俺様の美技に酔いな 35

 関東大会も間近に迫ったある日の昼休み――。リョーマのスマホにメールが来た。
「ん……何?」
 メールは菊丸からだった。
『やっほー、おチビ~。元気してる~?』
 絵文字がいっぱいのメールに目がちかちかした。そういえば、不二はメールの返事が誰よりも早いという話だったが本当だろうか。――閑話休題。
『関東大会、初戦は氷帝だったよね。やだなぁ、あそこ嫌い~』
 氷帝!
 文字を見た途端、リョーマの胸が躍った。やはり不意打ちは心臓に悪い。関東大会には跡部も出る。跡部と戦うのは誰だろうか。
(まぁ、バアさん次第だけどね)
 バアさんとは、竜崎スミレのことである。跡部と戦いたい。けれど、スミレだって一年を跡部に当てる愚は犯さないであろう。いつぞやもスミレに言われた。今回はお前を補欠にしようかと思っている――と。まだ発表されないということは、未だに迷っているのだろう。
 というと――手塚が跡部と戦う可能性が高い。何となく、あの二人は、雰囲気――というか、においが似ているのだ。
 菊丸の文面はこう続いていた。
『今日は一緒にお昼しない?』
 リョーマはそれもいいな、と思った。今日の弁当には菜々子の作った芋の煮っ転がしがある。その味と匂いが舌の上に再現されてきて、リョーマは生唾を飲み込んだ。そして――早弁しなくて良かったと思った。楽しみは後にとっておかなくては――。

