魔法の天使クリーミィカズ 7

「人気なんていらねぇ……真ちゃん……真ちゃんとは……」
「彼とはもう会うな」
「ふざけるな!」
 赤信号で車が止まった時、高尾は車のドアのロックを外し走り始めた。
「待てっ!」
 野村が叫んで高尾を捕まえようとする。だが、いつもチャリアカーを漕いでいた高尾の脚力に敵う者はまず、いない。
「真ちゃーん、真ちゃーん!」
 だが、敵も去る者。
 高尾の足がだるくなった時に、野村は彼を捉えた。
「真ちゃん! 真ちゃーん!」
 真ちゃん――。
 まるでそれしか言えなくなってしまったかのように、高尾は彼の名前を呼ぶ。

(真ちゃーん!!)
「……ん?」
 今、高尾の声がしたような……。
 まさかな。ここは自分の家だ。
 緑間真太郎は、高尾に迫る危機に気付いていなかった。風邪による幻聴――そうとしか思わなかった。

「離せー! 降ろせー! アイドルなんかやめてやる!」
 高尾は野村に抱え上げられながらじたばたと足掻いた。
「このじゃじゃ馬め! 俺の言うことを聞け!」
「嫌だ! 真ちゃん! 真ちゃん!」
「俺の言うことを聞けば緑間真太郎にも会わせてやる!」
「てめーに指図される言われはねぇ! それに、『もう会うな』って言ったばかりじゃねぇか! 矛盾してるぜ!」
「あれは言葉のあやだ。――緑間がどうなってもいいのか」
 野村は変貌を遂げた。
 彼はもう既に人当たりのいいスカウトマンではなかった。
「真ちゃん……真ちゃんに何する気だよてめーら……」
 野村は答えない。そして、それが答えだった。
「オレだったら何だってする! 真ちゃんには手を出すな! 真ちゃんはオレが守る!」
「もう無理だ。君と緑間が抱き合っているシーンは明日には新聞に載っていることだろう」
「オレ達男同士だぜ。それでも書くのかよ……」
 高尾の声は震えていた。自分の家族は問題ではない。みんな高尾の為に一生懸命になってくれるだろう。
 だから……真ちゃんだけは……緑間真太郎だけは……。
「か……書かないでくれ……真ちゃんは、オレとは……何の関係もないと言ってくれ」
「わかった。あの抱擁は友人同士の、ということにしておこう」
 真ちゃん……。
 高尾は自分ががくがくと震えるのがわかった。
 不意に地面がなくなり、宇宙空間に放り出されたような頼りなさを覚えた。
(ここは……オレ達の知ってる街と違う……)
 この間まで、オレが真ちゃんと歩いてた場所。
 もう、不気味な別世界だ。
「真ちゃん……」
 苫米地は何も言わない。野村はライターで煙草に火を点けた。
「君の部屋はもう用意してある。というか、用意させてもらった」
「野村さん……いや、野村」
「何だね」
「真ちゃんを傷つけたら……どうなるかわかってんだろうな……」
「わかってるさ。俺の目だって飾りではない。君達が深く愛し合っていることぐらい、わかってるさ……」
「…………」
「おまえはセイレーンみたいな奴だ。おまえの歌を聴いた者は、みんなおまえに恋をする。現に俺だって――」
 え――?
「……喋りすぎたな。おまえが女なら良かったのにな」
 今のはどういう意味だろう。しかし、高尾はわかりたくなかった。野村の気持ちを。
 ひなちゃん……。
 高尾は高校の同級生のことを思い出していた。
 どうしてここにいるのがひなちゃんじゃないんだろう……。彼女なら、この役はうってつけだ。最初は渋っても、OKを出すに……。
 いや、芸能界でアイドルになるのは貞操と引き換えって聞いたことがあるぞ。よしんばそれがデマであっても、あの世界を生きていくのは大変そうだ。出会いもあるかもしれないが。
 ひなちゃんだって可愛いが真面目な少女だ。アイドルの座よりも真っ当な高校生活の方を選ぶだろう。
 そう。男という男に次から次へと襲われるなんて、そんなことは現実には訪れない。芸能界を密かに夢見、恋を密かに夢見る少女が描き出した、泡沫の物語。
 オレは――緑間真太郎のものだ。
「泣くな」
 いつの間にか、涙が頬を伝っていたらしい。
「泣くな。取って食いやせん」
「それと同じようなことしてるでしょ?」
「――違いない」
 高尾は吹き出しそうになって……それから真面目な顔になった。鼻を啜って涙で濡れた目元を拭いた。
「Jステ、良かったよ」
「――そうですか」
 高尾はカタカナで『ソウデスカ』と発音した。まるで機械人形になったみたいに。
「売れるだろうね。クリーミィカズ。宜しく、カズ」
 高尾は野村の差しのべた手も取らず、イーとあかんべぇをした。
「ははは、面白い子だ」
 ――いつか、こいつに後悔させてやる。オレと真ちゃんを引き離したことを。
 まず、明日音の行方を探そうと思った。彼女なら、利用できるかもしれない。
(どこにいる。菱川明日音――)
 そういえば、彼女が元々の元凶なのだ。彼女さえちゃんとアイドルしてたなら、野村も代打を探す必要もなく――こんな茶番に巻き込まれずに済んだのだ。
 そしてバスケ。
(バスケを諦める――?)
 嫌だ、……そんなの嫌だ!
 激しい炎が心の中に燃え盛る。バスケだけが真ちゃんと自分とを繋ぐ絆だったのに。
 真ちゃんと1on1を思いっきりしたい!
「――着いたぞ」
 ここが……。
 高尾はふらふらと彷徨い出た。
 おっきい……。
 豪華なマンションだ。それこそ、トップスターが住むような……。
「三階へ――菱川明日音の部屋だ」
 ああ、またしても菱川明日音だ。
 菱川明日音、菱川明日音――菱川明日音って一体何モンなんだ。
 まだパンピーの時代には、可愛いなぁって思いながら観てたけど。
 マスコミの虚像に踊らされるのが嫌になって姿をくらましたのかな。それだったら同情の余地もあるけど。
 でも、あんな女よりひなちゃんの方が絶対可愛い!
「さぁ、ここだ。ここでは俺の指示に従ってもらう。――寝る時も、食事の時も、仕事に行く時も。貴重品はこの金庫の中だ」
「わかってます」
 込み上げる衝動を押しとどめて、高尾は肯んじた。今も、さっきの炎の残り火が燻っている。
 真ちゃん。オレ、アイドルになるんだ。オレの出てくる番組、絶対見てくれよ。ほら、女装してるオレがこれ。なかなか美人ちゃんだろ?
 心の中で緑間に話しかける。笑顔で伝えたつもりだったのに、何故か涙が出てきた。
 ――それから、オレ、真ちゃんとバスケがしたい。今すぐにでも。

2015.8.19

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