俺様の美技に酔いな 24

 いけない。つい自分だけの思いに浸ってしまった。リョーマは朋香に返信する。
『オレなんか王子様なんて柄じゃないよ』
『そんなことないよ。皆言ってるし。少なくとも、あたしにとっては王子様だもん』
 王子様、ね――。
 自分程王子様なんて呼称の似合わない人間はいないと思うが。どちらかというと――サムライ? 父南次郎は現役時代サムライと呼ばれていたし、リョーマだってサムライと呼ばれた方が嬉しい。
 ――だって、その方が何かかっこいいし。
 王子様――跡部だったらしっくりくるかもしれない。いや、あの人はどちらかというと王様だろうか。太陽でさえ従えてしまう王様。
 慕わしさと鬱陶しさの両方を想い起こさせる。
『あ、リョーマ様、弟達が起きた。もっと話したいんだけどなぁ』
『学校で話せるじゃん』
『うん。また会おうね。今日は楽しかった。桜乃もいたしね』
『俺も楽しかった』
 ――調子に乗ってる奴らボコれたしね。
 勿論、それは口には出してない――というか、スマホには書かない。朋香がそういうのを気にする女子でないとしても。
(都大会の準決勝が控えてるからね――テニス部に迷惑かけたくないし)
 いつ朋香が口を滑らすかわからない。先輩達にだって迷惑をかけたくはないのだ。リョーマも。
(小坂田って口軽そうだもんな)
 そんな失礼なことをリョーマは思う。
『じゃあね。リョーマ様。元気でね。都大会、応援してるからね』
『必ず優勝するよ』
 LINEから退室して見上げると、南次郎がにやにや笑っていた。
「どうだった? カワイ子ちゃん達に囲まれて――女もいいもんだろ」
「ふん……」
 カルピンがリョーマの腕の中に飛びついた。
「おっと」
 リョーマが抱きとめてやる。
「カルピンも――雄だよな。なぁ、リョーマ。お前の意中の相手ってもしかしてカルピンか?」
 南次郎は無精髭をなぞりながらまたにやりと笑う。
「さてね――」
 カルピンはお日様の匂いがした。
「ほあら~」
「まぁ、カルピンだったら安全だけど――どうやらそうじゃなさそうだな……」
「俺もカルピンは好きだよ」
 南次郎の疑問にリョーマは答えてやった。
「ほあら~」
「おいで、カルピン。洗ってやるよ」
「ほあら~」
「恋よりもカルピン、か……」
 南次郎は些かほっとしたようだった。彼は息子リョーマの跡部に対する懊悩をまだ知らない。知らない方が幸せだということもあるのだ。――思春期の男子は親が思っているよりも大人であるのに。
 それを、南次郎も知らない訳はなかったろうが、今は忘れていたようだ。
 南次郎の目に映っているのは、生意気だが可愛いらしくもある息子のリョーマであろう。
「あ、お帰りなさい。リョーマさん」
 菜々子が言う。その声で倫子が振り向く。
「あら、リョーマ、帰ってたの?」
「ただ今。菜々子さんに母さん。シャワー浴びていい? カルピンと」
「いいわよ。まだお風呂は沸かしてないけど」
「風呂は後でいいよ」
「もうすぐ都大会準決勝ね。――父さんには悪いけど、お風呂湧いたらリョーマに先に入ってもらうわ」
「ううん。親父が先でいいよ」
「遠慮することなんかないのよ」
「うーん……」
 うっかり風呂場で跡部のことを考えないようにしよう――リョーマはそう思った。本当は先に南次郎に入ってもらった方が気が楽なのだが。
「母さん、俺さ……」
 倫子は鼻歌を歌って料理をする。リョーマの声はかき消された。
(跡部さん……)
 ついに都大会では戦うことのなかった氷帝。というか、不動峰が強かったのだ。無名校でノーマークだったと言えど。
(今年の不動峰は強かったね――選手が粒ぞろいだったよ。参ったね。何であんなに強くなったのか――)
(不動峰は問題のある中学として有名だった。先生は一年の言うことに耳を傾けないし、先輩は後輩を虐げるし――)
(荒れてるって評判だったですわね)
(何だか、橘という男が入ってから、テニス部の雰囲気ががらりと変わったそうで――)
 職員室でかわされていた言葉。リョーマもしっかり覚えている。――日直の仕事をしていた時に聞いたことだった。
 氷帝が大したことない――というより、不動峰が変わったのだ。来年の不動峰も楽しみだ。
(やるじゃん。不動峰)
 けれど、氷帝とも戦いたい。結局跡部は今まで戦わなかった。彼の実力を再び目の当たりにしたい。
 ――跡部景吾の美技に酔ってみたい。
「ま、勝つのは俺だけどね」
「なぁに? リョ―マ」
「勝利宣言」
「何それ」
 質問した倫子が、ぷっと吹き出した。
(頑張ってね。跡部さん――俺と戦うその日まで)
「ほあら~」
 カルピンがたしたしとリョーマの脚を叩く。早く風呂に連れていけと言いたいのだろう。猫は普通風呂が嫌いだと聞いているが、カルピンは特別なのかもしれない。
「行こう、カルピン」
 カルピンが同意するように、
「ほあら~」
 と、答えた。

「あー。さっぱりした」
 汗を流してリョーマはほっとした。
「ほあら~」
「ほらほら。カルピンも洗ってやるから」
 リョーマはいつものようにカルピンを丁寧に洗った。カルピンはうっとりしている。カルピン、この間は猫用シャンプーを見せると逃げ出したくせに、今回は気持ち良く洗わせてくれる。
「痒いとこない?」
 リョーマは床屋の真似をして訊く。
「ほあら~」
「『ほあら~』じゃわかんないよ……」
 奇跡でも起きない限り、カルピンの言いたいことはわからないな、と思うリョーマであった。それは、カルピンの考えていることがわかったらさぞかし楽しかろうとは思うけれど――。
(まぁ、文句言われないだけいいか……)
 リョーマはわしゃわしゃとカルピンの体を洗っていく。カルピンはご満悦のようだ。
(俺なんかより……カルピンの方が王子様みたいだな)
 猫の世界の王子様。錫杖を持って冠を被ったカルピンを想像して、リョーマはつい笑ってしまった。
「あはは……」
「ほあら~?」
「カルピン、王子様になりたい?」
「ほあら~」
「俺のことね、王子様だっていう人がいるんだよ。おかしいよね。この俺が王子様だなんて――」
「ほあら~」
「カルピンと話せたらなぁ……」
 リョーマのこの願い。それは――年相応のものであった。カルピンはきっと、何かアドバイスしてくれるに違いない。けれど、カルピンは猫だ。何を思っていたにしても、それを直接リョーマに語ることは出来ない。それが、リョーマにはひどく寂しく思えた。

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2019.08.06

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