魔法の天使クリ―ミィカズ 2

(この格好で街を一周して来いなんて、センパイ達なに考えてんだろ……)
 秋風が吹いている。何となく足元がすーすーする。今日がそんなに寒くなくて良かったけど――。ほら、あそこの男なんてオレのことガン見してるし。すごくヘンなんだろうな。
 それは、あまりにも高尾が可愛過ぎて目を奪われているだけだが、高尾はそう考えない。
「ちょっと君、お茶飲まない?」
 来たー。キャッチセールスってヤツだ。しかし、今時『お茶飲まない?』はないだろう。
「か、考えてませんので……!」
 高尾は逃げるように去って行った。
 高尾は後ろを振り返る。大坪、宮地、木村がついてきていた。宮地なんてにやにやしている。
(真ちゃんだったら、こんな馬鹿な罰ゲーム止めてくれるのに――)
 高尾の目頭は熱くなったが、涙は飲み込んだ。
 男、高尾和成はこんなことでべそをかいたりはしないのだ。たとえ女装はしていても。
(真ちゃん……)
 高尾は物想いに耽っていて、黒服の男が近付いてくるのに気がつかなかった。気づいた時にはもう遅い。
「君……ちょっと我々と来てくれないか?」
「え……あ……」
 誘拐だ。こんな悪目立ちしているから目をつけられたのだ。
「あの、俺……」
「さぁ、早く乗って!」
 逃げようにも、手首を掴んだ男の力が強くて振り払えない。
「だ……誰か、助けて! 助けて!」
「騒ぐんじゃない!」
 高尾は男から逃れようともがいている。往来を通る人達は見て見ぬふりで去っていく。その時――静かだがドスの効いた声が聴こえた。
「うちの後輩に手を出さないでください」
 大坪が男の腕を捕らえていた。
「大坪サン!」
 高尾の顔がぱっと明るくなった。
「そうだ、轢くぞ、こら」
「宮地、いつでも用意はできてるぜ!」
 宮地と木村も出て来た。 
(いい人だ! 性格にちょっと難はあるけど、うちのセンパイ達はみんないい人だ!)
 高尾はセンパイ達に感謝した。
「わ……私は怪しい者ではない」
「グラサンに黒服という時点で充分怪しいわ」
 宮地の言葉に、その場にいた秀徳スタメンの全員がうんうんと頷いた。
「わ、悪かった……私はこういう者だ」
 高尾の手首を離した男は懐から名刺を取り出した。高尾達は名刺を覗き込んだ。
「ポーラスター……プロダクション?」
「ほら、君達も知ってるだろ? なんとあの超人気アイドルグループAKB(あっかんべー)を世に送り出したんだからね」
「あ、オレも知ってる! すげーんだってな、今」
「そのポーラスタープロダクションの方が何でオレに声かけたんすか?」
「それは……いささかうちの事務所の恥をさらすことになるんだが――菱川明日音って知ってるだろ?」
 案外簡単に話すな、と思ったが高尾は頷いた。
「その菱川がまた姿を消してな」
「またってことは、この前も……?」
「ああ」
「菱川なんてやめさせたっていんじゃね? オレあんま好きじゃねぇし」
 宮地が大きく欠伸をしながら言った。
「そうはいかんのだよ。すごい売れっ子だからな。まぁ、菱川のことは君達には関係ない。問題は菱川の代打を誰にするかということでな――」
 高尾は嫌な予感がした。宮地がおそるおそる訊いた。
「もしかして、高尾に菱川の代わりをさせようと……」
「まぁ、そんなところだ」
「嫌っすよ、そんなの! 大体それだったら自分とこの事務所の女の子を出してやればいいじゃないですか!」
「もちろん、事務所の方も今、適当な子を見繕っている。だが、菱川クラスとなるとつっかう子がなかなかいなくてだな……」
「だからオレっすか? 冗談も程々にしてくださいよ。オレあんなに歌えないっすよ」
「もちろん、今日だけでいい。J-POPステーションの生放送ライブに間に合いさえすれば……礼は必ずするから」
「――行ってやれ、高尾」
「大坪サン……」
 高尾が戸惑って視線を大坪に寄越した。大坪は大真面目な顔だが何も言わない。高尾が言葉を続けた。
「でも、胡散臭過ぎっすよ。菱川の代打で出るなんて話。大体、こいつが本当にポーラスタープロダクションの人間かどうかも怪しいし――……どっかの三流プロかもしれないっしょ」
「そんな人を引っかけるようなことは我々だって誇りにかけてしない」
 男はずれたグラサンを直した。
「それにしても、君は可愛いのに口は悪いな」
「オレにとっちゃこれが普通だよ」
「――ますます気に入った。……いやいや」
 男は最後の方は付け加えるように呟いた。
「でもなぁ……高尾の言うこともわかるしなぁ……」
「だよなぁ。本当にこの人がスカウトマンかどうかわからねぇし……」
 宮地と木村が顔を見合わせる。
「もし協力してくれたらの話だが――」
 男は宮地と木村に彼らの推しメンのサインをもらってきて渡すという約束をした。
「高尾! 行って来い! 先輩命令だ!」
 宮地が爽やかな笑顔で親指を立てた。
「えーと、宮地サン? オレ、急に宮地サンのこと殴りたくなったんすけど」
 これだからドルオタは! ――高尾は心の中で憤慨した。
「あ? オレの言うことがきけないってか? 轢くぞ、コラ」
「轢かれても構いません。オレ、やりたくありません」
「じゃ、今すぐ三千円返せ」
「うっ……」
 高尾は言葉に詰まった。お金は全然持っていなかったのだ。
「なんだ? 三千円が欲しいのかい? それぐらいなら前金にもならないが。私のポケットマネーで払ってあげるよ」
「え……? 前金?」
「ギャラはたっぷり払うよ。どうかな?」
 ギャラがたっぷり……高尾にはそれが魅惑的な言葉に聞こえた。
「はい。三千円」
 男は三千円を高尾ではなく宮地に渡した。宮地は女衒の笑みをした。
「高尾をよろしくお願いします」
「おーい!! 宮地サーン!!」
 高尾が叫ぶ。
「こんなチャンス滅多にねぇぞ。芸能人を生で見られるんだ。もしこの人が芸能プロでなくてAVプロの人間だったとしても、大丈夫。その時にはオレ達が助けに行ってやる」
「ほんとですかぁ? いまいち信用できないなぁ」
「えーと、野村さんでしたっけ?」
 大坪が男を呼んだ。それは男が渡した名刺に書いてあった名前だ。
「そうだが?」
「高尾。この人は信頼できる」
「うーん。大坪サンがそういうなら……でもどんな根拠から信じられると?」
「目を見ればわかる」
「この男は思いっきりグラサンじゃないっすかぁ!」
 野村は色の濃い真っ黒に近いサングラスをかけていて表情が読めない。それにしても大坪が冗談を言うとは思わなかった。
 ――だが、結局なんだかんだで高尾は、この有名芸能プロのスカウトマンとおぼしき男に車の中に連れて行かれることになる。これからどうなるのかわからなくて、不安で胸が潰れそうになりながら。
 真ちゃん――。車に乗る直前、高尾の脳裏を過ぎったのは恋人である緑間真太郎のことであった。

2015.7.19

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