俺様の美技に酔いな 2
リョーマは湯船に浸かってふーっと息を吐いた。菜々子の言う通り、湯加減はちょうど良かった。
(そういえば竜崎は――菜々子さんに似ている)
リョーマは思った。それに桜乃は可愛い。ふと心が動いたこともあった。――三つ編みは長過ぎるけど。
でも、今は――。
リョーマは勢い良く頭を振るった。髪に着いた水しぶきが辺りに飛び散る。さっき髪を洗ったのだ。
「――まだまだだね」
リョーマは急いで心を鎮めようとした。カルピンが入って来た。
「何だよ。カルピン。入って来たのかよ。俺は今、それどころじゃないって言っただろ?」
「ほあら~」
「わかったわかった。菜々子さ~ん、カルピンお願い」
「はいはい。ほら、カルピン。リョーマさんの邪魔しないでね」
「ほあら~」
菜々子がパタンと脱衣所の戸を閉めた。
やっと一人になれた。
考えるのはあの人のこと。
俺様の美技に酔いな。
これ以上ないくらい恥ずかしい言葉。この人はもしかして性格悪いとまではいかないまでもかなり痛いんじゃないかと思われる人。
しかし、それを上越す、魅力、魅力、魅力――。
(うわっ!)
やばい、立ってきちゃった!
風呂場で抜く訳にはいかないし、困ったな……。
先月精通を迎えてから、リョーマは時々困った立場に立たされる。
(俺はもっと遅くなると思ってたのに――……認めたくないけどチビだから。背丈はこういうのには関係ないんだな――……)
あの人はどうなんだろう、とまた考える。あんな立派な体格なんだ。精通なんてとっくに迎えたに違いない。それとも、やはりこういうのは体格には関係ないんだろうか。
あの人何年だ? かなり背が高かったから、三年か――?
あ、岬センパイが『跡部景吾はテニス部の部長なんだ』って言ってたっけ……。生徒会長もやってるって話だった。
何だかよくわからないけど、チートな人だな。
リョーマは自分に後20センチ上背があれば――と思った。背が伸びれば、自分だってあの人を抱けるかも……。
(うわーっ! うわーっ! うわーっ!)
自分の考えに悶えてしまってリョーマはお湯の中に顔を埋めた。ぶくぶくと吐いた息が泡になる。
「おーい、青少年」
また邪魔者だ。
「何だよ……親父……」
「久しぶりに一緒に入んねぇか?」
「だめーっ!」
そう、ダメなんだ。他の時ならともかく今だけは――。男相手に後ろめたい妄想やっているものだから……。
それに、勃起したあれを見られたくない!
「何だよ、つれねぇなぁ。男同士なんだからいいじゃねぇか。年頃の娘でもあるまいし」
「と……とにかく今はダメ!」
「あ、そうだ。母さんには謝っておいたぞ。リョーマ。母さんは一応許してくれた。――湯船は汚すなよ。俺はまだ入ってないんだからな」
「はいはい」
わざと気のなさそうな返事をすると、あれも少しは治まって来た。
(親父、ごめん。エロいとか、馬鹿にして――俺なんか男に欲情する変態だし)
うー、のぼせてきた。
でも、もうちょっとで元通りになる――……男って何て厄介なんだ。女もだが。
(跡部さん……)
リョーマは初めて跡部景吾を跡部さん、と呼んだ。心の中でだが。
岬センパイ、跡部さんと会わせてくれてありがとう。俺も、跡部さんの美技に酔ったみたい……。金茶色の髪が灼熱の炎となった瞬間に。
「はーっ……」
夜、枕を抱きながら輾転反側しているのは恋するリョーマ少年であった。
いや、本当に恋かどうかはわからないが……。
リョーマはあの人に会いたいと思った。でも、それは止めておこうと固く決心した。カルピンが尻尾をゆらゆらと揺らしている。
(俺は、あの瞬間に恋したんだ。本来の素の跡部さんに会っても……幻滅するだけだ)
リョーマのその考えは、やがて現実の物となる。
ピピピピピ、ピピピピピ。
時計のアラームが鳴る。
昨日のこともあったので、リョーマはベッドをめくり確認する。――大丈夫だ。リョーマはほっとした。
自分で布団を洗うことも、菜々子に洗ってもらうこともなくて済んだ。尤も、菜々子に洗ってもらうつもりなんてちっともないけれど。
「リョーマ。ご飯よ」
母の明るい声。
どうやって仲直りしたかはリョーマには大体予想はついている。だけど、あまり突っ込んで考えたくはなかった。あの人には突っ込みたかったけど――。
って、何考えてるんだ、俺は。
取り敢えず着替えて階下へ降りる。カルピンもついてくる。
「ほあら~」
「カルピン……」
道ならぬ一目惚れで悩んでいる時、カルピンだけが心のオアシスであった。
(なんか、大人になるって汚くなることなんだな――)
リョーマは自分が汚濁に塗れているような気がした。精神的にも、肉体的にも。
性は悪の芸術だ。どこかの小説で書かれてあった文章だ。リョーマはその時はふぅん、と思っていたけれど。
大人になったら性を知る。いつまでも子供じゃいられないんだ。
「きゃっ!」
気もそぞろで歩いていたら菜々子とぶつかった。
「あ、ごめん。菜々子さん。――おはよ」
「リョーマさん、おはよう」
菜々子が美しく笑う。
この、清らかに見えるこのいとこのお姉さんだって――。
菜々子は不思議そうに首を傾げた。
だ、ダメだ。この人は汚れてなんかない! 絶対汚れてなんかない! そうとしか思えない!
結局一番汚れてるのは俺か……。
リョーマはずーんと落ち込んだ。
「リョーマさん、大丈夫? 気分悪そうだけど……」
「話しかけないで。吐きそうなんだ」
自分の汚れを自覚してしまうと……。綺麗なものが欲しい。あの人でもいい。
跡部さん……。
俺の為に美技を舞ってよ。俺の汚れを消し去ってよ。
だってアンタは……俺の初恋の人なんだから。
(大体、アンタの責任なんだからね! アンタがあんなプレイしなければ、俺は、もうしばらくは清らかであれたはずなんだ――)
リョーマは跡部に心の中で八つ当たりをした。例えそれが理不尽な物であったとしても――。
そろそろ桃城武が来る時間だ。早くご飯を食べてしまった方がいい。――本当は和食がいいんだけど。
(母さんの作るのは洋食ばかりだからなぁ……)
確かに倫子の作るパンはふかふかで美味しいんだけど。
サンマの塩焼きが食べたいなぁ……なんてないものねだりをしていると――。
「おい、リョーマ。早く来い」
南次郎までご機嫌だ。まぁ、ゆうべ何があったかなんて聞かないけど――。
「早く来ないとお前の分まで食っちまうぞー」
「あ、待って。そうだ、バッグ!」
リョーマは慌てて部屋に戻った。
「なんか調子狂う朝だな。今日は。――いつもと同じ朝のはずなのに」
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2018.11.28
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