俺様の美技に酔いな 20

『そいつはありがてぇ――と言いたいところだが、杏もモテるからな』
「何? ライバルいんの?」
『不動峰の神尾アキラ』
「ああ、あの鬼〇郎……楽勝じゃない?」
『いや、あいつなかなか手強い相手って――そういう話じゃねぇんだろ? 越前』
「ん、ああ。跡部さんの件に関してはすみません」
『何で跡部のことでお前が謝るんだよ』
「きつくお灸を据えてやりたいんで」
『そうだな――越前なら出来そうな気がするな』
 ――後ろで不二がクスッと笑ったのに気を取られ、桃城のその台詞は聞き逃した。
 スマホを切ると不二がまた笑った。
「まるで女房か旦那様だね。越前ならどっちもこなしそうな気がするな」
「――まぁ、跡部さんとは正式に知り合ったことはないんですけどね。跡部さんは俺のことちっとも知らないだろうし」
 越前リョーマは間違えていた。
 それは、例によって岬公平が絡んでいるのだが――閑話休題。
 不二とリョーマは弁当を広げる。いい匂いが鼻孔をくすぐる。倫子の作った弁当が美味しい。だが、不二の弁当は――。
「先輩、何スか? それ」
「ん? お弁当だけど?」
「――いやいやいや、普通の弁当、そんなに真っ赤じゃないんで!」
 それに何だか酸っぱい香りがする。
「そう? 母さん特製のキムチ弁当なのに……」
「……クラスメートにキムチ臭いって言われない?」
「僕は気にしないよ」
「手塚部長は気にするかも」
「手塚はそんな奴じゃないよ」
 不二の表情が気色ばむ。――と言っても、ほんの少し眉間に皺が寄ったくらいだが。しかし、不二の恐ろしさを身に染みてわかっているリョーマには、
「すみませんでした……」
 と、謝るしかなかった。
(不二先輩のクラスメートも苦労するだろうな……)
 リョーマは酸っぱいにおいの漂う教室で授業している不二のクラスの生徒に密かに同情した。
「菊丸はちょっと文句っぽいこと言ってたけどね……」
「――菊丸先輩の気持ち、わかります」
「話を変えよう。跡部に関する感情……それは恋なんだね」
「よくわかりませんけど、多分……」
 あんな人に恋などしたくなかった。でも――俺達は出会ってしまった。
 いや、跡部は自分のことなど少しも知らないのだが――。
「跡部と……話したことある?」
 リョーマはふるっと首を横に振った。
 跡部と話が出来たら、どんなにいいだろうか。例え、話が合わなくて喧嘩別れしたとしても――。
「――辛い恋だね」
 不二は全てを察したようだった。不二も手塚に恋している。だからだろうか――。
 恋などまだしたくなかった。でも、あの跡部にリョーマは恋をした。
 太陽の光を浴びて輝く跡部――何度も何度もリピートする。脳内で。
 あの人と、戦いたい。それで、絶対勝ちたい。
「不二先輩――俺、負けたくないっス。あの人に」
「跡部以外にも強い選手はごろごろいるよ」
「…………」
「特に、跡部に勝ちたいんだね」
 不二の顔がいつもの柔らかい笑みをたたえた顔に戻る。
「でも、他の人にも勝ちたいっス」
「――越前は負けず嫌いだからね」
「不二先輩は?」
「僕もだよ。――いつか、手塚に勝ちたい」
 そして、二人は顔を見合わせた。彼らは同類なのだ。
「手塚先輩は強敵っスよ」
「わかってる」
 リョーマの言葉に不二は頷く。頑張れ、不二先輩――リョーマはそう思った。仲間として、同族として。
「おーい、越前」
 ドアを開けた者がいた。掘尾だ。
「やっぱりまだここにいたんだ。あのさ――放送聞かなかった? 花沢先生が呼んでたぜ」
 花沢昌子が越前を呼び出すと言ったら、理由はひとつしかない。――八百屋お七のことだ。
「行っといで。越前」
「不二先輩――花沢先生が俺を呼び出すと言ったら、八百屋お七のことなんでしょうけど、不二先輩も来ます?」
「いや、いいよ。邪魔しちゃ悪いから」
「そうスか――ありがと。掘尾。呼びに来てくれて」
「何水臭いこと言ってんだよ。俺の方こそ邪魔しちゃったんだし」
 堀尾が鼻の下を擦る。リョーマは職員室へと向かった。

「――越前くん。もうすぐ都大会よね。頑張って」
「ウィース」
「それから、八百屋お七のことだけど――吉三のその後が気になるのね」
「はい」
「私も君の書き込みがきっかけで吉三のこと調べてみたんだけどね――落語では死んだお七を可哀想に思った吉三が川に身投げしたんだって」
「ふぅん――」
「それから、吉三が僧となって名を『西運』と変えて、諸国を行脚したり、「お七地蔵尊」を作ったりしたという話も――どうしたの? 越前くん」
「今、吉三が坊さんになったって言いましたよね」
「――それがどうかしたの?」
「吉三は丸坊主になったの?」
「さぁ――そこまでは知らないけど……」
 花沢が困ったように髪に手を遣った。
(跡部さん、俺は、アンタに勝ってアンタを坊主にする!)
 リョーマは改めて誓いを立てた。
 それは、あの美しい髪を切るのは残念な気もするけど――でも、お七の死後、吉三のお七にかけた情熱を思えばそれぐらい――。
 ――それに、丸坊主にするわけでもないから……。
「ありがとうございます。花沢先生」
 この話を少しでも研究出来て良かった――リョーマはそう思った。
「ううん。こちらこそありがとう。八百屋お七って、なまじ有名な作品だから、『へぇ』って思うこともいっぱいあったわ。楽しかった」
「俺の方こそ――」
 リョーマが手を差し出す。花沢がぐっと手を握りしめた。
「都大会、応援行けないけど、頑張って」
「ウッス」
 リョーマは胸の中で思った。俺は間違ってなかった。バリカンであの髪を刈ろうとしたことは間違いではなかった。
 自分は八百屋お七ではないし、跡部も吉三ではないけれども――。
「いろいろ参考になりました」
「いいえ。越前くんが古典に興味を持ってくれれば、こんな嬉しいことはないわ」
「花沢先生、八百屋お七の話ですか」
「そう――高口先生も興味ある?」
「是非聞きたいですな」
 高口はコーヒーを片手に八百屋お七談議に花を咲かせている。
 ――部活の時間、リョーマはいつもより熱を込めてテニスの練習に励んだ。「頑張れよ」と、部室で堀尾が肩をどやす。勿論、手加減してだが。カツオとカチローも「リョーマくんだったらどんな相手にも勝てるよ」と保証してくれた。

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2019.06.21

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