俺様の美技に酔いな 19

 朝練のメニューを終わった時、リョーマが不二周助に声をかけた。木造の独特の得も言われぬいい香りがするテニス部室である。汗の臭いまでも吸い取ってくれそうな気がする。
「不二先輩……話があるんですけど、いいですか?」
「いいけど……何?」
「ちょっとここでは……」
「そう。じゃ、後で屋上に。昼休みでいい? お弁当食べる時間ある?」
「いいっスよ」
「おい。昼休みもレギュラーは練習あんだろが」
 荒井がリョーマに対して凄んだ。荒井はテニスの腕はともかく体格は大きい。リョーマは思わず気圧された――ふりをした。
 それに満足したのか、荒井は部室を出ようとする。手塚が言った。
「昼休みは急いで来なくていい。食べてからあまり無茶な運動をすると胃腸に負担がかかるからな」
「ウィース」
「そんな気遣い無用な人達が多いと思うけどね。この部は。越前なんて痩せの大食いだしね」
「それを言うなら不二先輩だって……」
「越前の方が食べるよ……まぁ、僕だって人並の食欲はあるけどね」
「人並以上っス。大体、あの乾汁を美味しいと言うなんて普通の味覚とは思えな……」
「越前。そのぐらいにしておけ。不二も……」
「ちぇー、わかったっス」
 リョーマはあっさり引っ込んだ。微笑ましいやり取りではあるのだろうが、今は時間が惜しい。
「じゃーね。先輩」
「うん。またね」
 荒井に続いて不二が部室を出る。後に残されたのは手塚と越前の二人のみ。
「越前、あのな……」
「――ん?」
「いや、何でもない」
 リョーマは悟った。手塚は不二と自分がどんな話をするのか訊きたいのだ。リョーマだって恋する男だ。同じ恋する男の手塚の気持ちがわからないわけではない。
 ――恋をすれば、みんなただの男なのだ。
 それは手塚にさえ当て嵌まる。いや、自制心の強い手塚のような男こそ、恋の炎は押さえつけられ、出口を探している。
(手塚部長――案外ムッツリかもな)
 自分のことを棚に上げてリョーマは考える。一応、以前の誤解は解けたようだが。
 しかし、手塚が言ったのは、リョーマにとっては少し意外なことであった。
「お前、跡部のこと、どう思ってる?」
 ああ――そういうことか。
 そういえば昨日だったか、岬と手塚が話していた。跡部と自分のことを。跡部がナンパ野郎だとわかって、幻滅はしたが――その後も消えないリョーマの恋心。苦しい。苦しくて、辛い。
 跡部が好き。そのことが――辛い。
 ナンパなんてしなくても、跡部だったら女の子ならよりどりみどりだったのに――。
 ああ、でも、橘の妹は確かに可愛かったからな――。自分は女になんか興味はないけど、結構上玉だったし。
(跡部さんが惚れるのも、無理ないかな)
「タダでは教えてあげません」
 リョーマはいたずらっぽく笑った。
「取引みたいだな」
「取引っス」
「そうか。じゃあ、俺も言おう。――俺は不二が好きだ」
「知ってます」
 間髪入れずリョーマが答えた。
「そ……そうか」
 手塚は些かたじたじとした感じだった。バレていないと思っていたのだろうか。
(まぁ、俺もこの前まで知らなかったんだけどね――)
 南次郎にテニス馬鹿と言われても無理ないかな、とリョーマも思う。けれど、よく観察していると手塚も結構わかりやすい。しかし、手塚の心を知った上でそれを口に出させる自分もなかなか性格悪いな、とリョーマは心の奥底で笑った。
(けれど、良かったっスね。不二先輩……。想いが通じてるようで何よりっス)
「じゃ、俺も言いますね。俺は――跡部さんが好きなんです」
「やっぱりか……」
 手塚ががくっと肩を落とした。どうしたと言うのだろう。
「やはり岬の言う通りだったんだな……」
「でも、好きだからって手心を加えるようなことはしません。むしろ――あのサル山の大将を倒したくて倒したくてたまらないんです!」
「そうか……なら、心配はいらなかったな」
「俺がライバルに甘い男だと思ってたんですか? 手塚部長は。見くびらないでください」
「うむ、期待しているぞ、越前」
 手塚はリョーマの肩を叩いて部室を出て行った。
「俺も行こっと」
 リョーマは手塚との会話でますます跡部を倒す闘志を燃やした。そして――あの男の完璧な美貌を打ち砕いてやる。

 昼休み――。
 屋上には越前リョーマと不二周助が並んで弁卓を囲んでいた。
「それで、話って?」
 不二が切り出した。
「んと、不二先輩は手塚部長が好きなんスよね」
「そうだよ。昨日も言った通りね」
(手塚部長はあなたを好きだと言ってました)
 リョーマはその言葉をそっと胸の中で呟いた。不二はともかく、手塚にも相手に直接告白するチャンスを与えたかった。手塚はこういうことに関しては不二より奥手なような気がしたから。
「越前、君は誰が好きなの?」
「――手塚部長に恋している訳でないことは確かです」
 不二の眉根が寄った。
「越前!」
「あーもう、わかったっスよ! 言いますよ言います!」
 リョーマは手を振った。
「俺は――氷帝の跡部景吾が好きなんです!」
「跡部か……」
 不二は何か考え事をするように顎に手を遣った。
「だとしたら、少々面倒なことになるかもしれないな――」
「どうしてっスか?」
「跡部には熱狂的なファンが多い。過激な人も多いと聞く。君に、被害が及ばないといいな――」
「それだったら、橘さんの妹が心配ですよ。跡部さんにナンパされたって言う話だからね」
「ああ、そうだね――無事でいるといいね」
「俺、ちょっと桃先輩に聞いてみますよ。橘さんの妹に何かあったら困りますからね――」
 リョーマはスマホのタッチパネルに指を走らせた。
「あ、もしもし桃先輩? 橘さんの妹は無事? 何事もない? もしかしたら跡部さんのファンに何かされてない?」
『――越前か……そうだな、実際跡部のファンに絡まれているみたいだぜ。橘妹』
「何でそれを知ってるんですか。つーか、俺も桃先輩に訊けば何かわかるかなぁと思って電話したんだけど」
『俺も――あれから跡部のこと詳しく調べて神尾にも橘妹への連絡先を教えてもらって……一応橘妹は巻き込まれただけだから大丈夫だと踏んでいたが……甘かった……』
「橘さんの妹は平気?」
『今のところは警告だけだって……あの娘は大丈夫だからって笑ってたが――そうだ。橘妹には杏という名前があるそうだ』
「杏さん――スか」
『カミソリ出されたって――元気そうにしてたけど、本当はショックだったろうな』
「杏さん、不動峰?」
『ああ、二年だって言ってた』
「杏さんて、桃先輩の好きな人?」
『ばっ、何言ってんだよ。越前。確かに可愛いし、ぶっちゃけ好みだけどよ――』
「さっさと告っちゃえばいいのに」
『うっせぇな、お前はどうなんだよ。恋でもしてるんじゃないかって専らの噂だぜ――俺もお前が恋してるんじゃねぇかって疑ってたところさ』
「人のことより自分の面倒見たら? 杏さんだっけ? 好きなんでしょ? 彼女のこと。俺、応援するっス」

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2019.06.10

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