俺様の美技に酔いな 23

 南次郎の運転する車が風を切って走って行く。南次郎がリョーマの方を見た。リョーマは気が付いていたが、わざと窓の外に顔を向けたままだった。
 ――空気が澄んでいる。
「おう、リョーマ。テニスは楽しいか」
「うん」
 ゴオオオオ――大型トラックが走って行った。少し排気ガスの臭いがする。
「ま、そんならそれでもいいけどよぉ――お前、ちょっと前、様子が変だったからよ。でも、ま、この分じゃ大丈夫そうだな」
 エロ本をこよなく愛する、生臭坊主の南次郎。昔は世界のテニスのトッププレイヤーだった父。
 それでも、リョーマを親として愛していたのだ。リョーマを倫子と一緒に育てて来た。
(ありがと、親父――)
 そしてリョーマは、今はアメリカにいるはずの兄に想いを馳せた。
(リョーガ兄貴……)
 明るくて頼りになった兄。軽そうでいて、頭の良かった兄。――リョーガが兄で本当に良かったと思ったのは一度や二度ではない。いや、常に思っていた。
 ただ、唯一不満なのが最後まで真剣勝負してくれなかったことで……。
 いや、あのオレンジに書いてあったじゃないか。テニスを続けていれば、俺らは必ず会えると。
 どうして兄が叔母に引き取られることになったのか、自分と兄の関係が本当はどんなものなのか、まだわからないけれど――。
 いつか、話してくれるよね、兄貴――リョーマは二人で過ごしたロサンゼルスの青い空を思い出す。
 最後に届いた葉書にはリョーマそっくりのリョーガの顔が……。リョーマが数年後にはこうもあろうという姿だった。明るいところは相変わらずだった。自分より南次郎の血が濃く流れているような兄である。
(どうしてるかな――俺に好きな人が出来たと知ったら、びっくりするかな)
 まぁ、今の時点ではリョーガには言わないつもりだけど――。
 兄には恋人が出来ただろうか――。
 リョーマにとって、リョーガは世界一いい男だ(跡部除く)。テニスも上手かった。リョーガ兄貴はテニス、辞めてないよね。――それだけは信じてるよ。
 恋人がいるって言ったってリョーガだったら頷けるけど。テニスが恋人、という可能性も有り得る。今のリョーマのように。
 青春学園も頑張ってるよ。兄貴。リョーマはひっそりと遠く離れた兄に語りかけた。
「何ぼーっとしてる。青少年」
「俺のこと心配するより、ちゃんと運転してよ。親父」
「はいはいっと。――お前も母さんに似て来たねぇ」
「母さんに似て来るなら本望だよ」
「言うねぇ、お前も。ま、母さんもお前を可愛がってるからいいか」
 リョーマは南次郎に兄のことは訊かないことにした。どうせ、今の時点では答えてくれそうにないから。
 そして、リョーガはリョーマの兄だった。その事実で充分。
 時期が来れば、いずれ、何もかもが、わかる。
「おう。沢山ボールもらったけど、どうするよ」
 南次郎が訊く。
「ボールは消耗品だし、有り難く使わせてもらうよ」
 リョーマが答えながらふっと含み笑いをした。
「いっちょ前な顔つきになりやがって」
「親父、前、前」
「おっと。あぶねぇとこだった。サンキュな、リョーマ」
「親父……もう運転辞めたら?」
「まだそんな年じゃねぇよ。けど――そうだな。リョーマは運転したいか?」
「――したいね」
「好きな子とデートとか?」
 好きな子ねぇ……例えば跡部さんとか? リョーマは心の中で密かに呟く。でも、多分十八になったら跡部も運転免許を取るだろう。
 ――それよりも、今はテニス。
 車は密かにリョーマが危惧していたように事故に遭うこともなく、無事家に着いた。
「おーい、ボール運ぶの手伝ってくれー」
「わかったー」
 リョーマは物置からボールのかごを取り出した。前に掃除をしていた時、あったのを思い出したのである。
「おー、便利なのがあったじゃねぇか」
 南次郎はポイポイとボールを投げ入れていく。――コロコロとひとつのボールがリョーマの足元に転がる。そこにはリョーマと思しき男の子の絵が描いてあった。
