李下に冠を正さず 3

 オレ、真ちゃん、なっちゃんは、オレの部屋で円くなって座っていた。
 真ちゃんはことのあらましをなっちゃんに話して聞かせた。あんこ餅を食べながら、いつも通りマイペースに、ゆっくりと。
 ――つか、何この雰囲気。作戦会議っぽいことするんじゃないの?
 誰か喋ってよ、ねぇ。
 もういい、オレが喋る!
 オレが口を開きかけた時――妹のなっちゃんが言った。
「お兄ちゃん。どうしてカッターナイフを持ってたの? そんなヘマするお兄ちゃんじゃないじゃない」
「うん、どうかしてた……」
「騒げば良かったのよ。いつもみたいに」
「いつもみたいにって――なっちゃんのオレのイメージってどんななの?」
「それは勿論――」
「煩い奴に決まっているのだよ」
 真ちゃんがなっちゃんの台詞を引き継いであんこを啜りながら喋った。
「お前が騒いでいれば、大事にはならなかったのだよ。そして、オレもお前を疑うようなことはなかった」
「真太郎さん! ちょっとでもお兄ちゃんを疑ったこと、お兄ちゃんが許しても、この夏実さんが許さないんだからね!」
 妹ちゃんは夏実と言うんだ。
 確かになっちゃんなら無条件でオレのことを信じてくれるだろう。これが身内と他人の差で――真ちゃんとは相棒だニコイチだとは言っても、元々は赤の他人には違いない。
 秀徳高校に通っていなかったら、ゆきずりの関係――たった一度、中学時代バスケの試合で会った、それだけの関係だったのかもしれないのだ。
 オレは、真ちゃんと会えた運命に感謝する。でも、他人は他人なんだよな。だけど――
 真ちゃんにそれを言ったら傷つくだろう。方向性が間違っているだけで、真ちゃんも一生懸命生きているいいヤツには違いないのだ。
 それに、他人だからこそ築ける関係もある。オレ達は始まったばかりだ。
 真ちゃんはオレに熱を分けてくれた。――今度はオレがそれに応える番だ。
「オレ、あの時のことは記憶にないんだ――つか、記憶が飛んでるんだ」
「何それ」
「いや、あり得る話なのだよ。これはオレの友人の話だが――旅行から帰ってきた後、時間の感覚がおかしくなって昼だと思ってたのに、もう夜だった――そんな体験をしたヤツがいるのだよ。単なる時差ボケというヤツではなく。客観的な時の流れを主観で把握し切れていなかったのだろうな」
「何だかものすごい話だな」
「未成年だからまだ良かったものの――成人だったら精神病院に入れられても文句は言えないのだよ。彼には彼なりの言い分があるにしてもな」
「そっか。その男も気の毒だね。――だがね、今回のロッカー荒らし事件についてはオレにも言い分があるさ」
「お兄ちゃん……」
「オレ、秀徳高校のバスケ部の皆は味方だと思ってたのに――信じてくれたの、監督と三年の元スタメン組と裕也サンだけだもんな」
「なるほどな」
「あ、真ちゃんも信じてくれてるよね」
「けど、オレは――高尾がやっていても不思議ではない、と思っていたのだよ」
「おいおい」
「ねぇ、真太郎さん、お兄ちゃんと真太郎さんて本当に相棒なの? こういう時、真っ先に信じてあげるのが相棒ってもんじゃない?」
 なっちゃんが胡乱げな目を真ちゃんに飛ばす。
「――面目ないのだよ」
「なっちゃん、真ちゃんは本当にオレを励まそうとして来てくれたんだよ」
 そう、あのキスも、オレの手の甲を己の頬に当てて温めようとしてくれたことも――全部、全部、オレの為にやったことだ。
 真ちゃんは悪くない。けど、オレだって悪くない。悪いのは真犯人だ。
 なっちゃんはいい子だし真っ直ぐなんだけど――ちょっと人間関係に夢見がちなところがありそうな気がする。ま、まだ中二だもんな。今度中三か。受験シーズン真っ盛りだよな。秀徳に行きたいと言ってるけど、どうなるもんかね。今回の事件のおかげで。
「で、どうする?」
