魔法の天使クリーミィカズ 8

 アイドルになる――。
 しかし、高尾は乗り気でなかった。
(バスケもやりたいし、真ちゃんとも別れたくない。それに――)
 オレにはやっぱりアイドルなんて無理だ。先程、アイドルになるって誓ったばかりだけれど。武士に二言はないというけど、高尾は別に武士じゃない。
 逃げてやる!
 高尾はガチャガチャと扉をノブを動かす。
(ちっ。鍵がかかってやがる)
 高尾は心の中で舌打ちした。かくなる上は。
 高尾はベッドに座って、シーツを裂き始めた。それを結んでロープ代わりにする。
 古典的な手段だが仕方がない。
 ここは三階だ。逃げようと思えば逃げられる。幸い、高尾は高所恐怖症というわけでは全然なく、高いところはむしろ得意だった。
 ベランダに出た高尾はぎゅっとロープ代わりのシーツの端を柵に結び付ける。
 これでよしっと。
 真ちゃん、今行くからね。野村さんに見つからないといいけど。
 野村さんには悪いけど、やっぱりオレ、別にアイドルなんてなりたくないし。
 高尾はシーツで作ったロープを伝って下に降りようとしていた。
(ん、人――!)
 高尾のホークアイが人影を捉えた。その時。
 柵に結わえつけていたシーツがするっとほどけた。
「え、あ――」
「きゃあっ」
 女の声がした。高尾は声の主の上にどさっと落ちた。
「うう……」
「……いたた……あ、あの……」
「大丈夫? ほんと、ごめんな……って、菱川明日音!」
「ど、どうも……」
 帽子とサングラスで顔を隠してはいたが、確かに菱川明日音だった。
(こんの諸悪の根源め……!)
 だが、女の子を責める訳にはいかない。男相手だったらめいっぱい怒鳴って怒るところだが。それでも高尾は、
「何してんだよ、こんなところで」
 と、ちょっとすごんでみせた。立ち上がってぱんぱんと服をはたきながら。
「あ、えっと。野村さんは……」
「知らねーよ。大体、オレ、あいつから逃げるとこだったんだぜ」
「そうですか……すみませんでした」
 菱川明日音がぺこりとお辞儀をした。高尾は意外な気がした。
(へぇー……菱川明日音って人気アイドルだからもっと高飛車かと思ったら)
 本人はテレビのイメージともまた違って、普通の素直な良い子そうだ。
 ひなちゃんに言ったら「そういうものよ」の一言で片づけられそうだが。
「本当にごめんなさい!」
「いやいや、いいってことよ」
「私、野村さんに会いに来たの」
「へぇー、アイドルの座が懐かしくて帰ってきたの? それだったら、オレとしちゃ大歓迎だけど。オレ、アンタの代打で一曲歌っただけだから」
 高尾は、知らなかった。
『高尾和美』を売り出そうとして一大プロジェクトが動いていることを。
 ――いや、薄々知ってはいたが、まさかそこまで大ごとになっているとは思わなかったのだ。
「ここだと何だから、マジバに行こうぜ」
 高尾が言うと、菱川明日音は大人しく答えた。
「――はい」

 その頃、野村は、『クリーミィカズ』プロジェクトに忙殺されていた。だから、部下達から高尾が帽子を被った男の子(実はそれが菱川明日音)と逃走したらしい、と聞いた時も、さもありなんと思いながら、
「見つけたら捕まえとけ!」
 と、怒気を発して電話を切った。
「全く、どいつもこいつも……」
「ん? どうしたかね? 野村君」
「いえ、何でも――」
 野村には、逃亡した高尾の気持ちが手に取るようにわかった。似たような子を知っているから――。

「マジバ……久しぶり……」
 菱川明日音がハンバーガーにかぶりついた。さも懐かしそうに。その様子が、可愛くて、可憐で――。
「あ、うん……」
 高尾は言葉を濁した。高尾はまだ女の子の格好をしたままだ。パジャマも用意されてあったが着替えていなかったのだ。これを人が見たら――謎の少年と美少女のデートに見えただろうか。
(こうして見ると、菱川明日音って可愛いな……ひなちゃんの方が可愛いって思ったこともあったけど)
 でも、オレには真ちゃんがいる。菱川明日音にはいないのだろうか。友達とか、恋人とか。共演者以外で。井原みたいな男は論外だけど。
「なぁ……明日音ちゃん。……つか、明日音ちゃんて呼んでもいい?」
「いいわよ。高尾君」
 そういって、マジバーガーをまたぱくっと一口。
「美味しい?」
「うん、とっても」
「オレもちょっとは金持ってるからさ……あれ、あれ?」
 高尾はポケットを探ったが見当たらない。
「あ、そうだ。オレ、今金欠だったんだ。一文無しのところ連れてこられたし、ギャラだって結局まだもらってないし――まずったなぁ」
 明日音がくすっと笑った。
「面白い? 明日音ちゃん」
「うん。――高尾君て、クラスにいたらとても人気者だったんじゃないかな」
「そうだねぇ……友達はたくさんいたよ」
「いいな……学校生活」
「明日音ちゃんだって学校通ってるじゃん」
「うん、でもアイドルやタレントの卵とか、そういう子ばかりだから――」
「明日音ちゃん、モテるだろうな」
「うーん、どうなのかな……気になる人はいるけど」
「え? 誰だれ?」
「――大人の人」
 そう言った時、明日音の顔がほんの少し曇った。
「誰だろねぇ、ファンが聞いたら、そいつぶっ殺されそうだな」
「――野村さんなの」
 その時、高尾が固まった。野村。それは今、高尾が最も聞きたくない名前だった。
「ほう。それはそれは――でも、どうして逃げたの?」
「野村さんにしてみれば、私はアイドルの一人にしか過ぎないから――。私がいなくなったらいなくなったで替え玉を用意するし」
「それはオレのことか」
「うん」
「まぁなぁ……悪い人じゃないんだろうけど、仕事熱心過ぎるよなぁ……」
「野村さんは、私がいなくなってもどうだっていいんだわ。高尾君、ごめんね。変なことに巻き込んで」
「んにゃんにゃ。構わないよ」
 高尾は、明日音には既に「実はオレ、男の子なんだ」とバラしてある。確かにとんだことになったが、それは明日音だけのせいではない。それに、明日音はいい子だ。何となく守ってあげたくなってしまう。
(まぁ、明日音ちゃんが原因といえばそうなんだけどな……)
 これは浮気じゃないぜ。真ちゃん。……多分。
 高尾が心の中で緑間に言い訳(?)していた時。明日音が言った。
「バニラシェイク、美味しいわよ。高尾君も飲む?」
「え、でも、オレ、金が……」
「おごってあげる! だって、私の話を聞いてくれたんだもん!」

2015.8.29

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