魔法の天使クリ―ミィカズ 4

「急いで急いで!」
 楽屋には『菱川明日音』という名前は傍線で消されていて、代わりに『高尾和美』という名前が書かれていた。
 如何に明日音の失踪が急なものであったかがわかる。
「こういうこと、前にもあったって言ってたよね」
 高尾が野村に訊いた。
「ああ」
「その時はどうしたわけ?」
「トークを引き延ばしたりNGシーン流したりして間を持たせたさ。けど、こんなこといつまでも続けるわけにはいかんしな」
「へぇ……」
 芸能界も大変だな、と高尾は思った。
 テレビで観る菱川明日音は可愛くて賢そうで、とても仕事を投げ出すような無責任な子には見えなかったのだが――。
(人ってわからんもんだな)
 宮地だって、菱川明日音のことは気にはなっている。ただ、自分の押しメンのライバルなので、立場上好きではない、と言っているだけだ。
 宮地サンも素直でないからなぁ……。
 それにしても、いい匂いがする。ここが菱川明日音の楽屋か。高尾は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。そこで高尾ははっとする。
(浮気するわけじゃないからね、真ちゃん)
 緑間もいい匂いがするが、この部屋に立ち込めているのはそういうのとは違って、いうならば女の子の匂いだ。
「高尾君……違った。今は和美君だったっけ」
 野村が中年女性を伴って入ってきた。高尾がぶっきらぼうに答える。
「いいよ。どっちでも」
「こちら、メイクアップアーティストの北さん」
「北です。宜しくお願いします」
 北は丁寧にお辞儀をした。
 礼儀正しい人なのだな。高尾が思っていると。
「ムラちゃん、可愛い子見つけてきたじゃないの」
 そういって、北は野村をどついた。
「ん?!」
 高尾は目の前がちかちかする思いだった。
「これでも男だ。もっと美少女に見えるよう化けさせてくれ」
「へぇー。これが男の子かい。恐ろしい世の中になったもんだね。ねぇ、キミ、どのぐらい男の子誑かしてきたんだい?」
「た……誑かすなんて……」
 冗談じゃない。今は緑間が恋人だけど、ちゃんと女の子に初恋もしたのだ。
 それに、バスケで男を誑かすどころではない。
(まぁ、それでも真ちゃんには恋したけどな……)
 緑間を誑かしたなんて思っていない。高尾は真剣だし向こうだってそうだろう。何せ相手は超がつくほど生真面目な男なのだから。
 肌を重ねたことはまだあまりないのだが……。
「オレ、男を誑かすなんて、そんなことしたことありません」
「おやまぁ。見かけの割に固いのねぇ」
「オレはバスケ一筋ですから」
 強ち嘘を言っているつもりはない。緑間ともバスケを通して知り合ったのだから。
「硬派なのね。よしよし。気に入った。おばさんが素敵な美少女に仕立て上げるよ。腕が鳴るわ♪」
 高尾の顔がひくっと引きつった。
 それもこれも、先輩の悪ふざけから始まったのだ。
(センパイのおおばかやろう~~~!)
 そう叫んで番組をぶち壊してやろうか。そんな捨て鉢な気持ちにもなったが、そうすれば菱川明日音にも迷惑がかかるかもしれない。
(明日音ちゃん、早く帰ってきてくれよ……)
 高尾としてはそう祈らずにはいられなかった。
 下地クリームを塗って、アイシャドウをひいてマスカラをつける。頬紅をさすと、鏡の中の高尾は見事な美少女に化けた。それこそ菱川明日音も敵わないような――。
(オレってこんなに綺麗になるんだぁ……)
 真ちゃんの風邪が治ったらこの姿見せてやろうっと。いつもの高尾のいたずら心がむくむくと湧き起こってきた。
 北さん。天才だな。オレがこんなに美人になるなんて。
 鏡の中の高尾は妖しさが増している。女性ではないのに、どこからどう見ても美少女だ。
(まよてんの世界だなぁ……)