「無論、犯人を捕まえるのだよ」
「でも、お兄ちゃんカッター持ってたんでしょ? 現場を荒らさないというのは、刑事ドラマの第一条よ」
 なっちゃんは刑事ドラマが好きだ。でも、犯人を当てたことはほとんどない。車を見ればわかるのになぁ。
「そのカッターは落ちてたの?」
「……落ちてたんだよ」
「拾った時に誰か来たわけ?」
「――宮地サンだよ」
「カッターはどんなカッター?」
「普通のカッターだよ。柄が赤いヤツ」
「お兄ちゃんは赤い柄のカッターなんて持ってなかったわよね」
「なっちゃん……警察の尋問みたい」
「あ……あら、ごめん、ね」
 なっちゃんは苦笑しながら首をこてん、と傾けた。可愛いんだから、もう。――それどころでないのはわかってるけど。
「真ちゃんは――どうしてオレのことを疑ったの?」
「疑いたくはなかった。けど、これだけは言っておく。相手が宮地先輩でも大坪主将でも、あの場面を見たらオレは疑っただろう」
「でも、もう疑うことはやめたの?」
「ああ。高尾だったらこんなことはしない。もっと巧妙にやる」
「真ちゃんのオレの評価って……」
「これでも買ってやってるのだよ」
 オレ達がぎゃあぎゃあ騒いでいると、なっちゃんが――
「良かった。いつものお兄ちゃんに戻った」
 などと目に涙を浮かべて言った。
「よし、今から学校に行くぞ」
「あ、私も行く」
「夏実はダメだ」
「どうして」
「女の子を危険に合わすのは良くないことなのだよ」
 今度ばかりはオレも真ちゃんの肩を持つ。
「オレは行ってもいいよな」
「お前もダメだ。ますます疑われる」
「ちぇー。じゃあ携帯で連絡入れてくれよ」
「わかったのだよ」
 そう言って、真ちゃんは高尾家から出て行った。
「いい人だよね。真太郎さん」
「そうだな――」
 でも、ただのいい人とは違うんだ。オレの手が触れた真ちゃんの頬――暖かかった。なっちゃんがあんこ餅の入っていたお茶碗を持って部屋を出て行ったあと、オレは自分の手の甲にキスをした。
 真ちゃん……。
 着メロが鳴って、オレはスマホを確かめた。真ちゃんは緑のガラケーだった。
『学校なう』
『ムリしないでね、真ちゃん』
『わかっているのだよ』
 部室に不用意に近づいたら真ちゃんまで皆に疑われるんじゃないか。オレは心配でならなかった。真ちゃん……。
 またスマホが鳴った。
『警備の先生に呼び止められた。事情を話したのだよ』
『どこまで?』
『バスケ部の友人が困っていると。警備の先生は今日の事件について聞いていたらしい。友達大事にな、と言ってくれた』
『真ちゃん、もう帰って来て』
『ああ、今日は家に帰るのだよ』
 オレはほっと一息ついた。
 明日、どうしようかな。チャリアカーも置いてきてしまったし。真ちゃんが乗らないんじゃ意味ないと思って。
 ――今日、真ちゃんはオレよりも早く帰った。ほんとはオレもちょっと頭来てたし、チャリアカーなんて置いて帰ってやる!と思っていたのかもしれない。
『真ちゃん、どうしてオレを信じる気になったの?』
 オレはメールで訊いてみた。返信が帰ってきた。
『高尾の様子を見ていればわかる。お前は――正義感に溢れているし、何よりバスケを愛している。絶対に部室を荒らすことはしないのだよ』
 真ちゃん……やっぱり真ちゃん自身も信じるに足る人物だ。
『オレ、嬉しいよ。真ちゃん』
『明日学校へは行くだろう? 宿題終ったら早く寝ろ』
 おかんか……オレはくすっと笑うと、お風呂に入って宿題をして寝た。こんな際だから、宿題なんかサボってやろうかとも思ったのだが、真ちゃんの、『人事を尽くせ』と叫ぶ姿が頭に浮かんだので、学生の本分を見失わずに済んだというわけ。

2016.3.15

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