オレのアンドロイド ~プロローグ~

 高尾が死んだ。
 オレ――緑間真太郎は親友代表として弔辞を読んだ。
 他にたくさん候補はいたろうに、高尾の両親がオレに頼んだのだ。
(ほら、あの子、いつも高尾君と一緒にいた――)
(涙ひとつ流さないなんて健気ね)
(緑間君は薄情なので有名だったわ)
 周りのざわつきも気にしない。
 オレだって……高尾が死んだことがまだ信じられない。
 そりゃ、『死ね』と冗談半分に言ったことはあるかもしれないが、まさか本気で逝くとは――。
 今だって、どこかからひょっこりとあいつが現われて、真ちゃん、どっきりだよ、びっくりした? ――なんておどけて高尾が出て来るんじゃないかって。
(ねぇ、真ちゃん。――オレ、真ちゃんのこと、好きだよ)
 高校でのバスケ部の相棒はそのまま人生の相棒になった。
 結婚できたらいいのにね。そう寂しくあいつは笑っていた。オレは形式なんか関係ないと思っているのだが。
 親友兼恋人(ということになるのだろうか)の高尾がいなくなったというのに、オレは泣くことができない。やはりオレは薄情なのだろうか。
(優しいね、真ちゃん)
 オレにそう言った高尾は、多分、誰よりオレに優しい。
 もうあの、昔はちゃらちゃらしていて嫌いだった、でも今では何より耳に馴染んだあの声は聞けないのだろうか。綺麗な高音の歌声は聴こえないのだろうか。
(高尾……)
 火葬場に行って荼毘に付す。高尾の母はハンカチを目元に当てていた。オレの母も心配そうにそれを眺めていた。オレの妹は高尾の妹を支えていた。
 そしてオレは……ひたすら高尾のことを思っていた。
 十代で死ぬとはどんな気持ちだったろうか。オレは一足先に二十歳になったが高尾もどうせすぐ同じ年になるのだし、金も貯まったからこれからルームシェアをして二人で暮らそうかというその時だった。
 高尾が車にはねられたのは。
 元バスケ部のセンパイ宮地さんはよくオレ達を『轢くぞ』などと脅して笑っていたものだが――。
 今日の宮地さんは荒れて大変だった。
「馬鹿野郎! 高尾! 寝てるだけだろ? あ? ほんとは寝てるんだろ?! さっさと起きろよ、この野郎」
 そう言いながら暴れてオレと大坪さんと、それから普段から宮地さんと仲が良かった木村さんとで抑えた。そのうち宮地さんは疲れたのか寝てしまった。
「和成……」
 オレは呟いた。生涯で両手で数える程しか呼ばなかった下の名前。いや、さすがにもっと言ってたか。
(真ちゃん……ずっと一緒にいるね)
 そう誓った本人が死んでしまったら意味はないのだよ……。
 やはり誓いはしないに限る。オレはもう誰とも肌を重ねない。結婚もしない。
 オレの恋人はずっとただ一人だ。
「高尾……」
 胸の奥が熱くなった。それでも……オレは泣けない。
 まるで高尾が幽霊になってオレの心の感じやすいところのバリアーにでもなって守っていてくれているかのように。
「…………」
 火葬場から煙が出ていた。オレ達は高尾の骨を拾った。
 高尾の不在が生々しくオレに迫って来る。それでもオレはどうしようもなかった。
 半年前、バイクの事故で死んだオレ達の共通の友人の葬式の帰り、あいつは言った。
「オレ、真ちゃんより先に死なないから」
「当たり前なのだよ」
「約束。ね、約束したよ。エース様の最期はオレが看取ってやるんだからな」
 あいつはふざけて時々オレのことをエース様と呼んだ。
(全く。うちのエース様は我儘なんだから……)
 そう文句を言いながらも、必ずオレの無茶ぶりには答えてくれた。
「あの……緑間さん」
 高尾の妹だ。高尾の父と母もいる。
「ありがとうございました。緑間さんといる間、お兄ちゃんはとても楽しそうでした」
「うちの和成がお世話になりました」
「いえいえ。僕も高尾君にはいつも世話になりっぱなしで」
 そうだ。
 高尾はオレの恩人だった。バスケ部で浮いているオレを見かねて、よく話しかけたりふざけかかってきたりした。
 最初は鬱陶しいだけだと思っていたが、気がつくと高尾が傍で笑っていた。ヤツが相棒でいることが当たり前になっていた。バスケの試合でも、プライベートでも。
 高校の頃、チャリアカーで通学していたのも今ではいい思い出だ。高尾はハイスペックなくせにじゃんけんは弱かった。それでいつもオレはリヤカー部分に座っておしるこを飲んだり本を読んだりしていた。高尾はチャリを漕いでいた。一回ぐらいは代わってやるべきだったかと後悔している。
 バスケでもヤツは活躍を見せた。秀徳が――いや、オレが活躍できたのだとしたら、それはひたすら練習と高尾の存在のおかげだ。
 しかし――
(車にはねられて死ぬなんて、どうしてそんなに馬鹿なのだよ……)
 ホークアイがあるくせに車が来るのを見通せなかったのか……。よほど突発的な事故だったのだな……。
(オレを置いて逝くなんて――約束はどうなったのだよ……)
 高尾の思い出といえばあいつの笑顔が浮かんでくる。バスケでふと見せた笑顔、馬鹿笑い……そして、情事の後に見せた満足そうな笑顔。
 高尾はオレを抱きたがったが、じゃんけんでいつも負けてオレの下になることが多かった。じゃんけんでタチネコを決めるのは高校時代の延長だ。
 それに――オレはあの時の高尾の顔や声が好きだった。
