俺様の美技に酔いな 11

「これ、花沢先生!」
 竜崎スミレのがらがら声がリョーマの耳に届いた。
(バアサン――?)
 リョーマが目を大きな目をこころもち見開いた。いつの間に来ていたのだろう。
「生徒を買収してんじゃないよ。花沢先生」
「あ、これは違うんですよ、スミレ先生。越前くんはいい影響を一年に与えているんですよ。三年担当の竜崎先生は知らないかもしれませんが。越前がテニス部のレギュラーになったおかげで自分も頑張ってみようかという風潮が文化部にも生まれているんです。だから、そのお礼として――」
「運動部もそうですよ」
 高口が顎を撫でながら口を挟んだ。運動部はともかく、何で文化部にまで影響が広がっているんだろうとリョーマは考える。知らないうちにオルガナイザーにされていたのであろうか。
「それに、越前くんに憧れている女生徒も随分いるんですよ」
 花沢がふふっと笑った。
(へぇー……知らなかった。俺に憧れているのなんて、小坂田ぐらいのもんだと思ってたのに)
 朋香のアプローチはわかりやすい。ケーキを焼いてくれる時もある。――受け取らないけど。
 跡部は沢山のファンに囲まれていた。きっと信者も大勢いるんだろう。いろんな人が跡部の周りに侍っているに違いない。
(跡部景吾なんて――サル山の大将じゃん)
 そう言ったら不二辺りに、「それを言うなら小山の大将じゃない?」と指摘されそうだが。
「ほう。このボウズがねぇ。わかった、大目に見るのは今度だけじゃぞ」
「やった!」
「いいなぁ、越前……贔屓だぜ」
「堀尾くん。頑張ったら君にもPonta買ってあげる」
「えっ! 嘘! いいの?!」
「ただし、宿題忘れるようじゃだめよ」
「俺、がんばりまっす」
「こんな連中、あの乾汁でも良かったんじゃ」
 スミレが言う。乾汁……恐怖の乾汁……。リョーマの舌に不味い味の記憶が蘇って来た。それに、何とも言えない、何が入ってるんだかわからない得体のしれない臭い。
 リョーマは忌まわしい記憶を振り払うべく、Pontaの記憶を思い出していた。
 あの自分を魅了する甘い匂い。心地よく弾ける炭酸の泡。大好きなブドウの味。
「でも、越前くんと堀尾くんだけにおごってあげるのは不公平かしら……」
 花沢が一人で何やらブツブツ言っている。リョーマ放っておくことにした。Pontaが飲めれば、それでいいのだ。後は花沢の問題だ。
「じゃ、放課後図書室に行きます。行こ。掘尾」
「そうだな。越前。じゃ、お邪魔しましたー」

 ――放課後、リョーマは図書室を訪れた。
「あら、越前くん」
 花沢が声をかける。何か香水をつけているのかわからないが、青春学園の女教師は皆いい香りがする。竜崎のバアサンでさえそうだ。皆おしゃれには気を使っている。
 堀尾は先に部活に行った。まさか、本当に部室で昼休みに食べ残した弁当を食べているのでは。そういえば、弁当って部活までもつんだろうか。そろそろ暑い時期だけど食中毒は大丈夫なんだろうか。それが少し気になるリョーマである。
 でも、堀尾のことだ。例え腹下しても翌日にはけろりとしているに違いない。それにああいうタイプは健康だけが取り柄というところがあるから――。
「越前くん。――ほら、これを焼却炉に運んで。重いから落とさないでね。尤も、落としても大した被害にはならないけど」
 花沢が荷物を持たせた。
「軽いじゃん」
「小さいのに体力あるわねぇ。さすがテニス部レギュラー」
「小さいは余計です」
「まぁまぁ、怒らないで。リョーマくんの年ならすぐ伸びるって。10センチ伸びた生徒もいたんだから」
「マジっすか!」
 リョーマは今、150センチ台だから、後20センチもすれば跡部に追いつくのではないだろうか。跡部は多分170センチ超えてるから――。
(――て、こんな時にまで跡部さんか)
 すっかり魅了されている自分にリョーマは自嘲的な笑いを浮かべた。
「なぁに、越前くん。急ににやり笑いしたりして――」
「Pontaが楽しみで」
 リョーマがぬけぬけと言う。
「Pontaばっかり飲んでちゃ身長は伸びないわよ。牛乳飲みなさいよ。牛乳」
「うぇ……牛乳は苦手っす……」
 あの乾汁よりはマシだけど。
「わかったわかった。じゃあ行って来て。その間に学校の自販機で買って来るから」
「ウィース。部活終わったら戻って来るっス」
 職員室を出て昇降口を通り過ぎたリョーマはあることに気が付いた。
「……そういえば、焼却炉ってどこだっけ」

