俺様の美技に酔いな 12

「越前くーん」
 国語担当の花沢が声をかけてきた。
「あ、花沢先生……」
「はい、これ。約束の」
 花沢が笑顔でPontaを差し出した。
「――どうもっス」
 リョーマがPontaを受け取った。嬉しい。今、ちょうどPontaが飲みたいと思っていたところだったから。
「越前、差し入れ?」
 部活の先輩――菊丸英二が声をかける。
「まぁ、そんなとこ」
「日頃のお礼よ」
 花沢がくすくす笑う。
「いいにゃ~。俺も欲しいにゃ~」
「じゃあ、菊丸くんにも買ってあげる」
「やった!」
「俺は……もうちょっと頑張って花沢先生に認められてからPontaをおごってもらうんだ」
 堀尾が言った。
「あら、堀尾くん。殊勝な考えね」
「だって――越前に負けてはいらんないもん」
「頑張って。俺も頑張るからさ」
「よっしゃ。越前、お互いに頑張ろうぜ」
 堀尾がぐっと拳を握った。
「この年代の男の子って、大人の見ていないところで、密かに成長するもんなのね。先生も嬉しいわ」
 リョーマはそんな花沢の独白など聞いてはいなかった。プルタブを開けると匂う、甘ったるいブドウの香り。
(――俺はこの匂いと味が好きなんだ)
 確かに食品添加物の塊かもしれない。自分はお子様味覚なのかもしれない。――けれど、自分はPontaが好きなんだ。
 ごっくごっくと勢い良くPontaを喉に流し込む。炭酸が弾ける感覚が堪らない。
「随分美味しそうに飲むのねぇ、越前くん」
「Ponta旨いっスから」
「越前、Pontaはいいけど、牛乳はちゃんと飲んでるの?」
「飲んでるよ」
 リョーマは菊丸の言葉にムッとした。乳臭いのは嫌いなんだ。でも、頑張って飲んでいる。――背を伸ばす為に。
(跡部さんより大きくなれるかな)
 跡部は中一の頃、身長はどのぐらいだったのだろう。自分とそう変わっていなければ嬉しい。そうだ。手塚に後で訊いてみよう。
「ご馳走様。花沢先生」
 そう言ってリョーマは近くのラケットに手を伸ばすと、空になった缶を飛ばしてゴミ箱に入れる。掘尾が口笛を吹いた。
「上手いわねぇ」
「お前、テニスラケット持ったら無敵なんじゃね?」
 花沢と堀尾が口々に言う。
 確かにテニスは人よりは上手いかもしれないが、リョーマは自分が無敵だとは思えない。自分より強い奴なんて世界にはゴロゴロいる。自分には出来ないショットを打つ者もいる。跡部景吾だって――未来のライバルだ。
(後で跡部さんのこと、偵察に行きたいなぁ……堀尾でも誘って。でなけりゃ桃先輩でも。あ、岬先輩がいたか。でも、岬先輩に跡部さんのことを訊くのは――何かシャクだなぁ……)
 つらつら考えながらリョーマは顔を洗ってタオルで水滴を拭いた。
「じゃ、菊丸くん行きましょ」
「ほーい」
 花沢先生の後を菊丸がついて行く。掘尾が行ってらっしゃいと手を振った。
「ここのテニス部って楽しいよなぁ。なぁ、越前。流石青学」
「でも、掘尾は球拾いとか雑用ばっかじゃん」
「それ言うなって――でも、いつかはレギュラージャージ着てやるぜ」
「いいよ。――ランキング戦、楽しみにしてる」
 リョーマは堀尾のメンタルの強さに密かに感心もしていた。
「ようっす」
「あ、桃先輩――遅かったっすね。部活もう終わりましたよ」
「マジかい! いやぁ、引ったくりを追っててな……結局捕まえらんなかったけど。ちょっと不動峰の神尾と警察に届け出てて――あ、そうだ。越前、跡部景吾のこと気にしてたよな」
「別に気にしてた訳じゃないけど……何スか?」
「あいつ、ナンパ野郎だな」
「――え?」
「お前も知ってるだろ? いつぞやダブルスやったストリートテニスのコート。あそこにあいつがいたんだよ」
「跡部さんが――ナンパ?」
 ガラガラとイメージが崩れる音がした。
(何だよ、ナンパって――跡部さん、あんなにモテるからそんなことしなくてもいいじゃないっすか!)
「どうしたんだ? 越前――怖い顔して」
「誰ですか。跡部さんにナンパされたってのは……」
「橘妹だよ。不動峰の橘桔平の妹。ほら、お前も見てるだろ。あのおかっぱのかあいい子」
「ふぅん……」
 リョーマは心を静める為に取った帽子を無意識に弄っていた。あの子は確かに可愛かった――興味ないふりしたけど。あの子なら、跡部がナンパするのも納得出来る。
 でも――そんな様子を見たら跡部のファンはどう思うだろうか。そして――リョーマ自身の恋心は……。桃城が怪訝そうにリョーマを見つめる。
「おい、おい越前。何かお前――この頃様子が変だぞ」
「ふふふ……」
 リョーマは片頬笑みをした。
「桃先輩、安心してください! 跡部景吾――いや、サル山の大将は俺が必ず倒しますんで!」
「サル山の大将……?」
「跡部景吾の弱点は何かわかりましたか?」
「いや、それが……樺地とかいうでかい大男が全て相手にしたもんで」
 跡部が試合をしていた訳じゃないんだ――リョーマは少しがっかりした。
 跡部自身が正々堂々と前に出てきて戦えばいいのに、人に頼るなんて――最低だ。
 尤も、都大会が近いからデータを取られないように用心したのかもしれないが、それにしたって……。
『俺様の美技に酔いな』
 跡部はそう言っていた。でも、今のアンタの美技には酔えないよ。
 それにしても――さっき桃城が言った大男と言うのは気になった。
「ねぇ、桃先輩。樺地さんてどんな人?」
「随分デカかったなぁ……ラケバを軽々二つ持ってさ。その中のひとつが跡部んだ」
 もしかして、菜々子さんが一目惚れした人――?
(なぁんだ。樺地さんて、跡部景吾の家来だったんだ)
 見る目ないよね。俺も菜々子さんも――。リョーマは心の中でほろ苦く笑う。ほんと、あんな奴らに恋してたなんて、見る目ないよ――。
「ん? どうした? 越前」
「別に、何でも……」
 桃城がいてくれて良かったとリョーマは思った。でないと泣き出しそうだったから。
(このことは菜々子さんには秘密にしておこう)
「樺地という男は、見た目は老けてたけど、多分まだ中学生だぜ」
 桃城が言った。中学生と大学生か――。菜々子にはもっと釣り合う相手がいるはずだ。樺地という男についてはよくわからないが、そう悪い人ではないのだろう。けれど、跡部景吾とつるんでいる時点で負けだろう。
 可愛さ余って憎さ百倍。リョーマは必ず跡部を倒す気でいた。
「じゃ、俺、先行ってるわ」
「ウィース」
 桃城に対してリョーマは手を振った。落ち着く為にリョーマはもう一度顔を洗った。
(さてと、俺も部室に戻って帰るか――)
 リョーマはぽふっと帽子を被る。もう涙も引っ込んだ。――何だか悔しかったけど。近道をしようと体育館の裏に向かった時だった。
「越前が跡部にいかれてるって?」
 手塚国光の低い声が耳に届いた。
「ああ――まさかあれ程とは思わなんだ……」
 岬公平の声もする。リョーマは何となく物陰に隠れた。手塚と岬が、自分について話し合っているようだった。自分と――跡部のことについて。

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2019.03.19

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