ちょっと時計見せて」
 堀尾はカツオに時計を見せる。
「やっぱりだ――十分進んでる」
「えっ、じゃあ、十分得したってこと? やった! ありがとな。カツオ」
「いやぁ……」
 えへへ、とカツオが笑う。
「そういえば、カツオ、二組のあの子とはどうなったんだよ」
「え? 堀尾くん知って――」
「俺の情報網をあなどっちゃいけませんぜ」
 堀尾はちちち、と指を振る。
「それから、カチローは恵ちゃんだったよな」
「えっ、何で知ってんの? ――あっ、しまった!」
 どうやら恋愛話に移ったらしい。確かにみんな、そんな話題に興味津々な年ごろではあったけれど……。
「――くだらな」
 そうリョーマは呟く。自分の抱いている恋情に比べて、堀尾達の淡い恋愛話は児戯に等しかった。
「そういう越前はどうなんだよ。お前みたいなムッツリしているのが一番過激だったりすんだよな」
「――企業秘密」
 そう。言える訳ない。跡部が好きだなんて。跡部の肢体を腕にしたいだなんて――。
「小坂田とはどうなんだよー。それから竜崎も。竜崎のヤツ、絶対越前が好きなんだぜー」
「いいなー」
「桜乃ちゃんて可愛いよね。おばあちゃんに似てなくてさ」
「そうそう。ちょっとおどおどしたところが可憐でさ。でも、笑うと花の蕾が開いたように可愛くて」
「バアさんも昔は美女みたいだったけど、桜乃ちゃんは美少女って感じ」
「いいなー、おチビ~。俺も誰かに恋してみたいにゃあ~」
「菊丸先輩も結構モテるでしょ?」
 無視するつもりだったのに、つい話に入ってしまった。
「まぁね」
 菊丸は謙遜もせずに答えた。
「桃は?」
 菊丸の問いに、桃城は堂々と答えた。
「橘杏だ。レギュラーから外されて落ち込んだ時、随分助けられたぜ。彼女のおかげで弱点らしきものもわかったしな。あの橘桔平の妹なだけあってテニスも上手いぜ。それに――兄貴に似ず結構可愛いんだ、これが。杏とだったらミクスド組みてーな組みてーよ」
「いいな~、みんな楽しそうで。越前、こうなったらひとりものは辛いぜ同盟作ろうよ」
「それはいいけど――そろそろ本当に授業に遅れるかもよ」

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2020.01.20

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