俺様の美技に酔いな 29

 都大会。決勝戦。勝利の女神は青春学園――リョーマ達に微笑んだ。都大会の優勝校――勝者は青学!
 氷帝学園も5位決定戦に勝ち残った。だから、氷帝も関東大会に駒を進めることになるのである――。

 その日、リョーマはある出会いを果たしていた。山吹中、一年の壇太一。
 壇は亜久津仁に懐いていたようである。それに、亜久津は荒れてはいたが、根っこの方までは腐っていなかったらしい。でなければ、壇のような少年に慕われるはずがない。
「俺を目指したってその先に可能性はないぜ」
 そう言って亜久津はリョーマを指さした。
「待ってるみたいだぜ。お前を」
 そう――リョーマは待っていたのだ。壇太一が来るのを。リョーマとの出会いが亜久津を、そして壇を変えたようだ。リョーマも彼らと会ったことで変わったようだ。
 リョーマには壇の気持ちがよくわかる。だって――リョーマも同じだったから。
(跡部さん――なんだかんだあっても俺、アンタのプレイ見ることが出来て良かったっス)
 でなかったら、リョーマは井の中の蛙で終わっていたであろうから。
 いつか壇とも勝負したいな、とリョーマは思った。今のどんくさい壇ではなく、一人前の選手として生まれ変わった壇太一と。そして、その片鱗は既に見せつつある。
「ボクも、選手としてコートに立ちたい――いえ、立つです!」
 ――亜久津が笑ったような気がした。その時リョーマは亜久津の表情など見てはいなかったが、きっと笑っていた。
(壇……それに亜久津さん……待ってるから……)
 都大会の後、亜久津はテニス部をやめたと聞いた。けれど、リョーマは亜久津は必ず戻って来ると信じていた。テニスなんて、こんなわくわくするスポーツを手放せるものか。
 けれど、亜久津がテニスの世界に戻って来るには、もう少しの時間を必要とする――。

「リョーマ様!」
「越前!」
「小坂田に堀尾……来てたの?」
「ずっとお前の応援やってたろが。あー、声枯れたぜ」
 仕方のない奴だなぁ……リョーマは思ったが悪い気はしなかった。
「そっちの建物に自販機あるから――じゃね」
「あ、待てよ。越前。Pontaおごってやるよ。都大会優勝記念だ」
 堀尾が呼び止める。リョーマが振り向いた。
「ほんと?」

