俺様の美技に酔いな 13

(いつの話をしてるんだろう――もう俺、跡部さんのことなんか何とも思っていないのに……)
 そう思いながらも手塚と岬の話に聞き耳を立てているリョーマ。
「まぁ、あれは強烈だったけどね」
『俺様の美技に酔いな』――か。確かにあの時岬も一緒にいたが。
「俺だって思わず惚れ直しそうになったもんな」
「ほう……貴様にはそんな趣味があったのか」
「アンタには言われたくないね、アンタには……不二のことはどうなんだい?」
「なっ……不二のことはこの際関係ないだろう!」
(そうだよねぇ……)
 慌てている手塚というのも見ているのは楽しいが――今はそれどころじゃない。リョーマはいつの間にか全身が耳になっていた。
「俺も悪かったよ……」
「別にお前のことを責めている訳ではない。しかし、まさか越前がなぁ……試合に響かないといいが」
(大丈夫だよ。手塚部長。心配しなくても。俺、あのサル山の大将やっつけてやるんだから)
「うーん……」
 岬が考え込んでいる。いい方に転ぶか悪い方に転ぶか、予想を立てようというのだろう。――岬の答えも気にはなったが、リョーマはそっとその場から離れた。
 自分は岬にも、手塚にも心配をかけてしまった。
 それもこれも――みんなあの男が悪いんだ! 跡部景吾! 俺の敵! あの女好きのナンパ野郎!
 いつの間にか涙が溜まってきた。リョーマはぐいっと目元を拭って駆けていく。
(これが――失恋てやつかな)
 でも、元々男同士で叶わぬ恋なのだ。今のうちに壊してしまった方がいいのだろう。
 けれど――同じ失恋するなら、相手はもっといい男であって欲しかった。例えば手塚国光のような――。
(不二先輩――俺はアンタが羨ましいっす)
 愛した相手が手塚なら――。例え失恋したって、後悔はないであろう。
(不二先輩、俺のようにならないでくださいね――)
 ――そこで、誰かとぶつかった。誰かと思ったら――不二だった。不二はいつものように目を細くして――あいたた、と言っている。
「あ、すんません。不二先輩!」
「どうしたの? 越前。何か、哀しそう――」
「え?」
「ちょっと、話しようか」
「あ、でも、俺まだジャージ――」
「着替えるの、待ってるよ」
「じゃ、今日は先に帰っているように桃先輩に連絡します!」
「桃とはいつも一緒に帰っているのかい?」
「はい――家が近いもんスから……」
「じゃ、今日は僕と一緒に帰ろうか。――由美子姉さんに言ったら迎えに来てくれると思うから。尤も、僕は手塚とも話があったんだけど」
「あ、じゃあ、手塚部長はあそこの茂みにいるんで。岬先輩と」
「いいんだ。僕は、今の越前の方が気懸りだし……何かあったのかい?」
「何か……」
 リョーマはぐるぐるする頭の中で、言葉を探す。――今日、失恋したことを不二に言おうか。不二ならわかってくれるに違いない。でも――。
「不二先輩……お七が死んだ後、吉三はどうなったんでしょうね……幸せな結婚、したんでしょうか……」
 リョーマの口から出た言葉はそれだった。不二は密かに眉を寄せた。
「さぁ……そこまではわからないけど――調べてみるかい?」
「え、いや、いいです――」
 跡部は可愛い女の子が好きだった。ちょうど、桃城が言っていたあの橘妹のような……。
(橘さんの妹――跡部さんにナンパされた時、どう思っただろう……)
 そして、自分が橘の妹だったら? どうも、上手く予想が立てられない。かえって反発するかもしれない。
「行こうか、越前――」
「……うん」
 不二とリョーマは部室に向かった。
「僕ね、どうしてあそこにいたか知ってる?」
「え、いえ――」
 リョーマは首を振った。確かにタイミングが合い過ぎる気がしたが、それでも偶然だと思っていた。
「不二先輩に会ったのは偶然だとばかり思ってましたけど――」
「そうかもね。確かに君にあったのは偶然だけど――手塚に話をしようと思って……僕が手塚が好きなことは知ってるかい? 手塚が、あの体育館裏に行ったのを見かけたから――」
「はぁ……」
「なかなか帰って来ないんで、後をつけてみようと思ったんだ。――これってストーカーかな」
 不二は冗談を言ったらしい。くすっと笑った。
「いえ、そんなことは思わないっスけど――」
 俺だって――リョーマは思った。俺だって、跡部さんがどこか行ってなかなか帰って来なかったら、無粋とは思いつつついて行ってみたかもしれない。――不二はいつものようにニコニコと笑っていた。いつもの懐かしい部室の匂い。木造の香りがする。
