猫獣人たかお 77

 昼下がりの街――。先程より人が減っていた。でも、走るオレを見ると皆びっくりしたようにこちらを見る。
 でも、オレはそれどころではなかった。
 長老! 長老! ――長老はまだ元気だろうか。――生きていて欲しい、頼む。
 てっちゃん神様、どうか長老を守って!
「待つのだよ、かずなり」
 真ちゃんもかなり足が速い。すぐに追いつかれた。
「どうしたのだよ」
 真ちゃんがギュッと抱き締めてくれた。温かい――。
 と、そんな場合ではなかった。
「長老が! 長老が!」
 オレは真ちゃんの腕の中で泣いた。真ちゃんのYシャツがオレの涙で濡れた。
「長老が……どうしたのだよ」
 オレは、真ちゃんの温もりで少し落ち着いた。
「長老が……具合が悪くなかったのかと」
「どうしてそう考えたのだよ」
「長老……いつも早起きなのに、昨日はそうじゃなかった……」
「それだけのことか……」
 真ちゃんは呆気に取られたようだった。
「真ちゃんにはわからないよ! オレ、長老にはいっぱいいーっぱいお世話になってるし……」
「かずなり……まずは落ち着くのだよ。マザー・デボラの言った身近な存在と言うのが、お前の言う長老かどうかもわからんし……」
「あ、そう……そうだよね……」
「さ、涙を拭くのだよ」
 真ちゃんは緑色のハンカチを取り出してオレの目元に押し付けた。にゃあ……真ちゃんのハンカチも濡れちゃったにゃあ。
「ごめんね、真ちゃん」
「謝ることはないのだよ。身近な人が心配な時は誰だって取り乱す」
「真ちゃんの場合、春菜ちゃんに対しても?」
「――まぁ、あいつが危機に陥れば、平静ではいられないかもな」
 へぇー、緑間兄妹でもそんな風なんだ。やっぱり血の繋がりって特別なんだな。オレだって、なっちゃんが死んだ時は悲しかったし――。なっちゃんが死んだ時は悲しくて、悲しくて――涙が涸れるまで泣いたし。でも、真ちゃんはそんなオレに付き合ってくれた。真ちゃんはやっぱり優しい。
 てっちゃん神様、教えてよ! 長老は無事なの?!
「かずなり。ほら、オレ達にはラッキーアイテムがあるのだよ」
「う……」
 実はオレ、ラッキーアイテムって真ちゃん程信じてはいないんだ。そりゃ、霊験あらたかなのは知ってるけど……。でも、今は信じてみたい。
 そういえば、長老はスイカが好きだと言っていた。スイカは野菜だから猫にとっても害のない食べ物らしい。長老もセーブして食べてるとは言ってたけど。
「ねぇ、真ちゃん。オレ、長老のところ行きたい」
「――わかったのだよ。その代わり、オレも連れて行ってくれるか?」
「勿論!」
 だって、真ちゃんはオレの番の相手だもん。
 ――いつか長老に会わせたいと思ってたからね。今までいい機会が見つからなかったけど。
「長老という猫は、どんな猫なんだ?」
「すっごーいふっさふさの長い毛皮。とっても神々しいの」
「ああ。そういえば前にもお前から聞いたことがあったな。けれど、そんな猫オレは今までに見たことなかったな」
「かもね。長老、あまり外出しなくなったから」
「体の調子でも悪いのか?」
「それだけじゃなく、ご神体として、猫達がいろんな食べ物調達しては寄進してるから」
「まるで宗教なのだよ」
「かもね」
 オレはつい吹き出してしまった。真ちゃんもおは朝教だけど。
「オレは、お前のこと、本当に何も知らないんだなぁ……」
 真ちゃん、寂しそう。
「長老のこと? 前にも何度も話したじゃん」
「そうでなくてだな……」
「着いたよ」
 オレ達は猫の溜り場に着いた。
「ここか……近頃野良猫がここに集まるから追い払おうという話が出ていると中谷教授から聞いたことがあるな……」
 にゃあ……物騒なこと言わないでよ、真ちゃん。
「皆いいヤツらだよ」
「人間が皆猫好きとは限らんが、何とかオレ達と共存できるといいな」
「にゃあ……」
 オレだってそう願ってるよ。真ちゃん。
 みんな、オレと真ちゃんみたいに仲良くなれればいいね。これって惚気かにゃ? にゃへへ。
「たかおだ」
「緑の髪の人間もいる」
 猫達がざわめき出す。
「たかおの相棒だ」
 相棒なんて――照れるにゃあ。
「みんなー、ただいまー」
 オレはできる限り明るい声で言った。
「長老は元気?」
「元気だよ」
 ミケの言葉にオレはほっとした。
「あっ、こっち真ちゃんね。会ったことあったっけ?」
「オレは知らないけど――」
 ブチ猫が答えた。皆からブッチャーと呼ばれている体格の良い猫だ。
「ま、こっち来いよ。たかお。長老も喜ぶと思うぜ」
「うん……」
 長老が無事。良かった。
 でも、誰だろう。オレの身近な人……。ていうか、猫かもしれないけど。
「おお、たかお。元気だったか?」
「オレは元気。長老も元気?」
「おう、元気だとも」
 長老はとても機嫌が良いようだった。ああ、良かった。マザー・デボラの予言、外れた。
「そっちの男は緑間真太郎だな」
「初めまして――長老。かずなりから話は聞いてます。かずなりは長老のことが大好きなもので」
「うん――うん。そちらもいい男だのう。たかおが惚れたのもわかるな」
 オレ達は顔を見合わせて、えへへ……と笑った。
「ところで、今日は何しに来た?」
 長老、わかってるくせに。長老はなーんでもお見通しだもんね。
「え? ああ――これをあげようと……」
 そう言って真ちゃんはスイカを長老に差し出した。白い毛皮から覗く長老の目が輝いた。
 ――いいのかにゃ? 真ちゃんのラッキーアイテムなのに……。
「何と! 木村青果店のスイカではないか!」
「違いがわかるんですか? 長老!」
 真ちゃんはもう長老の存在に慣れたらしかった。あんなに猫嫌いだったのに……。まぁ、誰とでもすぐにわかり合えるというすごい特技が長老には備わっている。それに、すごいオーラだし。
「早く分けてくれ! 早く!」
「長老……食べ過ぎは禁物ですよ」
「わかっている。たかお。うーん。包丁がないかなぁ。あってもわしには使えんがな。ブッチャー、スイカ割ってくれ」
「わかりました」
 ブッチャーが長老の言う通りにする。長老はとても幸せそうに目を細めて赤い部分を食べていた。ぺっと種を吐き出す。
 長老の白い長い毛にスイカの赤い汁がつく。――全然神々しくない。長老は満足してからこう言う。
「ああ、そうそう。たかお、お前に話があったんだ。――お前の母親が亡くなったよ」

2019.01.24

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