猫獣人たかお 89

「うふふ、お上手ね。いいわ。サインしてあげる」
「ほんとですか?!」
 水森の声が弾む。これは社交辞令じゃないな。本当に葉奈子さんを好きみたいだ。
「わぁ、浅井さんに自慢しよっと」
 浅井サンは水森の彼氏――のようである。
「浅井さん?」
「はい、僕に付き合ってくれる奇特な人です」
「水森君も充分可愛いわよ」
「え……えへへ……」
 水森は照れているようだ。こういう時はちょっと可愛いかもしれない。こいつには女性ファンが沢山いるんだってね。
「葉奈子さんにはイイ人いるの?」
 オレが口を挟む。
「――だって、私にはみーくんがいるもの」
 葉奈子さんはみーくんの思い出を抱いて一生を過ごすつもりだろうか。勿体ない。葉奈子さん、あの頃より随分綺麗になったと思うのに。
 オレを虐待していたあの時より――。
「どうした? 浮かない顔だな。かずなり」
 真ちゃんが訊く。
「あ、ううん。真ちゃんが考えているような、その、悩みとかではなくて――」
 少し、嬉しかったりするんだ。何となく。言葉では言い表せないけれど。
「ふぅん……」
「さてと、赤司さん、今日はご馳走様」
「いやいや、なんのなんの。またいつでも来てくれたまえ」
 赤司は水森にぴらぴら手を振ってみせる。
「高尾君、ちょっといいかい?」
 水森が手招きする。
「ああ……うん」
 本当は気が乗らないんだけどね。
「高尾君」
 二人きりになった時、水森が真剣な顔をして言った。
「君、緑間君の前で他の人に抱き着かない方がいいよ」
 ふん。何だ。説教か。
「真ちゃんはそんなこと気にする男じゃないよ」
「でも、オレは目の前で恋人にそんなことされたらやだな。それに、葉奈子さんは女の人だろ? 緑間君、嫉妬しないかな」
「…………」
 オレは考え込んでしまった。
 でも、あれは友達同士のハグだし……。真ちゃんにどう見られようと、オレはそのつもりだったし……。
 だけど、確かに真ちゃんは嫉妬深いし心配性だからな……。
「悪かった。もうしない」
「いい子だね。高尾君は」
 水森がオレの頭をなでなでする。本来だったら突き飛ばすところだったが、生憎非はオレの方にある。
「じゃ、戻ろっか」
「うん……」

「かずなり」
 真ちゃんはほっとした笑顔で迎えてくれた。
「真太郎は本当にかずなりを気に入っているんだな」
 赤司が言った。当然、当然。
「オレもいずれ光樹と……」
 うっとりする赤司なんて珍しい。レアじゃん。
 あ、そうだ。せっかくスマホ持ってきたんだから薔薇園の写真撮れば良かったにゃ……。文明の利器はありがたい。
「ねぇ、赤司。薔薇園の写真撮っていい?」
「いくらでも撮っていいよ。そうだ。今日はここに泊まらないか?」
「悪いが大学の課題が……」
 真ちゃんは断ろうとしている。
「水森はいいだろ?」
「いえ……早く帰らないと。仕事もあるし、浅井さんも心配するし」
「葉奈子は?」
「帰ります。お邪魔しました」
 葉奈子さんがぺこっと頭を下げる。
「皆忙しいんだな」
「赤司、課題は?」
「とっくに終わらせた」
 流石、優等生で鳴らした赤司征十郎。
「真太郎、手伝ってやろうか」
「いらんのだよ」
「オレは手伝って欲しいにゃ」
「よしよし。かずなりは飼い主に似ないで素直だな」
 それを聞いて真ちゃんはふん、と鼻を鳴らした。
「大学ね……あまりいい思い出はないわね。一応彼氏もいたけど」
 葉奈子さんが述懐した。
「リア充じゃなかったんだ……」
 オレは最近覚えた言葉を使ってみる。
「そうね。今の方が幸せに思えるわ。みーくんと高尾君のおかげよ」
「にゃへへ……」
「デレデレするな、かずなり」
 真ちゃんがデコピンをする。
「痛い……」
「ふん」
 水森が和やかに笑っている。水森、今日のことを浅井サンに話すかな。
「水森、浅井サンに宜しくな」
「かずなりもオレも彼には世話になっている。オレの方からもこれからも宜しく頼むと伝えておいてくれ」
「わかった」
 水森の尻尾が嬉しそうにぴこぴこ。
「じゃ、ちょっとショーファを呼んで来ようか」
「はあい」
 オレは手を挙げて返事をした。本当は泊まりたかったにゃあ。
 でも、オレだって真ちゃんと一緒だからにゃ。豪邸より真ちゃんといる方がいい。
「赤司。今日はオレ達も世話になった。また来る」
「そうだな。うちのパティシエも存分に腕を振るえたと喜んでいることだろう」
 赤司が手を叩くと、メイドさんがやってきた。
 人間の世界にはメイド喫茶なるものがあるが、こっちは本物のメイドだもんなぁ。
「はい、坊ちゃま」
「用意してくれたか?」
「はい」
 そう言ってメイドさんはケーキの箱を渡してくれた。
「真太郎。君の好きなバナナケーキだ。土産用に別に作らせた」
「――しるこの方が好きなんだがな……」
 真ちゃん、そう言うの失礼だよ……。しかも、真ちゃんの好きなのはもち入り缶しるこだ。どこで手に入れるんだろう。緑間真太郎の七不思議のひとつである。
 他にも、おは朝に本当に命を握られているとか、シュートがコートの向こう側から入るとか……あ、シュートのやつは事実だけどね。
 ――オレと真ちゃんと葉奈子さん、そして水森を乗せて、車が走り出した。

2019.06.12

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