 リョーマはジャージから制服に着替えた。結構暑くなってきた季節だ。少し――汗臭くなってはいないだろうか。
 その間に、不二は姉に電話をかけていたようだった。
「あのね、越前。――今日は姉さんは仕事なんだって。二人で帰ろうか」
「あ、桃先輩に連絡してなかったっすけど――まだ待ってるかな」
「じゃあ、桃がいたら訊いてみようか」
「はい……」
 不二はどうして自分と一緒に帰りたがるのだろう。リョーマは疑問に思った。
「不二先輩、手塚部長のこと――」
「……うん……今日、告白しようと思ったんだけど、勇気が出なかった。――駄目だね」
 駄目なんかじゃないっスよ!
 リョーマはそう言おうとした。だが言えなかった。自分も似たようなものだったからだ。――いや、違う。手塚はいい男だ。跡部と違って。
(跡部さん……)
 何であんな男に魅せられたのだろうと思うと、そんな自分が自分で悔しかった。
(竜崎と――付き合おうかな)
 リョーマはそう思ってみた。桜乃は――可愛い。それに性格もいい。スミレの孫と知って驚いたぐらいだ。
(リョーマくん……)
 桜乃の可愛らしい声が脳内にリピートする。でも――それは違う。何かが警告していた。
(何故ダメなんだ。俺は竜崎のこと嫌いじゃないし、竜崎も多分――俺のことが好きだ。でも、それは、何かが違うんだ。何が違うって、はっきりしたことは言えないけれど――)
 本命に幻滅したからと言って桜乃に乗り換えることは桜乃にとっても失礼なことであるということは、リョーマ自身も思ったことではあるのだけれど――。
 ごめん、竜崎――。一瞬でも、跡部景吾から乗り換えようと思っただなんて――。
 それに、ああ、俺が認めたくなかったこと。自分は失恋したと思ったのに――。
 未だに跡部景吾が好きだなんて――。
 だから、桃城の話を聞いた時に、あんなに怒りが湧いて来たんだ。岬の言う通りだ。リョーマは跡部にいかれている。忘れられれば、それはそれで楽になれたのに――。
(俺様の美技に酔いな)
 わかったよ。跡部さん。もう、心を偽らないから、もっと美技に酔わせてよ。――なんて、俺もファンと化しているのかな。
 手塚はあれから岬とどんな話をしていたのだろう。気にはなるが、自分には関係ないとも思った。ガラガラ――と、手塚が部室の扉を開けた。
「不二――に越前、まだ帰ってなかったのか」
 中学生にしては低い声。高い身長。そういえば、手塚は中学生にしては老けているという評判だった。手塚自身はどう思っているのだろうか。手塚だったら跡部や不二と並んでも絵になっただろう。
(いいな――手塚部長)
 手塚にもファンは多い。リョーマは、手塚みたいな立派な男になりたかった。そして、跡部を――。
 リョーマはぱっぱっと妄念を払った。どうしたのだろう。自分は。早く成長して、跡部を抱き締めたい、なんて――。ただ、抱き締めるだけでいい。それ以上はいらない。そのはずだった。だが――
(跡部さんは――童貞だろうか)
 そんなことまで気になってくる。リョーマは勿論童貞だ。跡部は女好きみたいだから、早々に童貞を捨ててしまっているのかもしれない。
(――にゃろう)
 リョーマはいつか跡部が恋するであろう女に嫉妬した。橘の妹にも嫉妬した。
「手塚――君も僕達と一緒に帰るかい?」
「そうだな――今日も一人で帰る予定だったんだが……」
 手塚は顎を撫でながら迷っているようだ。不二がリルケの詩集をバッグにしまう。不二の指は細い。ちょっとした動作すらエレガントに映る。手塚が不二に恋したところで、リョーマは変に思わない。女性的なのに女々しくない不二に憧れる男子生徒も多い。それに不二はいつも洗いたての爽やかな香りがする。
 手塚の方を見ると、手塚は不二を凝視していた。――リョーマの視線に気が付くと、手塚は少し気懸りそうにリョーマを見て顔を歪めた。そんな表情すらも男っぽく、魅力になる手塚――。
 勢いよく部室の戸が開くと、桃城の元気な声が響いた。
「おーい、越前ー。早く帰ろうぜー」

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2019.03.29

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