 Pontaグレープ味の甘い匂い。鼻を通り抜けていく。堀尾が呆れたように眉尻を下げる。
「お前グレープ味ばっかなのな。たまにはオレンジ味とか飲んだらどうだよ」
「俺はこの味と香りが好きなの」
「ふーん。俺はオレンジでいいな」
「勝手にしたら?」
「私はリョーマ様のと同じにしようっと」
 朋香は自販機のボタンを押した。
 あれ? なんかいつもいる奴がいない。リョーマはきょろきょろと辺りを見渡した。運動音痴のあいつ。方向音痴のあいつ。今頃困っているのではないだろうか。
「竜崎は?」
「スミレ先生に用があるみたいよ。私、リョーマ様探すって言ってきたから」
「そっか」
 竜崎桜乃――運動音痴で方向音痴の女の子。髪長過ぎの女の子。三つ編みがトレードマークの少女。
 彼女がボールを追いかけたのがきっかけで銀華中の選手と戦うことになったのだ。――それで銀華中との試合は不戦勝で結果オーライではあったけれど。
 もしかしたら、また迷っているのではなかろうか。――彼女だったら、あり得る。
「桜乃、遅いなぁ。スマホで呼び出しした方がいいかな」
 朋香が呟く。また何かトラブルに巻き込まれたのかな――リョーマは、はぁっと深い溜息を吐く。――でも、どこか放っとけないんだよね。
「俺、竜崎探す」
「待って。リョーマ様、私も――」
「あらあら、どうしたの? あなた達」
 井村先生と共にやってきたのは竜崎桜乃である。
「竜崎さん迷っちゃってて――連れて来たわ」
 やっぱり……。朋香の方に目をやると、彼女も口をぽかんとしていた。ずっと前からの友達なら、桜乃のことも知っているはず。目を離すとすぐトラブルの元を持ち帰ってくるんだから。桜乃に悪気はないとはいえ。
 引っ込み思案で大人しくて言いたいことも言えなくて――でも、それが一部の連中のカンに触るようである。スミレの孫じゃなかったら虐められていたであろう。
 それよりも――。
「井村先生、来てたんスか」
「ええ。生のテニスを見たくって。すごかったわね。山吹の亜久津くんとリョーマくんの試合」
「どうも」
「私もリョーマ様ファンクラブに入っていいかしら? 小坂田さん」
「いいですよ。仲間が増えるのは大歓迎」
「あの……」
 二人はリョーマなどいないように話している。堀尾など既に空気である。
「私、決定的瞬間撮ったんだけど見る?」
「わっ、見たい見たい。――きゃー! このアングルのリョーマ様最高!」
「小坂田さんならわかってくれると思ってたわぁ。私、少しテニスに興味を持ってきたんだけど?」
「桜乃なら女テニだから参考になるんじゃないでしょうか?」
「え? ――私なんてまだまだ下手っぴぃだし……」
「そうだね。やめておいた方がいいよ。女テニじゃなくても小坂田の方がテニス上手いんだし――」
「そっかな……」
 リョーマの言葉に朋香は少し頬を染める。朋香は弟の世話で女テニに入っていない。勿体ないことだとスミレもこぼしていた。
「あっ、でも、桜乃も頑張ってるよ」
「朋ちゃん……ありがと」
 桜乃がほわっとした笑顔を見せた。堀尾がにやにやと笑っていた。
「何見てるんだよ。堀尾――」
「いやぁ、流石越前、モテるなぁと思ってさ――」
「やめてよ。小坂田とか竜崎とか、そんな対象には見てないんだから――それに、竜崎はモテんだから俺のことなんか眼中にないと思うよ!」
 リョーマはムキになった。堀尾は笑いやめない。
「カチローとカツオがいないのが残念だな。これからもこのネタで越前からかってやろうっと」
「いい加減にしてくれよな。堀尾――」
 堀尾は悪い奴ではない。ただ、少しお調子者なだけなのだ。一方的にリョーマをライバル視しているところもある。
「越前くん、ほんとにすごかったわねー。ルールとかわかんなかったけど」
 井村はあっけらかんと言う。――ここまで初心者丸出しだといっそ清々しいかもしれない。リョーマが苦笑した。
「でも楽しかったわ。亜久津くんも変わってたし」
「お気楽でいいなぁ、井村先生は」
「だって、私テニスに興味持ったもの……越前くん、君のプレイ見てね」
「そうそう。私もなの」
「ほんと? 小坂田さんも? なら私達仲間ね」
 朋香は井村とハイタッチをして喜んでいる。二人とも本気でリョーマの追っかけを始めそうだ。騒々しいのが増えるのは困るな――リョーマが目を瞑っていると。
「リョーマくん……」
 桜乃が話しかけて来た。
「あの……活躍したね。かっこよかったよ」
(――ふぅん。小坂田と井村の間には入れないようだったけど、竜崎もちゃんと応援してくれてたんだな。俺のこと。――有り難いって、こういうことを言うのかな)
 リョーマはPontaの残りを飲み干した。
「あれ? リョーマ様嬉しそう。さては……リョーマ様、桜乃のことが好きなんでしょう!」
「え、え……?」
 朋香のセリフで桜乃が狼狽える。
「いいよ、桜乃とリョーマ様なら。どっちも私の大切な人だから」
「あの……私は既婚者なので、お二人の恋を遠くから暖かく見守るつもりですよ」
 朋香と井村が言う。なんか誤解がありそうだ。確かに桜乃のことは憎からず思っているが――リョーマは帽子のつばをいじる。スミレが、もう帰るよ、と呼びに来てくれた。

「先行っててください」
 リョーマが言う。――そして、壇太一を待った。あの少年も必ずここに来ることを知っていたからだ――。

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2019.10.04

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