猫獣人たかお 97

 真ちゃんはあの時警察に行ったが、理由が認められて無罪放免となったらしい。その間オレはずっと病院のベッドで寝ていた。――後でいろいろ訊かれはしたが。
 ――山田三郎は保釈された。
『たかお君……あの時はお父様が……ごめんね』
 葉奈子さんが電話で喋ってくれた。
「葉奈子さんのせいじゃないよ」
『でも、あなたを刺したの、お父様だし……あ、そうだ。お父様から伝言があるの』
「なぁに?」
『明日会えないか、ですって。――断ってもいいのよ。というか、断られるのが当然だと思うけど』
 葉奈子さんが鼻に皺を寄せている様子が見えるようだ。
「いいよ……会うよ」
 オレだって、山田三郎には言いたいことは山ほどあるんだ。けれど、あの葉奈子さんのお父さんだ。本当はいい人であることを祈るよ。
『何かあったら――私に言うのよ。あなたは私の恩人なんだから。その……みーくんにも会わせてくれたし』
 葉奈子さん……。
「ありがとう」
 オレがそう言うと、葉奈子さんは「じゃあね」と言って電話を切った。

「山田さん」
「改めてこんにちは。高尾和成君」
 山田三郎が深々と頭を下げた。
「いいえ……」
 ちょっと戸惑ってしまうなぁ。そんな風に畏まられると。
「今日は会ってくれてありがとう。私は何もかも失ってしまったよ……妻も、娘も……心の友も」
「心の友?」
「ああ……迷った時には必ず指針を与えてくれた」
 オレのてっちゃん神様のようなもんか。
「ナッシュ……」
 え? 今、なんつった?
「ナッシュ?」
「私の心の友の名前だよ。ナッシュ・ゴールド・Jr.というんだが」
「何だって?!」
 オレはさぞかし怖い顔をしていたに違いない。山田三郎の方が目を丸くしていた。
「知ってるのか? ――ああ。同性同名のマジシャンがいたか」
「……オレ――いや、オレ達は彼と対決したこともあるんですよ。あいつは本当は悪魔だったんです。ジャバウォックと言う邪悪な組織のリーダーです」
「そうか――テレビで観てもしや、と思ったよ。あいつが有名なマジシャンと知って内心得意になった。別人だと思っても、どうしても私のナッシュを思い出してしまっていたよ。自分が持っていた、ただの精神体だった心の中の一部にナッシュと言う名前をつけたのはこの私だった。そうしてどんどん設定を付け加えて行って……あの時が彼と私の蜜月だったよ」
 知らなかった。山田三郎がナッシュの名付け親だったなんて……。
「みーくんも、彼が……?」
「いや。あの時は私がおかしかったんだ。ナッシュは……私の中ではいつでもいい奴だった……彼も少しずつおかしくなっていったが。そして、いつの間にか私の中から消えてしまった。遠い昔の話だがね」
「そっか……」
 オレ達はしばらく湖面を眺めていた。水面が太陽の光を受けてきらきら輝いている。
「山田さんは……自分の意志でオレに謝ろうと?」
「そうだな……そう、葉奈子には随分なじられたよ。無理もない。私のせいであの子は歪んでしまったのだからな」
「――でも、もう、良くなってきているような気がしますが」
「それが、私も一番驚いている。葉奈子は一人娘で、甘やかしてばかりいたからな」
「『みーくん』って知ってますよね」
「ああ。雨園みきおくんだね。ペットとして、私があの子に買ってあげたペットだ。獣人はあの時はペット扱いだったからな。――虐待する者も少なからずいたと思う」
 それはアンタだけだ、と言おうとしたが、何故か山田三郎の言うことも腑に落ちた。山田三郎も葉奈子さんも、自分が正しいと思うことをしただけなんだ。
「君は……葉奈子のペットにされてた時期もあったんだってね」
「短い間だったけどね」
「謝って済む問題ではないかもしれんが……あの時は娘が済まなかった」
「いいえ……」
「何もかも失って、初めて自分が何も持ってないことを知ったよ」
「…………」
 オレは、何と答えたらいいかわからなかった。ただ、ひとつ言えることがある。山田三郎も状況の被害者だったのだ。
「山田さん……」
 オレにはこれぐらいしかできないと、山田三郎を抱き締めた。
「済まない。高尾君」