 以前、仲良しのひな子に栗本薫の『真夜中の天使』を貸してもらったことがある。最後まで読んだ高尾は衝撃で一日中ぼーっとしてた。
 それからひなちゃんとすごいすごいと言い合って、クラスの連中にも布教してやり、ちょっとしたまよてんブームを巻き起こした。確か緑間も読んだはずだが、彼がどんな反応を示したかは忘れてしまった。
 クラスの演し物でも、まよてんをやろうということになって、
「高尾君だったら立派に今西良役やれるよ!」
 と懸命にひなちゃんが推した。ちなみに滝さん役には緑間が候補に上がっていた。
 緑間が滝さんならやってもいいかな……と、その時、高尾は思っていたが。
 結局その話は担任のえらい反対で流れてしまった。
 しかし、今西良はとにもかくにも男の格好で歌わせてもらえる。
(こっちは女装だもんなぁ……)
「綺麗な肌してるわよねぇ。若いっていいわぁ。そういえば、あなたいくつ?」
「15です。今年16になります」
「そうなの。明日音ちゃんと同い年なんだ。若いというよりまだ子供だねぇ。こうして喋ってみると普通の子と変わんないような気がするねぇ。ムラちゃんも罪作りな男よ。犯罪者だよ。全く」
(そうだそうだ)
 高尾は北ママのセリフで溜飲を下げた。
「ポーラスタープロダクションて、人材ないの?」
「そうでもないんだけどさぁ……やっぱり敵も多いからねぇ……菱川明日音の失踪がバレると、『ざまぁ見ろ』という奴らも少なくないのよ。芸能界は鬼千匹だからねぇ」
 いや、そんなことでは済まないと思います。
 高尾が心の中でそう言った。菱川明日音の失踪がバレたら一大スキャンダルではないだろうか。
「うすうすおかしいと感づいている子もいるそうよ。他のプロダクションと繋がっている子もいるし……だから、外部から代役を連れてくる他なかったのよ」
 なるほど。それでオレが誘拐されたのか。拉致とも言えそうだけど。
 けれど、高尾も一応納得して引き受けたのだ。今更後には引けない。
「北さん、オレ、自信ないけどがんばってみます」
「その意気その意気。髪はこのまんまでいいわね」
「え?」
 ウィッグくらいかぶるのかと思っていた。Jステは家族も観てるのに。
「できるだけ素材の良さを引き出してください、というプロデューサーからのお達しなんでねぇ」
「そうですか……」
「時間ないよ。急いで」
 野村が駆け込んでくる。
「服装はちょっと古いがまぁそんなもんでいいだろう。プロデューサーに……あ。ちっきしょ。あの人に引き合わせるのが先だったかな。まぁいいや。来て」
 野村は高尾を引っ立てて行った。
「えらく美人になったじゃないか。うちのプロデューサーも大喜びだよ。この姿見せて度胆を抜く作戦もありかな」
 立ち直りの早い男だ。これがマスコミ人種ってヤツか? 高尾は呆れる思いだった。
「プロデューサーの丸橋健二さんだよ。ほら、挨拶して。丸橋さん。こちらが例の高尾和美です。ほら早く」
 野村は高尾の背中を叩いた。
 いってぇなぁ、と思いながらも、外見はしおらしく、
「高尾和美です。本日は宜しくお願いします」
 と挨拶した。本日は、とわざわざ付け足したのは、もう二度とやらないぞ、という牽制の意味も込めてである。
「ムラちゃん。やったじゃないの! それにこのオレンジ色の瞳! 貴重だよ!」
「は、ありがとうございます」
「高尾君だっけ? 君、本当に男の子なの?」
 野村辺りから話を聞いていたのだろう。高尾は大人しく「はい」と答えた。
「和美というのは芸名だってね?」
「芸名です。本名は高尾和成です」
「高尾君、今日は宜しくね」
「はい。あの……菱川さん、見つかるといいですね」
「見つかるさ。いや、見つけてみせる! 不肖丸橋健二、この俺の意地にかけて!」

2015.7.31

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