俺様の美技に酔いな 15

「ただいまー」
 手塚達と別れ、桃城にさよならを言い、リョーマは我が家に帰って来た。
 くん。
 リョーマは鼻をうごめかした。この匂いは――
「お帰りなさい。リョーマさん」
「ねぇ、菜々子さん! 今日、茶わん蒸し?」
 リョーマの声が弾む。いくら斜に構えてようと、リョーマもまだまだ中学一年生なのだ。
「もうすぐ出来ますからね」
 菜々子はくすくすと笑った。菜々子は今日は黄色い上着にピンクのエプロンをかけている。倫子の手伝いでもしていたのだろう。リョーマは涎が垂れそうな口元を学ランの袖で拭いた。リョーマは茶わん蒸しが大好物なのだ。
 菜々子は台所に戻った。楽しみだな。リョーマは鼻歌を歌いながら食堂に向かった。
「あら、リョーマ。お帰りなさい」
 倫子の優しい声が聞こえる。――ここはいい家だ、とリョーマは思った。そして、南次郎もいい父だ。ちょっと不真面目に見えるところやエッチなところはあったとしたって。
「サバの味噌煮よりも茶わん蒸しの方がリョーマは好きだったかな、と思って」
「ただ単に作り方忘れただけだろう」
「まぁ、父さんてば、失礼ね。それに、サバの味噌煮だって作ってあげたじゃない」
 南次郎に向かって倫子が腕を上げて殴りかかるふりをする。ここは何てあたたかいんだろうと、リョーマは思った。
「そこで待っててね。リョーマ」
「ウィース」
 穏やかな光景だ――こんな光景をここ数日忘れていたような気がする。跡部に一目惚れしてから。
(跡部さんは俺の日常を奪っていた――)
 勝手に恋い焦がれていたといえばそれまでだが――。
(跡部さん、都大会で会えるといいですね――)
「あら、リョーマさん、笑ってる」
 菜々子の指摘にリョーマは少し狼狽えた。
「そ、そう……?」
「そう。とっても可愛いわ」
「可愛いって……」
「そうね。リョーマはまだまだ子供ですものね」
 倫子も笑った。そして続けた。
「まぁ、大人への階段を昇っているところかもしれないけれど」
「生意気だなぁ、リョーマ」
 南次郎が新聞を読みながらニヤニヤ笑う。
「親父、それ、スポーツ新聞? それとも間にエロ本挟んでる?」
「失敬だな。親に対して失礼だぞ、その言葉は。俺だってちゃんとした新聞読むことぐらいあらぁ。――今からちょっと運動しねぇか?」
「ウィース。都大会なんかでもたもたしてる訳にはいかないもんね。俺も」
「んじゃ、外に出ようか?」
「うん」
「ほあら~」
 愛猫のカルピンが構って欲しそうに鳴いた。
「カルピン待っててね。後で遊んでやるから」
「ほあら~」
 カルピンは人間の言葉がわかるのではないか。リョーマにはそう思うこともある。少なくとも、リョーマの言葉はわかるようだ。
(なんて、どこのファンタジーかっつーの)
 リョーマは自分で自分にツッコんだが、そうだと嬉しいな、という気持ちもあった。それに、カルピンは賢い。多分、些かあまり人に慣れない部分はあるにしても。
 リョーマはカルピンの頭を撫でてやると、ラケットを持って南次郎について行った。南次郎が言う。
「もうすぐ都大会だな。――ハンデはいるか?」
「――いらない」
 リョーマは不敵に笑った。