 オレは山田三郎の背中に手を回して、ぽんぽんとあやすように叩いた。まるで、頑是ない子供にするかのように。
 彼もまた、子供だったのだ。善悪の判断のつかない。
 オレは、葉奈子さんを許したように、彼もまた、許すよ。
「山田さん、お時間です」
 看護師さんがやって来てオレ達に言った。山田三郎は精神病棟に自ら入って休養に務めている。
「高尾君、ありがとうね」
 看護師さんが言った。
「何でオレに礼なんか言うの?」
「山田さんに会ってくれて。――実は、私達も密かに危惧していたことがあるんだけど――杞憂に終わったようですね」
「ん……」
 哀しい人だ。山田三郎も。葉奈子さんも――。
 でも、葉奈子さんはまだいい。みーくんがいたから。山田三郎は――誰が癒やしてくれるのだろう。
「もしナッシュに会ったら――君が私にしたように、彼を抱き締めるよ」
「でも、山田さん、あいつは悪魔なんだよ」
「悪魔でも――自分の中の悪魔を抱き締められなければ、誰が彼を慰めてくれると言うんだい?」
 寂しそうに山田三郎は笑った。そんなことはもうないのだ、と心の底では諦めているかのように――。
 水森――初めてオレはアンタがどうしていちいちオレのカンに障るのか、わかった気がするよ。
 アンタはちっとも悪くない。けれど、オレが認めたくないところを、彼が持っていたからなんだ。――それももっと拡大されて。
 今度はもっと、愛想良く彼に笑うことが出来るだろうか。友達になることができるだろうか。尤も、あっちはとっくに友達だと思ってくれてるのかもしれないけれど。
「山田さん、葉奈子さんは――」
「私はあの子に嫌われてるよ」
 山田三郎は口元を哀し気に歪ませる。
 違うよ、山田さん、それは違う。
 オレはそう言おうとしたが、彼はもう、後ろを向いて看護師さんに連れて行かれた。
 山田興業は、別の人が取り仕切っていると聞く。山田三郎は、病気を治すと宣言して、この田舎の精神病院に入院したのだ。それは彼自らが望んだことであった。
 ここの環境は――彼にとっては良かったのかもしれない。
 山田三郎と葉奈子さん、上手くいくといいね。だって、せっかく親子として生まれてきたんだもの。いつかは――和解の時が訪れるはず。例え時間がかかったとしても。完全に和解できたのが山田三郎の死後だったとしても――。
 でも、山田三郎は案外あれで若いらしい。生きているうちに和解できるかな。
 オレは水切りをした。一度してみたいと思ってたんだ。――やっぱり上手くはいかなかった。
 何でも、初めは上手くいかないものなんだ。
 真ちゃんは猫が嫌いで――でも、オレを通して猫の魅力もわかってもらえたと思うし……わかってくれたよね、真ちゃん。
 オレはもう一度水切りに挑戦した。やっぱり上手くいかない。コツでもあんのかな。
 オレはその場で体育座りをした。ああ、いい天気だな。陽気がぽかぽか。オレは元は猫だから、ここでも眠くなってくるんだ。
「かずなり、何してるのだよ」
「あ、真ちゃん……」
 真ちゃんはオレが山田三郎と会っている間、待合室でずっと待っていた。自分は山田三郎に会いたくないから、と。それも選択のひとつだったと思う。
「かずなり……山田三郎に何かされなかったか?」
「ん、大丈夫。何も」
「――全く、お前はお人好しなんだからな。精神病にかかった人間と面会するなんて、オレだったらそんな危ないことしないのだよ」
「それは偏見だよぉ、真ちゃん」
 山田三郎は決して他人と比べておかしいということなんてなかったと思う。オレも含めて、人間どっかおかしいもんだ。『人間みなビョーキ』と聞いたことがある。
 けれどオレは――獣人になれて良かったと思う。獣人も殆ど人間と同じだ。オレは今は玉ねぎが食べられるし、アワビなんて大好物だ。猫はアワビを食べられないけれど。
 てっちゃん神様の存在だって、本当はオレの妄想だったのかもしれない。或いは白昼夢か。
 でも、オレは、山田三郎がナッシュの存在を信じるように、てっちゃん神様の存在を信じる。

2019.09.09

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