「こんにちは~」
「あ、菊丸先輩」
「先輩もここで食事っスか~?」
「そのつもりで来たんだよん」
 カツオ・カチロー・堀尾の青学一年トリオが弁卓を囲んでいる。ここはテニス部の部室。この三人はいつも部室で弁当を食べていた。堀尾曰く、
『先輩達にあやかってテニスが上手くなりますように』
 ――とのことらしい。それよりもっとやることがあるだろうが、と思うことはあるが――。
 堀尾は堀尾なりに一生懸命なのだ。それがわかっているから、何も言わない。ただ、こんな汗臭いイメージの部屋で物を食す気になるのがわからない。
「よぉ、越前。相手、氷帝だな」
「うん、そうだね」
 出来るだけ平静を装い、リョーマが答えた。けれど、ポーカーフェイスはリョーマの第二の天性になりつつある。桃城が頷いた。
 抽選会の結果は菊丸から聞いた。菊丸は不二が伝えてくれたと言う。その不二は手塚から教えてもらったに違いない。手塚と不二。やはりそれなりに仲が良いんだ。あの二人。
「でも、氷帝って強敵なんでしょう? 大丈夫かな」
 カチローがハラハラしている。
「大丈夫だって。青学は無敵だかんな」
 堀尾は箸を振り上げながら得意そうに言う。
「それに、俺も今度は都大会の時よりもっと頑張って応援するから」
「ありがとう。――でも、喉が潰れないように気を付けてよ」
 一年の三人がじっとリョーマを見つめた。
「な……何?」
「いや、越前が俺のことを心配してくれるなんてさ――」
「変?」
「変じゃないよ。リョーマくんは本当は優しいって知ってるから」
「俺は優しくないよ。俺はね――」
 そこまで言ってリョーマは口を噤んだ。リョーマは跡部に復讐をしたいから。
 自分の心を鷲掴みにして返さないことに対しての復讐。太陽をも従えてリョーマを魅せてしまったことの復讐。
 リョーマの心を奪ったことへの――復讐。
 しかし、この復讐は何と甘美なものを秘めていることか。
「へぇ……週刊プロテニス、中学生特集で跡部景吾のことやってるよ」
 ぴく、と耳が動いた。
「かっこいい人だね」
 カチローが素直な感想を述べる。
「なんの。テニスの腕はともかく、顔だけなら俺の方がかっこいいっつーの。なぁ、越前」
 どう思ったらそこまで自惚れることができるのだろう。堀尾はサル顔なのに……。堀尾の能天気さにリョーマは呆れた。けれど、堀尾らしい。リョーマは苦笑した。
「僕も……跡部さんの方がかっこいいと思う」
「何だよー。カツオまで」
 堀尾はむくれた。けれど、それは長くは続かない。堀尾は立ち直りの早い性格なのだ。
 リョーマにとっても、跡部は実は微妙な顔をしている。
 触角のような眉。右目の下の泣きぼくろ。整っているがかなり個性の強い顔だ。だが、それが跡部の魅力のひとつなのだ、とリョーマも認めざるを得ない。
「俺様の美技に酔いな」
 そう言った跡部の顔は、唯一無二のものだった。もう、この人は跡部景吾、世界でただ一人しかいない男、と言ったところか。
 跡部景吾、という名前も決まり過ぎてて少し気恥ずかしさを起こさせる。
 その跡部を倒したらどんな気分になるだろうか。きっと最高に違いない。そして――バリカンであの美しい金茶髪の髪を刈るのだ。
「ふふっ」
「あれ? おチビ思い出し笑い?」
 菊丸が弁当をもぐもぐさせながら訊いた。
「うーん。まぁ、似たようなもん」
「おチビ。氷帝絶対倒そうね。だって俺、あそこ嫌いだもん」
「うん」
 リョーマも跡部への恋はともかく、氷帝は好きではなかった。皆して偉そうでエリート面をしている。実は彼らもそんなに悪い人達ではない。でも、それをリョーマはまだ知らなかった。
「氷帝コールとかってね、すごいんだよ。うるさいくらい。あれ聞くと、ああ、ここはアウェイなんだって思い知らされるよ」
「ふぅん……」
 菊丸がそう言うくらいだ。きっと本当にすごいのだろう。
「どんな敵だって、倒すだけだよ。俺は――サル山の大将を倒したいんだけどね」
「サル山の大将?」
「跡部さ……跡部景吾のことだよ」
「ぶっ!」
 堀尾が吹き出した。カツオが文句を言った。
「汚いよ。堀尾くん」
「だって、跡部って氷帝テニス部の部長だぜ。二百人の部員を束ねている。それをサル山の大将って――越前、お前にギャグセンスがあるとは思わなかったぜ」
「そうかなぁ……」
 リョーマが首を傾げる。菊丸も笑っている。
「ナイスだよ。おチビ。ああ、お腹痛い……」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと笑い死にしそうになったけど……大丈夫だよ。おチビ――頑張ろうね」
「うん」
「俺達はあとべーなんかに負けないんだから!」
 菊丸が拳を差し出す。グータッチの合図だ。リョーマも菊丸と拳を合わせた。
 ガラガラガラ。――たてつけの悪い扉を開けて手塚が入って来た。
「お、お前ら……」
「はぁい。どうしたの手塚」
 菊丸が明るく訊いてみる。
「ちょっと……ここで精神統一しようと思ってな。誰もいないと思ったんだが……」
「手塚部長。ちょっと前にも俺達とここで会いましたよね。ほら、弁当の時間に」
 と、堀尾。
「そうだったな。俺が『こんなところで食事するとは場違いもいいとこだぞ』と指摘したその時に堀尾、お前が言った言葉が――」
「『俺達は先輩達を尊敬します。先輩達の名に恥じぬようにここで先輩達のオーラに包まれながら弁当食ってるんです』――確か俺はそう言ったんスよね」
 要するにゲン担ぎみたいなもんか。リョーマは堀尾に目を当てた。堀尾は気付いていないようだった。
「あれは本気だったのか――」
「それに、こいつらと一緒に食ってると遠足みたいで楽しいんだもん」
 堀尾はカチロー達とクラスも違うくせにいつもつるんでいる。リョーマだってレギュラー陣と一緒にいるのだから人のことは言えないが――何となく寂しい気もした。
「手塚部長! 部長の時も応援します!」
「――ありがとう」
「氷帝コールに負けないように、青学コール力の限り叫びますからね!」
 一年トリオを見た手塚の眼鏡の奥の目がふと優しくなったことを、リョーマだけが気が付いた。これは恋ではないけれど――。リョーマは手塚のような強くて優しい先輩に会えたことを感謝した。そして、彼に恋した不二の目の高さを改めて実感した。

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2019.12.10

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