俺様の美技に酔いな 36

「おー。旨そうな匂い。ここで弁卓囲んでたんだな。楽しそうだな」
 桃城がやって来た。桃ちゃん先輩こんにちは、とリョーマ以外の一年トリオが声を揃えて挨拶する。
「桃城……」
「あ、部長もいるんスね。今日は」
「ああ。決意を新たにしようと思ってな」
「俺もっス。不本意ながらランキング戦では乾先輩にやられちまいましたけど――」
「なら、次頑張れば良い。敗北で気づいたこともあるだろう?」
「はい! 杏も協力してくれました!」
「杏……?」
「橘杏っス。あのムッツリ橘桔平の妹っス。兄に似ず可愛い子なんですよ。これが」
 あー、惚気っスね。桃先輩――リョーマは自分のことは棚に上げて考える。でも、確かに橘杏は可愛かった。これが跡部のナンパした子かと納得できる程――。
 可愛い女の子に声かけるところは跡部も普通の男なんだなぁと、幻滅したことは置いておいても、何となく親近感は持つ。
 それにしても、跡部と戦うのは誰であろうか。
「跡部さんと対決するのって誰かな?」
 リョーマが食べ物を嚥下してから訊く。
「手塚部長じゃないかな」
「そうだよな。セオリー通りに行けば」
 カチローと堀尾が言う。カツオも無言で頷く。
 手塚は青学最強の男だし、跡部とは因縁もあるし。スミレもそれを考えているに違いない。――上手く当たれば、だが。
「……跡部さんとは俺が戦いたいな」
「何言ってんだよ、越前! 跡部は全国区のプレイヤーだぞ! お前だって敵わねぇよ!」
「そんなことないよ! リョーマくんは無敵だもん!」
 堀尾の言葉にカチローが反駁する。
「あー、まぁ、落ち着け。……俺だって跡部と戦いてーな。戦いてーよ。杏のこともあるし」
「おチビも桃も、あとべーと戦いたいんだね。俺は嫌だなぁ……」
「あ、それは大丈夫っスよ。菊丸先輩。跡部はシングルスプレイヤーだし」
「そっか。なら安心」
 堀尾の言葉に菊丸は全開の笑顔を見せる。菊丸は大石とダブルスを組んでいる。二人は黄金ペアと言われるほど息がぴったりだ。
「……桃先輩はレギュラーじゃないでしょ」
 リョーマが冷静に指摘する。
「だよなー。ああ、残念」
『残念』とは言いながらも、桃城はそんなに落ち込んではいないようだった。
(ふぅん)
 リョーマがぐびりとPontaのグレープ味をまた一口飲んだ。――確かに何か掴んだようっスね。桃先輩。手塚部長の言う通り。
 レギュラーには落ちても、そこから学ぶことがある。無駄な体験なんてこの世にはないのだ。
 ――それに、桃城は橘杏といたようだし。
 リョーマは思わずにやっと笑った。
「何だよ。越前」
 リョーマの視線に気づいたのか、桃城が声をかける。
「別に……」
 そして、また愛飲している炭酸飲料をぐびり。桃城がリョーマに言った。
「いいけどよ。Pontaと弁当って食い合わせ悪くね?」
「ほっといてください」
「だいじょぶだいじょぶ。越前は胃腸は丈夫だぜ。俺のようにデリケートじゃねぇから」
「堀尾、うっさい」
「あ、ごめんごめん」
 そう言いながらも堀尾は笑う。だから憎めないのだ。
「桃城。越前も体調管理ぐらい一人で出来る年だろう」
 ――手塚が正論を吐いた。
「――こっちにまで矛先が回って来たか……」
 桃城が短い髪をがしがしと掻く。
「いや、俺だってただちょっと気になっただけで、別に深い意味はないんスけどね……」
「ねぇ、部長。竜崎先生のオーダーまだなの?」
 桃城をスルーしてリョーマが手塚に訊く。手塚は答えた。
「――まだらしい」
「そっか。早く決まるといいな」
 ――そして、出来れば跡部さんと戦いたい。そんなに上手く物事は進まないかもしれないけれど。
 跡部景吾と戦う資格は手塚国光にも渡したくない。
(でもいいよね。手塚部長には不二先輩がいるし)
