李下に冠を正さず 4

(あ、高尾だ――)
(よく来れたわよねー)
(恥さらしよ恥さらし)
(オレだったらしばらく学校に来れないね)
 昨日までのクラスメート達が口々に囁く。
 泣くもんか。泣くもんか――。
 男、高尾和成は、こんなことで泣いたりはしないのだ。
 今日は真ちゃんと一緒に登校した。真ちゃんも陰口の標的になった。ただ、真ちゃんは慣れているのか泰然自若としていた。
 すげぇなぁ……キセキの世代って。平気なの?って訊いてみたら、
「お前も知ってるだろう。こんなことは中学から当たり前だったのだよ」
 との答えが返ってきた。緑間真太郎め! どうせ豆腐メンタルだろうと思ってたのに、惚れ直しちまうじゃねぇか! くそっ!
 そういうわけで、オレは真ちゃんの真似をして読書にのめり込もうとした。でも、聞こえてくるのは悪口ばかり。
「おはよう。高尾君。緑間君」
 女の子らしい可愛らしい声。――ひなちゃん!
「ああ、おはようなのだよ……」
「おはよ……」
「高尾君、災難だったね。でも、私は信じてるからね。早く真犯人が捕まるといいね」
 そして、ひなちゃんはオレの手の甲を撫でた。そこは昨日真ちゃんの頬に触れたところ――。
 それよりも、オレは、涙を堪えるのに必死だった。
 敵意なら、跳ね返せばいい。でも、好意や愛情というヤツは――。
(朝倉のヤツ、高尾に親切にしてるぜ)
(いいなぁ。オレも朝倉に慰めてもらう為にロッカー荒らししようかなぁ)
 ひなちゃん、オレのせいで心無い言葉ぶつけられたね――ごめんね。
 あ、涙のダム、決壊しそう。
「オレ、トイレに行って来る!」
 オレは駆け出した。真ちゃんが追ってくる。
「高尾!」
 真ちゃんがオレの腕を取る。
「トイレで……泣こうとしたのか?」
 真ちゃんに嘘言ってもしようがない。うん、とオレは頷いた。
 そこへ、笑い声が聞こえた。だんだん近づいてくる――。うちのクラスの生徒ではないな。声に聞き覚えがあんまないから、知り合いだとしてもうすーい知り合い?
 トイレも公共の場だもんな。
「お前さー、聞いた? バスケ部のロッカー荒らし事件」
「聞いた聞いた。高尾がやったんだろ。サイトにも書いてあったぜ」
 サイト? 裏サイトとかいうヤツのことかな。秀徳にもそんなのあるんだ。オレがどうしようかとあたふたしていると。
「こっちへ」
 真ちゃんが個室に連れ込む。
「し……真ちゃん?」
 オレが目を白黒させていると、
「しっ!」
 と、制された。
「どうする? あいつ――高尾のことやっちゃう?」
「やるって――オレ、男はごめんだぜ」
「そういう意味じゃねぇよ。――いや、そういう意味にしてもいいかな」
「カンベンしろよ……」
「どうせ緑間とやってんだろ。オレもあいつだったらやれるかもしんねぇなぁ」
「まぁ……顔はいいからな……」
「ま、緑間こえぇし、冗談だけどさ」
 哄笑しながら、そいつらは去って行った。
「真ちゃん……」
 真ちゃんと寝たことがあるのは本当だ。でも、あんな下卑た言い方されると、オレが汚れているみたいで――。
 オレが、綺麗な真ちゃんを汚してしまったみたいで――。
「真ちゃん、ごめん……」
「――何故、謝るのだよ」
「オレと寝なきゃ、真ちゃんは綺麗なままでいられたのに……んむっ」
 オレの唇が真ちゃんのそれに塞がれた。かなり深い口づけ。ぷはっと、オレは酸素を欲して真ちゃんのキスから逃れた。
 真ちゃんが言った。
「馬鹿め。好きな者同士が愛し合うのは当然のことだろう」
「好きな者……同士?」
「察しろ」
 顔を背けた真ちゃんが首まで真っ赤になってる。オレはブフォッと吹き出した。
「――何がおかしい」
 真ちゃんがこっちを睨む。
「だって、こんな……こんなところでデレるなんて……トイレだよ、ここ。しかもちょっとくせぇし――」
「…………」
「まぁ、これがほんとの臭い仲。なんちゃって」
「茶化すな、なのだよ」
「いやいや。ありがと。真ちゃん」
「涙……出てるのだよ」
 真ちゃんが折り目正しいハンカチでオレの涙を拭いてくれた。
「真ちゃん……愛してるよ」
「オレも、なのだよ……」
「でも、こんなところでする気にはなれないなぁ」
「あ、当たり前なのだよ! 何を考えているんだ貴様は!」
「そうだね」
 オレは、ははっと笑った。
「――元気出たか?」
「うん!」
「じゃあ、教室に戻るのだよ」
 オレと真ちゃんは揃って教室に戻った。
 こういう時、小説とかマンガでは机汚されたり隠されたりするんだよな……。でも、秀徳は基本的には伝統のある上品な学校らしいので、オレはそんな目に合わずに済んだ。ま、裏サイトはあるみたいだけどね。
「おーい、高尾~」
「あ、三波じゃんおはよう」
「おはよう。何か昨日大変だったらしいじゃん」
「まぁね」
 ――今も充分大変だけどね。陰口叩かれたり、エース様の突然のデレで心臓がパニくったり、でも、面白かったり――。
 コイツはオレがやったとかいう書き込みのあるサイトとやらを見ていないのだろうか。
「ま、そう落ち込むなよ。お前はこんなことするヤツじゃない。お前の犯行にしては卑劣だもんな」
「信じてくれんのか? ――ありがと」
 つい嬉しくなって笑ってしまった。
 三波がおかしな顔してる。どうしたってんだ?
「えーと……それはだなぁ……やっぱりクラスメートなんだからなぁ……あ、じゃあな」
 三波が自分の席へ戻って行った。なんだかふらふらしてる。人の心配してる場合じゃないけど――大丈夫か? あいつ。
 真ちゃんが溜息を吐くのが聞こえた。
「全く――ライバルを勝手に増やすのではないのだよ」
「ライバル?」
「――今のは聞かなかったことにするのだよ」
 何それ。お礼言うのがそんなに変だったか?
 ガラッと扉が開いて、先生が入ってきた。日直のきりーつ、礼の声が響いた。
 授業中は静かなものだった。やはりここは進学校だから、バスケ部ロッカー荒らし事件のことより勉強の方が大事なんだろう。オレとしてはそれで助かったんだけど。

2016.3.17

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