 充分満足がいくまで打ち終えた後、越前親子は家に帰って来た。倫子が少し困った顔をした。
「父さん、リョーマ……随分遅かったのねぇ……」
「いやぁ、リョーマもこの頃急激に強くなってなぁ。勝ちを拾うのもやっとだったぜ」
 南次郎がニヤッと笑う。それでも、まだまだ南次郎が本気でないことをリョーマは知っている。だが、南次郎に認められたのは嬉しかった。例えまだ敵わなくても。
「だって、こんなところでぐずぐずしてられないじゃん」
「何だってこんな負けず嫌いに育ったかねぇ」
 それでも口角を上げながら南次郎は息子の成長を喜んでいるようだった。
「大人っつーか、すっかり男らしくなったなぁ、リョーマ。これで後、背丈が伸びればなぁ……」
「大丈夫よ、あなた。リョーマは私とあなたの息子ですもの。いい男に育ちますよ」
「そうなりゃいいがねぇ……」
「母さん、茶わん蒸しは?」
 南次郎を無視してリョーマが催促する。
「そうね……すっかり冷めちゃったから温めてあげるわ」
「やった!」
 歓声を出すリョーマに南次郎が吹き出す。
「こういうところはまだガキなんだけどなぁ……」
「俺、ガキじゃないもん。それに、親父は俺のこと『負けず嫌い』って言ってたけど、そんなこと言ったら青学の皆、全員負けず嫌いだよ」
「ほーう。負けず嫌いが揃ったか。流石、竜崎先生の纏める部活だけのことはあるな」
 南次郎は、リョーマが相手をしてくれるのが嬉しいらしい。ますます笑みを深くした。
「竜崎先生のこと、俺達はバアサンって言ってるよ」
「俺も竜崎先生のことは知ってる。昔はバアサンではなかったよ。でっかいおっぱいのいい女だった」
「――オヤジって胸の大きさでしか女を計れない訳?」
「そうよぉ? 父さんは胸の大きな人が好みなのよね。私はどうなんだって話よねぇ」
「同情するよ、母さん」
「ありがとうリョーマ」
「これ、マザコン坊や。俺から母さんを取るな。それに――母さんは胸よりでかい優しさを持っていたからな」
「あなたったら……」
 倫子が頬を染める。これは今夜もラブラブ確定だね――リョーマが思った。しかし――。
「誰がマザコンだっての」
 リョーマがぶちぶち文句を言う。
「おや、リョーマは母さんが初恋の人なんじゃないのか?」
 ――読まれてたか。リョーマは舌打ちしたい気持ちに駆られたが、そうするとその事実を認めたことになる。リョーマはそういうところでも負けず嫌い――というか、見栄っ張りだった。
 母親が初恋なんて、恥ずかしいだろう。
「ほあら~」
 カルピンが鳴いた。
「カルピン、おいで」
「ほあら~」
 カルピンはリョーマの膝にぴょんと飛び乗った。可愛いなぁ。リョーマはカルピンを可愛がっていた。こんなに可愛い猫、他にいやしない。跡部にもペットはいるのだろうか――。
(なんて、俺、跡部さんのことはどうでもいいじゃないか)
 どうせ近い将来倒す相手だ。気にしても仕様がない。心の中でもう一人の自分が言う。
 そんなことはわかってる。でも気になる。――リョーマはふるふると首を振った。
「お、どうした、リョーマ」
「――ちょっと、考え事」
「悩みがあったら言うんだぞ。何たって、お前はまだ子供なんだからな」
「そんな……いつまでも子供扱いしないでくれる?」
 リョーマは南次郎を睨みつけた。
「おーこわ。なぁ、母さん、いくつになってもリョーマは俺らにとっては子供だよな」
「何当たり前のこと言ってるんですか。――はい、茶わん蒸し」
 倫子はレンジから茶わん蒸しを取り出してリョーマの前に置いた。美味しそうな香りがリョーマを誘惑する。リョーマはごくっと唾を飲んだ。
「いただきまーす」
 そして、ふうふう言いながらリョーマは夢中で茶碗蒸しを頬張る。倫子と菜々子が作った茶わん蒸しだ。南次郎がいたずらっぽい目でその様を見ていることを今だけは忘れた。

次へ→

2019.04.18

BACK/HOME