 不二は――優しくてとてもいい男だ。ブラコンとの噂が流れているが、兄弟思いと言って欲しい。弟裕太も兄貴に負けず劣らず正々堂々とした清々しい男だった。
(体の出来ていない裕太さんにあんなショット打たせる観月……非情なヤツだから、俺の弱点のことも知っているはず――それなのに……多分裕太さんは彼に逆らったんだ)
 もう一度、今度は鍛え直して更に強くなった裕太と戦える日を、リョーマは待ち望んでいる。
 それにしても、オーダーがまだ出来ていないとは――スミレも随分悩んでいるようだ。
(優柔不断とは程遠いあのバアさんがね――)
 不二はメールで、
『ジローという男と戦いたい』
 と書いてきた。返事は出さなかったけれど、よほど弟が大事なんだと見える。――氷帝の芥川慈郎は裕太を負かした男だ。
(ジローさんは任せたっスよ。不二先輩)
 リョーマは勝手にそう決める。リョーマがもしオーダーを作る立場だったなら、不二に敵を討たせたい。
 それよりもまず、突然の雨で不二との対決の決着がつかなかったことが残念だが――。
 不二は強い。裕太には悪いが、裕太より何倍も強いと思う。この男もくせもの――というより化け物だ。
 けれど、普段は優しい先輩で、皆に慕われている。テニス部どころか、クラスメートや先生にまで――。
 部長の手塚も跡部よりいい男だ。リョーマはそう思う。
 けれど――だからこそ、手塚に対しては恋は出来ない。あまりにもいい男過ぎて。跡部もいい男だろうが、手塚とは質が違う。
(何で跡部さんだったんだろうね――俺)
 何で跡部に惹かれたんだろう。何で跡部に恋したんだろう。何で――あの時ムキになってしまったのだろう。
 リョーマはストリートテニス場で跡部を挑発したが、跡部は乗って来なかった。あの時、リョーマは確かに期待したのだ。シングルスで跡部と決着をつけることを。――跡部が、自分と戦ってくれることを。
 望んでしまったんだ。自分には手の届かない跡部景吾の魂を。
「う……」
 リョーマがつい小さく声を出した。
「あ、越前。吐きそうか? なぁ、吐きそうか? そういう時はゲップと一緒にゲーッと出せ! ほら、そこの床に。俺らが掃除してやるから」
 堀尾が心配してくれている。――有り難い。けれど、そうじゃないんだ。
「越前。何か悩みでもあるんじゃないか?」
 手塚にはお見通しという訳か。
「いえ、何も……」
「そうか。それならいい」
 手塚は深く追求しなかった。その方がリョーマにとっても有り難い。
(こんな場合に恋の悩みなんて――)
 しかも、相手は男で、ライバル校のリーダーだなんて……。
 手塚はテニスの専門書を難しい顔をして読んでいる。桃城がつんつんと読書をしている手塚の背中を突つく。
「部長。弁当は?」
「食べた」
「そうっスか。あ、ウィンナーひとつどうっスかね」
「ありがとう。桃城」
 手塚が今一瞬、にこっと笑ったような気がした。――あの表情筋の固い男が……まさかね。
「俺もあげるよん。卵焼き♪」
 菊丸が弁当箱を差し出した。今度ははっきりと和んだ笑顔を見せた。――手塚は食べ物で釣られる男なのだろうか。
 いや、そうではない。手塚には桃城や菊丸の気遣いが嬉しいのだ。桃城も菊丸もそれをわかっている。
 厳格だが、柔らかいところもある男。それが手塚国光なのだ。不二との関係も他の人間からは穏やかに見守られている。
 リョーマは、スミレのオーダーについてひとつ頼みがしたいと思ったのだが、手塚は不正な手心を許す人間ではない。不二に対してだってそうだ。それに、決定権は顧問の竜崎スミレにある。勿論、手塚の意見は尊重するだろうが。

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2019.12.23

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