俺様の美技に酔いな 1

「岬せんぱーい。何で俺をここまで拉致して来たんですかー」
 そう言ったのは越前リョーマ。青春学園に通う中学一年。
「いいからいいから。お前にすごいもん見せようと思って」
「大体岬先輩とは今日が初対面なのに……」
「何ぶつぶつ言ってんだよ。リョーマ。ほら、行くぞ」
 せっかくの休みなのに……。学校でテニスの練習しようとしたのが悪かった。テニス部に行くと岬公平――この男が佇んでいたのだ。
(何? お前さ、テニス部? だったら一度見ておくといいよ。あれを)
 あれって何だろうな――もしつまらないものだったら岬をぼこぼこにしてやろう。リョーマは固くそう誓った。
「あ、ほら、あれ」
 テニス部のフェンスには女生徒達が集まっていた。
「跡部様ー、がんばってー」
「勝つのは氷帝、勝つのは跡部」
 女生徒達は口々にそう言っていた。リョーマは岬に振り返った。
「ねぇ、岬さん。跡部って――誰」
 岬はあちゃー、と言うジェスチャーをした。
「何お前。跡部知らねぇの? 中学テニスやってるんなら常識として覚えなきゃ」
「ふぅん……」
 リョーマは生返事をした。別に女どものアイドルプレイヤーに興味ないし。
「こっからじゃ見えねぇなぁ……あっち回ろうぜ」
 岬がリョーマの腕を引っ張る。リョーマが不意にコートを見る。日本人離れした青みがかった瞳と目が合ったような気がした。
 金茶髪のその男は太陽の光をバックにしてこう叫んだ。

 俺様の美技に酔いな!

 リョーマは一瞬だけその男が神の如く輝いたように見えた。金の髪が太陽と共に燃えた。
 その瞬間――新たなドラマが始まっのだった――。

『俺様の美技に酔いな』
 そのフレーズが頭の中をこだまする。
 リョーマはテニスラケットを持って真似をした。
「俺様の美技に酔いな!」
 言った瞬間、ぼっと赤くなった。――あまりにも恥ずかしいフレーズなので。
(あの人には照れ、というものがないのかな)
 自分と違って様になっていたあの男。
(跡部景吾――か)
 そういえば、雑誌にも出ていた。『月刊プロテニス』という雑誌に。ネットでも話題の人物である。
「リョーマー。ご飯よー」
 母倫子の呼ぶ声がした。
「はーい」
 そう言ってリョーマはラケットを置くと階下へと下がって行った。
「リョーマ、どうした?」
「別に何も……」
 もくもくとリョーマは御飯を口に運ぶ。
 正直、今日はどうやって家に帰っていたのか覚えていない。上の空の息子に父南次郎は気懸りになったのだろう。一応、と言った態で尋ねて来た。
 グラビアに目のないエロ親父とは言え、リョーマの父親ではあるのだ。だが、この南次郎のおかげでリョーマはテニスプレイヤーというものに夢を持てなくなってしまった。
 サムライ、越前南次郎。
 世界でもトップクラスである往年の名プレイヤー。それがリョーマの父だった。――今は引退したが。
『ぎょっ、ぽろりもあるの? 女だらけの水泳大会!』
「おー!」
 南次郎が喜びの声を上げる。その時、液晶テレビの画面が真っ暗になった。
「ありゃ?」
 南次郎が間抜けな声をあげる。彼の妻倫子が言った。
「食事中にテレビを観てはいけません」
「んなこと言ったってなぁ……テニスの番組の時は見逃してくれるのに……」
「リョーマだって年頃なんですよ! 変なもの見せてあなたみたいになったらどうすんの?!」
「何だよ! 年頃だからこそ、だろ? リョーマもいろいろ勉強しねぇと……母さんみたいなペチャパイ女に引っかからないように……」
「誰がペチャパイですってぇ~!」
 ――越前家に倫子の雷が落ちた。
「ひょー、こええこええ。ま、録画してあるから平気か」
 食堂から避難したのは南次郎とリョーマ。
「あ、そうだ。母さん、録画予約消してたよ」
「なにぃ?! リョーマ何で止めなかった」
「別に止める必要もなかったし」
「あちゃー。だからおめーは駄目なんだ。モテるのに何でこんなに淡泊かねぇ」
 南次郎は目元を覆った。
「……ほっといてくれないかな。――兄さんはエロ本好きだったよ」
「リョーガがか。そいつは俺に似たな」
 越前リョーガ。昔、ロスで一緒に育ったリョーマの兄。
 何でも知ってて、テニスも上手くて、頼りになる兄だった。
 ――そして、ちょっとアブナイことも兄と一緒に……。アブナイことと言っても、一緒に金髪ねえちゃんのグラビアを眺めるだけだったが。
 リョーマはふるっと首を振った。
 あの時はグラビアの女性の写真を見て興奮したというより、禁忌を犯しているようなドキドキ感が勝ったのであるが――。
 今のリョーマは『プレイボーイ』だの『ペントハウス』だののグラビアを眺めても何も感じない。テニスしていた方が面白い。
「おい、リョーマ。お前にも好きな娘の一人や二人いるんじゃないのか?」
「いない」
「でも、気になる娘くらいはいるんだろ?」
 可憐で引っ込み思案で、女傑である祖母スミレにちっとも似ていない竜崎桜乃。元気で明るい小坂田朋香。そして――。
 今日見かけた跡部景吾という少年。
「――いない」
「お、今、間があいたぞ。なぁ、どんな娘だ? 父さんにちょっと教えてくれねぇかな?」
 ――うるさいな。
「男」
「え? 今、男って言ったのか? 聞き間違いじゃないよな。――なぁ、リョーマ」
 しまった。口が滑った。
「もう風呂入って寝る。母さんと仲直りしといてね」
「ああ、そいつは勿論。大人には大人なりの仲直りの仕方があるからな」
 リョーマが振り向くと、南次郎がにやりと笑っていた。何でこんなヤツが親父なんだ。
 しかし、とにかく南次郎に任せるしかないのだ。倫子の作る料理の出来は彼女自身の気分に寄るところが大きいのだ。従姉の菜々子もいるのだが。
(母さんも何でこんな人と結婚したんだろ)
 父と母はしょっちゅう喧嘩ばかりしている。でも二人が仲が悪いかといえば、そうでもないらしい。
 南次郎は倫子を「ペチャパイ」と馬鹿にしてはいるが中身には惚れているらしい。母倫子も同じようなものだった。そして、南次郎も倫子もリョーマを愛してくれている。時に鬱陶しい時もあるけれど、それは自分が思春期と呼ばれる時期だからなのだろうと片づけていた。
 しかし、生意気なのは昔から変わっていない、と、リョーマを幼い頃から知る友人達は口を揃えて言う。兄も言っていた。だから――自分の生意気さは天然のものなのかもしれないとも思っていた。
「カルピン、一緒に入る?」
「ほあら~」
「冗談だよ。今、心の余裕がないからさ」
「ほあら~」
 カルピンは風呂が大好きである。――無理矢理体を洗われる時は別として。
「リョーマさん、お湯加減ちょうどいいわよ」
 越前菜々子。リョーマの従姉である。綺麗でおしとやかで優しくて――大和撫子に憧れる男性の理想像である。
 ――そうか。菜々子さんがいるから俺、普通の恋愛が出来ないんだ、とリョーマは考える。あんまり菜々子が完璧なので。

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2018.11.17

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