俺様の美技に酔いな 33

 どくん――……!
 リョーマの心臓が大きく跳ね上がった。
(何で――何でここに、跡部さん……)
 跡部と出会った衝撃は一瞬で過ぎた。だが、リョーマの目は跡部に吸い寄せられていて――。その他の連中は眼中に入っていなかった。
「お前が例の青学1年レギュラーか」
 知っていた! 跡部さん! 俺のことを!
 リョーマは改めてテニスをやっていて良かったと思った。
 リョーマは跡部をじっと見た。やっと、会うことが出来た。――さぁ、俺をアンタの美技で酔わせてよ。
「そこのサル山の大将。シングルスやろうよ」
 それは、跡部を見た時からのリョーマの悲願だった。
「あせるなよ」
「逃げるの?」
「関東大会で直々に倒してやるよ」
 ――拍子抜けした。はっきり言って。でも、楽しみは先に取っておこうと思った。
 バリカンは、あり、と。
 リョーマはバリカンをズボンのポケットの上から確かめた。あれで、あの鬱陶しい金髪を刈ってやる。でも、まずは関東大会で勝たなければ。
「行くぞ、樺地」
「ウス」
 樺地が楽々ラケットバッグを背負い込む。あの体格――本当に中学生だろうか。それに、顔立ちだってそう悪くない。
 菜々子は個性的な人が好きだと言ってたが――。
(なるほどね。性格は悪くなさそうだし、これで跡部さんの家来でなけりゃ――ね)
 リョーマの思いに密かに嫉妬が混じってはいなかったか。
 氷帝学園の生徒は帰ってしまった。一体何しに来たんだろう。敵情視察だろうか。ということは、青学はかなり注目されているということだ。
 尤も、ここに桃城やリョーマが来るとは知らなかったのかもしれないが。そして、その可能性は高い。
(なんだあれ……)
 リョーマは帽子を被り直した。
 跡部のあの青い瞳――顔もどことなく作り物めいていた。整形したんだと言われたら信じてしまうかもしれないくらい。けれど、彼には梟雄としてのオーラが漂っていた。
(跡部さん……)
 最初から彼しか見ていなかった。例え、跡部がリョーマに対して特別な感情を持っていなくても。
 跡部はきっと、リョーマのことなど何とも思っていない。多少意識はしていても。――ライバルとして。
「青学に帰るぞ。越前」
「また走らされんのかなぁ……手塚部長すぐ走らせるだもん」
「まぁまぁ、サボった俺達が悪いんだって」
「――桃先輩を呼びに来たんスよ」
「そうか……」
 桃城はリョーマの頭をかいぐりかいぐりした。
「や、やめてくださいよぉ」
「ははは……」
「でも良かった。桃先輩がいつもの桃先輩に戻って」
「ああ――橘杏と、それからお前のおかげだ」
「……早くレギュラーに戻ってくださいよ」
「わかってるよ。おかげで自分の悪いクセもわかったしな」
「――悪いクセ?」
「見かけで相手の強さを勝手に判断して油断するところだ」
「ふぅん。……ま、それがわかっただけで収穫じゃないスか」
「まぁな」
 その後、桃城とリョーマは手塚に100周走らされることになる。今までの最高記録である。走り終えた時は二人ともくたくたになっていた。

「リョーマ……機嫌良さそうだな」
 父南次郎が言った。今日は味噌汁とカルボナーラというややけったいな組み合わせである。リョーマは味噌汁の味と香りを堪能する。――リョーマは首を傾げた。
「そう?」
「――今日走らされたんだって? それにしちゃすっきりした顔してんな」
「桃先輩が元気になったからね。こら、カルピン。上っちゃだめだろ」
「ほあら~」
(それに、跡部さんとも会えたしね――)
 リョーマはほわんとした。
「ん? どうした? 恋でもしている顔だぞ」
「……そう?」
「恋人に会えたのか? ええ?」
(はい、やっと会えました)
 リョーマは心の中で呟いたが、南次郎に対しては薄く笑っただけだった。
「どうもおかしいと思ったら――成程、そういうことか」
 南次郎は一人にやにやする。そして、煙草を取り出す。リョーマが訊いた。
「煙草、吸うの?」
「吸っちゃダメか?」
「部屋がけむくなるよ」
「ちっ。リョーマも段々母さんに似てきたな。――喫煙者には辛い環境だぜ」
「少しは禁煙したら?」
「――まぁ、でも、大人の気晴らしってもんだ。今はお前が食事中だからやめとくぜ」
「うん。そうしてもらえると助かるよ」
「リョーマ……恋も大事だぞ。テニスも大事だがな」
「ん……」
 リョーマは上の空だった。
 ――あの人は美しかった。でも――あの時程のインパクトはなかった。
(リョーマ――)
 空耳が聞こえたような気がした。これはおかしい。恋心が脳に回って恋愛脳にしてしまったに違いない。
 ――まぁ、勿論、テニスが一番なのは変わりはしないが。
(八百屋お七――)
 お七は吉三に会う為に、江戸の町に放火するしか方法が見つけられなかった。
 自分にはテニスがある。それは何と素敵で素晴らしいことなのだろう。
「親父。俺、テニス好きだよ」
「そうか……」
「俺をテニスに出会わせてくれてありがとう」
 リョーマは真っ直ぐな視線で南次郎を見据えた。
「おう……いつになく素直だな。お前は」
 リョーマは、自分にしかわからない感情を味わっていた。跡部さん――まだドキドキしてるよ。
 今日は布団を汚さないように抜いて来よう。
 それにしても、あんなところに跡部が出てくるとは思わなかった。一度現れたことがあると桃城から聞いたことはあるが。だから、あそこにいたって何も問題はない訳だ。跡部がどこにいたって、リョーマには関係ないはず。なのに――。
(俺は――跡部さんと運命で結ばれているのだろうか……)
 ちょっと前ならあり得ないと断言出来たであろうその思い。今だってそんな夢物語は信じてはいない。けれど――跡部と繋がれたらこんなに嬉しいことはない。
 リョーマはノートのきれっぱしに、
『俺にはテニスがあって良かったです。お七にならずに済みましたから』
 花沢先生にはきっとわかってもらえるはず。
 そして――リョーマはパソコンを立ち上げ、跡部景吾のことを調べる。
 跡部はファンも多いがアンチも多い。あんな性格をしているのだから当然といえば当然だろうか――。だが、リョーマは跡部に人畜無害でいて欲しい訳ではない。
(跡部さん――やっぱり思った通りの人だ)
 女性には特に人気が高い。彼は数々の伝説を生みだした人物である。
 そして――青学とも因縁がある。
 去年まだ二年生だった跡部は当時の青学の部長を倒している。尤も、手塚も氷帝の部長を負かしたのだからおあいこだが。
 ――リョーマは桃城のことを考えた。桃城は規律を乱したかどで、ラケットは持てない、球拾いから始めなければいけない、だが――リョーマが見た彼はいつものように爽やかな笑みを浮かべていた。

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2019.11.18

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