 快楽に溺れた高尾。オレが入って行く時、少し辛そうに顰められる眉。射精した時の甘い匂いの汗と体臭。高尾は全身でオレを誘っていた。普段の生活の中でさえ誘っているのか、と驚くことも多かった。本人はきっと自覚もしていなかったに違いない。
 年を取ったら子供達にバスケの楽しさ教えようね。そう言ったのは高尾、オマエではなかったか。
 子供から脱したばかりの時期に死ぬなんて、タイミングが悪過ぎるのだよ。大往生だったらともかく。
 オレはちょっと高尾に似ている可愛らしい高尾の妹の頭を撫でた。
 空でさえ高尾の死を悼んで泣いているように見える。空でさえ泣いているのに、一番泣かなきゃいけないオレが泣けないのは――やはりオレが情が深い質というわけではなかったからか。
 明日からはもうラッキーアイテムさえ必要ない。ラッキーアイテムを一緒に探してくれる友はもういないのだ。
 それに……ラッキーアイテムを持っていたって仕方がない。「おは朝」ももう観ない。必要性を感じないからだ。
 どうやらオレの心は高尾の死と共に死んでしまったらしい。だから泣くこともできないのか。
(オレの全てをオレから奪って……先に死んでしまうなんてあんまりなのだよ。高尾、オマエはひどいヤツなのだよ。違うというなら証明として今からこの世によみがえってくるのだよ……)
 キリストでさえ、死んで三日目によみがえったではないか。キリストも人事を尽くしていたのだとしたら納得のいく話だ。
 オマエも人事を尽くしてよみがえって来るのだよ。体は焼いてしまってもうないが――オレの為に生き返るのだよ。
 その為だったらどんなに人事を尽くしても構わない。だから――呼んでくれ。高尾。その甘い声で、真ちゃん――と。
 けれど――もう一人のオレが言う。人事を尽くしたって仕方ない。死人がよみがえるなんて、普通はないことなのだから。
 オレはつらつら考えている。少し自分でも正気を失っているのではないかと疑うほどに。
 話しかけられてもはかばかしい答えをできないオレを見限ったのか、気がつくとオレは一人になっていた。――いや、正確にはオレの妹が傍にいた。
「兄さん……」
 悲痛な声で呟く。けれど、オレも何と返事をしたらいいかわからなかった。
 何故オレの妹がこの葬式に出ているのか。それは、妹も高尾家の世話になっていたからだ。まるっきり縁のない存在というわけではない。
 高尾の葬式にはたくさんの参列者がいた。高尾の人望がうかがえる。
 オレは――やっぱり高尾が死んだことを認めることができないらしい。今でも。
「緑間君」
 聞き覚えのある声がオレを呼んだ。オレはそいつの名を口に出していた。
「黒子……」
 妹はオレと黒子テツヤを見比べていた。
「まさかオマエも来ていたとはな……」
「高尾君には生前世話になりましたから」
 そんなことは初耳だ。いや、いつだったか、
「黒子っちは高尾っちと仲がいいみたいですよ」
 と黄瀬が言っていた。
 高尾は誰とでも仲良くなれる。相手を嬉しがらせるツボを心得ているのだ――だが、あいつの場合、半ば本能でやっていたのではないかと思っている。
「……この度は――ご愁傷様でした」
 黒子が一礼する。黒子の言いたいことはもっと別のもののような気がするが、それは黒子にしかわからない。
「元誠凜の皆さんも参加したいと言っていましたが、さすがに大勢でつめかけるのはどうかと思いまして、僕が代表で来ました」
「黒子、高尾とはどんな話をしていたのだ?」
 黒子の存在がオレを突然の失語症から立ち直らせたらしい。黒子は答えた。
「それはやはり……バスケでは好敵手でしたし……マジバで一緒に人間観察したこともありました。彼の意見はなかなかユニークでしたね」
 どこでどういうことをやっているのか、およそ見当もつかんヤツだ。高尾とは高校を出てからも頻繁に会っていたが、黒子と一緒に行動していたこともあったとは知らなかった。――そういえば、高尾の口から黒子の名前が出て来ることが時たまあったような気はする。あの頃は「へぇ……」としか思わなかったが。
「黒子……オレは高尾が死んだと知っても涙ひとつ流せない男なのだよ……オレは、冷たいのだろうか。人間として精神的にどこか足りないのではないだろうか」
 つい、自分の本音を目の前の男に話してしまった。黒子にはそういう、人の話を引き出すところがある。どこがどうしてなのか上手くは言えないのだが。
「多分……高尾君の存在が大き過ぎて緑間君は高尾君の死を受け止めきれていないのだと思います」
 黒子は色素の薄い大きな瞳をじっとこちらに向けている。こいつの瞳は何もかも見透かしていそうで嫌だった。だが今は平気だ。今のオレには見透かされて困るようなことは何一つないのだから。
 いつの間にか妹はいなくなっていた。オレ達をそっとしておいてくれたのだろう。
 黒子の言うことも尤もだとは思うが、オレにはどうしてもあいつが死んだ気がしない。どこかで生きているのではないかとつい故ない希望を抱いてしまうのだ。
「最後の手段としてあの人に頼むか……けれど、どうなるかわからないからな……」
 自分一人の考えに浸ってぶつぶつ言っている黒子を放っておいて、妹と高尾の家族を探すことにした。

2015.4.8

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