猫獣人たかお 96

 遅めの夕飯を食べた後、オレはかちゃかちゃと食器を洗う。
「あわあわ~♪」
「遊んでいるのではないのだよ。かずなり」
 食器を拭いていた真ちゃんがオレを窘める。ちょっとふざけただけじゃんか。オレは真ちゃんに対していっ、とする。真ちゃんは何も感じないように取り澄ましていた。
 何だい、べー、だ。
 その時、シューベルトと言う人が作った曲が鳴った。
「――電話なのだよ」
 はいはい、行ってらっさい。片付けはやっとくから。
 真ちゃんは電話に出ると、しばらくしてから奇妙な顔してこちらを見た。
「かずなり。赤司からなのだよ。――お前に用があるみたいなのだよ」
 今更言うこっちゃないけど、『なのだよ』の連発は変なのだよ、真ちゃん……。しかもオレにもうつってるしさぁ……。
『やぁ、かずなり』
 赤司の美声が聴こえる。真ちゃん程のイケボじゃないけどねっ。
『ものは相談だが、君、芸能プロダクションに入る気はないか?』
「ない」
 そんな訳のわからないものに入る気などない。
『そうか……。赤司芸能プロダクションの方から是非にと言われているのだが――かずなりが入りたくないと言うんじゃ仕方ないね。後で先方にも断っておくよ。オレの方が立場が上だからね』
「うん……」
「何だって?」
 真ちゃんが訊く。オレが答える。
「『げいのうぷろだくしょん』というものに入らないか?だって」
『で、どうなんだ? 今のお前の気持ちは』
「うーん……もう気が済んじゃったみたい」
 獣人会のことは知れ渡ったし、獣人の権利を尊重しようと言う雰囲気が出てきているから、もうオレの役割は終わりかな、と。
 気になることも二、三ないでもないが、オレとしてはまぁ、芸能界はもういいかな。
「真ちゃん。オレ、テレビに出るの止めるよ」
「そうか……しかし、近藤さんが納得するか……」
「引き際も大事だよ。真ちゃん」
 オレのことを近藤サンに知らしめた人物。さる外国の方だって。些か気にはなるんだけど――最初から気にはなってたんだけど……。
 まぁいいや。何かあったら向こうから接触してくるに違いない。
「オレ、真ちゃんと勉強したり、バスケしたり、エッチしたりすることの方が楽しい……」
「かずなり……」
「にゃう……」
 オレは真ちゃんに抱き着く。そして、急に眠気が襲ってきたから真ちゃんの腕の中で眠ってしまった。

 ――オレは夢の中にいた。
「たかお君」
 ああ、やっぱり、てっちゃん神様だ……。
「てっちゃん神様?」
「キミを近藤さんに引き合わせた人物がわかりました」
「ええっ?! 誰だれ?!」
「一応こちら側の人間ということです。最初は敵かと思いましたが。それに――キミには芸能界はもう必要ありませんね。これ以上いると悪影響が及ぶような気がします」
「みんないい人だったんだけどねぇ……」
「だから厄介なんですよ。大丈夫。今のうちに手を引けばどうってことないから」
「うん。オレ、真ちゃんとの穏やかないちゃラブ生活を選ぶよ」
「いちゃラブですか……」
 てっちゃん神様は苦笑した。
「おい、クロコ! お前は甘過ぎるぜ!」
「何だい! カガミ!」
 オレは釣竿でてっちゃん神様をぶら下げているカガミに文句を言った。
「まぁ、キミのことはマスコミの方が放っておかないでしょうからね」
「うん?」
「今のキミは最低限の責任は取らなきゃいけないということですよ」
 てっちゃん神様が真顔になった。
「責任て?」
「――そのうちわかりますよ……」
 てっちゃん神様の姿がすうっと薄れ――代わりに騒音とも呼べるインターフォンの音が――。
 ピンポーン。ピンポンピンポンピンポーン。
 オレは……その時ドアを開けなければ良かったのだ。それなのに――。
 オレはドアを開けてしまった。
「たかお……死ね……!」
 相手はナイフを突き出す。その攻撃を避け切ることが出来なかったんだから、オレも元猫として随分どん臭いもんだ。
 血を見て、相手は興奮したらしい。
「ひっ、ひっひっひっ……!」
 相手はただ笑っている。
「かずなり! 貴様、よくもかずなりを……!」
 真ちゃんに組み伏せられても男はまだ笑っている。相手は初老の男で、どっかで見たことがあるとは思ったが……。男は狂ったように笑い続ける。
 ああ、そうだ。あの人だ……。
 ごん。
 取り敢えず真ちゃんは男に寝てもらったらしい。床に頭を打ちつけさせて。相手はころりと気絶した。死んでなきゃいいけど。こんなことで罪を着せられちゃ、真ちゃんが可哀想だもんね。
「救急車、救急車を呼ぶのだよ……!」
 真ちゃんの声が遠くに聞こえる。オレ、真ちゃんに見守られて死ねるなら本望です……!
「何弱気なこと言ってるんですか!」
 あ、てっちゃん神様だ……。
「因みにあの方は――その……」
「キ印だろ?」
 あちゃ。カガミったら、てっちゃん神様も遠慮したその一言を。言ってはいけないこととか、ちゃんとわかってるのかなぁ……。てっちゃん神様はこほんと咳ばらいをした。
「まぁ、急性的なものですがね。あの人の場合は」
「オレ、死ぬの?」
「急所は外れてます。後はたかお君次第です」
 そうかぁ、オレ次第かぁ……。
 死ぬのはやだな。でも、一回死んだ猫には猫の天国が待っているからな。
 そうなったら、なっちゃんにもお母さんにも会える……見たことのないお父さんなんてのにも会えるかもしれない。
「かずなり、かずなり……」
 この寂しそうな声は――。
 そうだった。真ちゃんを残しては死ねない――!
 オレはカッと目を見開いた。
 真ちゃん――!
「かずなり!」
 真ちゃんの声がする。オレはここが病室であることを知った。何か、無駄に病院に縁があるね。オレって。
「かずなり――」
 しばらくして、今度は赤司がやって来た。
「お前は山田三郎にやられたんだ」
 そうだったのか――でも、山田三郎、どこでオレんち知ったんだろ。
「真太郎。僕は君に言ったことがなかったっけ? 安全管理はきちんとしろと。アニマルヒューマン保護機構の時と言い、山田葉奈子の件と言い、君達には隙があり過ぎる」
 ――面目ない。
「真ちゃんは悪くないよ。勝手に扉開けたの、オレだもん」
「そうみたいだな。かずなりもこれからはちゃんと誰何するように」
 赤司の言葉に耳がへたった。今回は赤司が正しい。
 ――にしても、山田三郎、かなり見た目が変わっていたな……いや、顔立ちはそのままで、こころもち痩せたかなという程度だったんだけど……。何と言うか、オレを刺した時の目は狂気に満ちていたような気がする。この間まで偉い人だったんだろうにな……。

2019.08.30

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