 小坂田朋香と竜﨑桜乃がボールのおもちゃで遊んでいる。女テニは今日は自主練なのだ。
「ねぇ、焼却炉ってどっち?」
 リョーマは小坂田に訊いたつもりであった。だが、答えたのは桜乃であった。
「真っ直ぐ行って左に……」
 ――桜乃のナビゲートは当てにならない。リョーマがアメリカから帰ってからすぐの大会で、道を聞いた時に反対側の方向を教えられた。わざとではなく。
(竜崎って方向音痴なんだよね。要するに)
 運動も苦手みたいだ。それなのに桜乃は女子テニス部に入った。まぁ、努力するところは買うけど――。
 それに、あのスミレの孫娘だし――。
 リョーマはボールのおもちゃに目をつけた。
「何、それ。いーの持ってるじゃん」
「桜乃が買ってきたの。結構楽しいわよ」
 と、小坂田。
「リョーマくんもやる?」
 桜乃が言う。
「いいの?」
 と、一応訊く。右でやった方がいいかな。左だと紐の部分が千切れるかもしれない。一応人の物だから遠慮して――。
「あんがと。じゃ、やらせてもらう」
 スパンスパーン。リョーマはボールを打った。
(なかなか楽しいじゃん)
 利き手で思い切りやれないのは辛いけど――。右も練習したいと思っていたところだから。それぐらい出来なくて跡部景吾に勝とうなんてお笑い草だから。
 その時、他校の男子生徒がやって来た。どこかのスパイだろうか。それにしてはノンシャランな雰囲気である。それにちょっとスケベ面だ。
 あの制服は――山吹中とかいうところか。いつだったか堀尾に教えてもらった。
「もう少し軸足に体重を乗せれば、もっともっとパワーが出せるよ」
 ――なるほどね。この男の言う通りだ。
 にやけ面でもノンシャランでも、この男も只者ではなさそうだ。この男もテニスをやるのだろう。見た目ほど不真面目なキャラでもないらしい。
 お礼にお返し、してやるか――。
「そりゃどーも」
 リョーマはラケットを左に持ち替えた。
 ――男は額にもろに食らって伸びてしまった。
(避けるくらいしとこうよ)
 リョーマは男に近寄った。鞄に名前が書いてある。『私立山吹中 千石清純』。
(千石ねぇ……知らないや)
「……ど、どうしよう……保健室に……」
「ま、いっか」
 リョーマは荷物をまとめてスタスタと歩いて行く。千石とか言う奴もどうせ保健室に行くなら可愛い女の子(桜乃)に連れて行ってもらった方が嬉しいだろう。見るからに女好きそうな顔してるし。
 焼却炉へはようやく着いた。
「――竜崎、また間違えたな……」
 それも彼女らしい。方向音痴もここまで来ると立派な才能だ。リョーマがぷぷっと笑った。
 ――さっきから視線を感じる。他校からの取材班なのだろうか。
(ま、どうでもいいよね)
 テニス部の都大会も気になるし、八百屋お七にも興味あるし――ああ、そうだ。
(跡部さん……)
 都大会でもあの美技を見せてくれるだろうか。リョーマは知らなかった。その頃、跡部が橘桔平の妹、橘杏をナンパしていることに。

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2019.03.09

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