 朋香か桜乃か知らないが(多分朋香だと思う)、これを描いてくれたのだろう。リョーマは少し嬉しくなった。
(俺なんかの顔なんて描かなくていいのに――)
 けれど、よく特徴をとられていて、リョーマは吹き出した。
 ――やるじゃん。
「おー、どうした。青少年。にやにや笑って」
「……親父、これ」
 リョーマは南次郎にテニスボールを投げて渡した。
「おお、よく描かれてんな。なかなか可愛いな。デフォルメされているからかな。――うちの小僧よりいい男じゃねぇか」
「親父、一言余計」
 だけれど、リョーマもそう思っていた。ひとつは桜乃に渡したから、もうひとつは朋香に返すつもりだ。
 南次郎がリョーマの絵を眺めているうちに、リョーマがLINEに繋いだ。
『小坂田ー』
『りょ、リョーマ様っ?! 嬉しい!』
『あのさ、俺の絵が描かれたボール、見つかったんだけど』
『そうなの?! あ、桜乃がね、リョーマ様印のボールもらったって! 羨ましいなぁと思ってたとこだったの!』
『なかなかよく描けてんじゃん』
『そう?』
『描いたの小坂田?』
『そうだけど。リョーマ様に褒められて嬉しい~』
 そして、ぽぽぽと赤くなった猫のスタンプが。スタンプは喜怒哀楽を表すのに便利だ。リョーマは滅多に使わないが。カルピンのスタンプだったら欲しいかな、と思う。
『今から届けに行く?』
『――あ、弟達がいつ起きるかわかんないけど……リョーマ様とも会いたいなぁ。くぅっ!』
『また学校で会えるよ』
『ほんとかな~』
『何だよ。小坂田。学校ぐらい俺でも行くよ』
『あ、あのね、リョーマ様……リョーマ様って、学校生活似合ってて似合わないなぁと思ってて』
『何だよ、それ』
 リョーマはおかしくてつい笑ってしまう。
『なんか、遠い人なんだよね~、リョーマ様。絶対ここでは終わらないっていうか。私、リョーマ様がいつか手の届かないところに行っちゃうんじゃないかなって心配しちゃう』
(う……)
 何だか小坂田朋香は怖いほど鋭い娘だ。リョーマが好きだから、だけではないのだろう。
 リョーマはある決意をしている。全国大会で優勝したら、アメリカに舞い戻って武者修行しようと考えている。勿論、南次郎にはまだ内緒だ。――倫子や菜々子にも。
 ここ、日本に自分につっかう相手はいるだろうか。
 ――いる。跡部景吾だ。
 それに、跡部以上に強い人間もいっぱいいる。そして、絶対立海大には勝ちたい。幸村精市という、謎の美少年の率いるテニス部に。尤も、幸村は病気だと聞いたが。
(まぁ、氷帝に敵わないんじゃ、立海大に勝つなんて夢のまた夢だけどね……)
 その氷帝は不動峰に負けたけど。
(まだまだだね――)
 ――跡部も大したことはない、とは言わない。その試合に跡部は出ていないのだから。
 氷帝は5位決定戦で聖ルドルフと当たる。どちらが勝っても構わない試合だ。ルドルフが勝ったら不二裕太と再び戦えるし、氷帝が勝ったら――跡部とも対戦出来るかもしれない。
(いやいや。美味しいところは先輩に持っていってもらうのが筋だしね)
 けれど、跡部と覇を競えるというのは、誘惑じみた魅力を持っていた。
(裕太さんとまた戦うのも楽しみだけど――観月とかいうオカマも凹りたいし)
 けれど、リョーマは確信していた。5位決定戦で勝つのは氷帝だと。氷帝が負けたなら――それはその時のことだ。
(氷帝……跡部さん……)
 ぴこーん、とスマホが鳴った。小坂田朋香と話していた途中だった。
(しまった――)
 朋香は不審に思ったのではあるまいか。不審に思われても構いはしないが、跡部や裕太達のことを考えている途中だったということがバレると、何となく気恥ずかしい。
 リョーマは過去の朋香の文を手繰ってみる。こんな文章が現れた。
『まぁ、仕様がないもんね。リョーマ様って、テニスから選ばれた王子様だし』

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2019.07.26

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