俺様の美技に酔いな 34
逆光に照り映える跡部の姿。きらりと光る青い目――。
あんな美しい存在を見たことがない。そして、その彼が言ったのだ。
『俺様の美技に酔いな』
――ピピピ、チチチ。小鳥が鳴いている。
(また跡部さんの夢か――)
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。かえって爽快な目覚めである。ん~んっとリョーマは伸びをする。
跡部景吾。太陽の似合う男。あの男と試合出来たら、本望だ。
尤も、自分の恋心は挑発としてしか外に表すことが出来ないのだが。
「ほあら~」
「おはよう、カルピン」
「ほあら~」
リョーマは抱きしめてカルピンの匂いを嗅ぎたいという衝動に駆られた。けれど、それよりまず朝ごはんだ。随分腹が減っている。
その前にリョーマは一応スマホをチェックする。――あ、桃先輩からだ。
『青学は全国へ行く。その時までにはレギュラーに戻るよ。いろいろありがとな。越前』
それから、海堂からも来た。――何だろ。
『桃城の馬鹿がやたら張り切っていたようだが、お前のせいか?』
リョーマはぷっと笑った。海堂だって、桃城のことを気にしてはいたのである。桃城武と海堂薫。いいライバル同士である。
(将来はこの二人がテニス部を引っ張るのかな)
けれど、リョーマも手塚に言われたのだ。――青学の柱になれと。
(俺はなれるだろうか……青学の柱に)
そして――跡部の恋人に。
リョーマは跡部のことを諦めた訳ではなかった。あのきらきらした宝石を――手に入れたい。あのきらきらした存在が――欲しい。
「う~んっ」
リョーマは再び伸びをする。それに呼応するかのようにカルピンも鳴いた。
「カルピン。いつも元気でいいな。お前は」
「ほあら~」
カルピンはリョーマを和ませてくれる。ああ、本当に――。
カルピンと喋れれば、とリョーマは思う。カルピンはきっと優しいだろう。今だって、リョーマを元気づけてくれている。
「さ、いこ、カルピン。ご飯の時間だ」
「ほあら~」
「よぉ、起きたか。青少年」
「親父……」
南次郎が不思議な顔してこちらを見てる。
「何だよ。人のことじろじろ見て――朝っぱらから」
「んー、お前、成長したな」
あのことを言っているんだろうか。自分の精通のことを。
「――あんま変なこと言わないでくれる?」
「変なこと言ったのはお前だろうがよ」
南次郎が新聞(に挟まれたグラビアアイドルの雑誌)から目を離し、リョーマを見つめる。語るに落ちるとはこのことか――リョーマは不二に習った言葉を思い浮かべた。
「俺の言っていることは精神的なことだぜ」
「おっ、親父には……何かわかるの?」
「これでも親父だ。それにお前は俺に似ているからな」
「…………」
リョーマは無言になった。
「そう嫌そうな顔するなよ。傷つくじゃねえか」
「親父に傷つく程のデリケートさがあるなんてね」
「よせやい。俺を何だと思ってるんだ」
そして、南次郎は視線を下に落とした。
「――無駄なものは何ひとつねぇんだぞ。何ひとつな。だから、お前はひとつひとつの体験を乗り越えていけばいい」
例え、俺が男に恋をしても――?
リョーマが心の中で訊いた。南次郎の答えを訊きたい。――こういう時、南次郎は絶対茶化さないのだ。リョーマは父親を信じている。
(普段はグラビアと煙草が好きな生臭坊主だけど――)
南次郎が訊いたら怒りそうなことを密かにリョーマは思う。
でも、訊きたい。南次郎だったら何と言うだろうか――。
「親父、俺……」
――南次郎が慈愛の目をこちらに向けた。
「俺……」
――どくん。
リョーマを捉えて離さない跡部のあの瞳。でも、あの瞳はリョーマだけのものではない。
(跡部さん……)
あなたを捕まえて離さないように出来たらどんなにいいだろう。あの唯一無二の存在を手に入れられたら――。
(唯一無二の存在?)
――違う。この世には手塚国光という男がいる。彼に恋情を覚えたことは一回もなかったが――。それに、手塚には不二がいる。
(不二先輩、手塚部長――跡部さん。みんな幸せになれるといいのにね。――勿論、この俺も)
というか、リョーマは自分が一番だし。
話してみようか。南次郎に。それで、有効なアドバイスをくれないとも限らない。
それよりも、南次郎に聞いてもらうだけで良かった。小さい頃から憧れだった父親に。南次郎は、何でも知っていた。――リョーマが大人の階段を昇りかけていることも。
どっどっと煩いくらい鼓動を感じる。溢れるくらいの跡部に対する恋心。
「俺は……」
「リョーマさん」
「うわああっ!」
リョーマはびっくりしてのけぞった。声をかけたのは菜々子であった。
「あっ、びっくりさせた? ごめんね。おはよう」
「お……おはよう」
「リョーマ」
母倫子も来た。
「なぁに? 母さん」
「ちょっと遅くなったわね。食べるでしょ? 朝ごはん」
「もち」
「カルピンにもごはんあげなくちゃ」
「俺がやるよ。今日はアジの開き? 好きだったよね。確か」
「ほあら~」
カルピンに魚屋で買った自家製のアジの開きを与えると、カルピンはパクパクと美味しそうに食べ始めた。
「カルピン、普通の量しか食べないのにどうして太るのかしら――」
倫子がふぅっと溜息を吐いた。
「運動不足じゃない?」
「そうねぇ。それとも、このふかふかの毛皮のボリュームのせいで太ったように見えるのかしら」
「――それと牛乳」
「ああ。カルピンはミルクが好きだったわね。リョーマと違って」
「ねぇ、母さん――俺、本当に背丈伸びる?」
「――伸びるわよ。第一あなた、小学校を卒業してまだ間もないじゃない。焦りは禁物よ」
倫子はリョーマの額をとんと突いた。
「お父さんがね――リョーマのしたいようにさせてやれって。お父さんの方がずっとリョーマのことをよく見ていると思うわ。あ、あの――恋のことだって……誰が相手であろうと母さん応援してるわよ」
「――ありがと」
南次郎はやれやれ、といったように煙草に手を伸ばす。
「親父、煙草」
「――ん。……わぁったよ。お前が出て行ってから吸うよ」
あらあら、リョーマにかかっちゃ、お父さんも形無しねぇ――倫子はクスクスと笑った。
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2019.11.29
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