猫獣人たかお 50

「ん……横になっていれば大丈夫……」
 オレは答えた。ソファの弾力が心地いい。
「そうか、良かったのだよ……」
 真ちゃんはほっとしたようだった。心配してくれたのかな。
「中谷教授。かずなりはちょっと貧血を起こしたようなのだよ」
「ゆっくり休みなさい」
 マー坊が言った。真ちゃんに頭を撫でられて気持ち良くてうとうとしていると――。
 ――お兄ちゃん。
 なっちゃんの声が聞こえたような気がした。
「なっちゃん?」
「ん? どうした? かずなり」
 真ちゃんがこの上もなく優しい声で訊いてくる。
「今ね……なっちゃんの声が聞こえてきたような気がした」
「お前の妹か。――確か死んだんだよな」
「うん……」
 死んでも存在は消えない。愛した記憶も消えない。なっちゃんの魂がオレの為にわざわざ来てくれたのかもしれない。猫の天国から。
 なっちゃんは幸せに暮らしている。オレもそう信じている。
「オレ、迷惑かけてばかりだね。真ちゃん、マー坊、今吉サンに花宮サン」
「オレはかずなりのおかげで救われたのだよ」
 真ちゃんが甘い声で言ってくれた。
「まぁ、たかおのおかげで退屈はしなかったな」
 と、花宮サン。
「ワシは花宮だけでも退屈はしなかったと思うで」
 今吉サンの眼鏡がきらりと光った。
「でも、たかおは心のオアシスやった」
「今吉サン、花宮サン、ありがとう」
「なんの。――これじゃ話し合いはできへんのとちゃう?」
「できるよ。というか、あの船の中では今吉サンと花宮サンが助けてくれたから」
「たかおが一度男に襲われかけたところを今吉サンが救ったらしいぜ」
 花宮サンの言葉にオレは頷いた。
「え? デンプシィばかりでなくか」
「うん、黙っていてごめんね。真ちゃん」
「ああ。それにしても何とまぁ……」
 真ちゃんは呆れたように呟き、眼鏡をくいっと上げた。
「だからお前からは目が離せないのだよ」
「にゃあ……」
 オレはちょっと項垂れてしまった。真ちゃんに心配かけちゃった……。
「まぁまぁ。たかおは魅力的だからそんなこともあるだろう。――お茶のお代わりは私が淹れてやろう」
 マー坊はこぽこぽと急須からお湯を注いだ。
「今吉、花宮、氷をひとつ落としてやる」
「おおきに」
「たかおもいるか?」
「うん……」
 さっきより体が楽になって来た。オレは起き上がった。――なっちゃんのおかげかな。
 なっちゃんがこの宇宙のどこかにいると思うと頑張れる。
 オレはお茶を飲んだ。美味しい……。
「マー坊。美味しかったよ。このお茶」
「それは良かった」
 マー坊はうんうんと頷いた。真ちゃんもお茶を飲む。その様がとても美しい。きっと育ちが良いからだろうな。ちょっと口が悪いところもあるけど。
「話は大体今吉と花宮から聞き及んでいるからな。――辛かったな」
「ん……」
 皆が優しくしてくれる。どうしてだろう。オレ、何にも特別なことしてないのにな。
 恩を返したいのにそれができない自分が歯痒い。
「でもね、今吉サン達と船にいた時より葉奈子といた時の方が怖かった……」
 そう。アニマルヒューマン保護機構の船の中には今吉サンと花宮サンという仲間がいた。葉奈子の家にはそんな仲間はいなかった。段々衰弱してもうこのまま死ぬのかと思った。
 そんなオレを救ったのは真ちゃんや赤司達だ。
 それにしても――もっと恐ろしいのはいつの頃からか葉奈子にどんな目に遭わされてもオレはそう嫌だと感じなくなったことだった。ストックホルム症候群てヤツかな。
 とにかく、今は無事でよかった。
「アニマルヒューマン保護機構を告発はできないだろうか」
「今のままでは難しいかもな。まだ獣人の立場は人間より低い」
「ペット扱いするヤツらもいるしな」
「まぁ、ワシらは要領よく立ち回ってそう酷い災難には遭ってこなかった。ちょっとヘマして捕まってしもうたがな」
 こんな話の時だというのに今吉サンは笑っている。そういう顔なのかもしれなかった。
「真ちゃん。今吉サンと花宮サンはオレの代わりに乱暴されたんだよね。ねぇ、そうでしょ? 二人とも」
「性行為を強要されたことはあったな。俺も今吉サンも」
「酷い……酷いのだよ」
 真ちゃんが呻きながら呟く。
「お前ら、それをよく我慢したな」
「他に行くところがなかったからな、オレ達。逃げようと思ったのはたかおがいたからだ」
「その通りや。たかおの存在がワシらを後押ししてくれたんや」
 存在するだけで。ただそれだけで役に立てたのなら――オレは何もしなかったけど。
「ありがとう。今吉サン、花宮サン」
 あ、あれ?
 涙が出て来て止まらないよぉ……。
「かずなり。これ」
 真ちゃんがお気に入りの自分の緑のハンカチを差し出した。真ちゃんは髪も目も緑だから、自分のラッキーカラーは緑だと信じて疑わない。
「すまない、中谷教授。今吉に花宮。かずなりは少々精神的に参っているのかもしれないのだよ」
「ええよ。のんびり休みな。嫌やったら話題変えよか? たかお」
「別に、オレのことは気にしなくても……」
「じゃあ、黙っとるか」
 水槽の中の器具がこぽこぽという音しか聞こえない。あと、お茶を啜る音。誰も何も言わないのにそれが心地よかった。
 今吉サンも花宮サンもオレを気遣ってくれている。自由に喋っているようでいて決して踏み込み過ぎるということはない。
 なっちゃん、この人達もオレの仲間だよ。ちゃんと見てくれてる?
 オレも猫の天国行ってみたいけど、オレは今は獣人だし、姿を消したりなんかしたら真ちゃんが悲しむだろうし。
 オレは再び横になった。
 こうしていると様々なことを思い出す。
 猫だった時のこと、真ちゃんとの他愛無い会話。大学での生活。――今はアニマルヒューマン保護機構のことについては忘れようと思った。
 さっき泣いたのは悲しかったからじゃない。でも何で?と訊かれると答えに詰まる。今吉サンの心遣いがオレには嬉しかった。
「なぁ、たかお」
 三十分ぐらいそうしていただろうか。沈黙を破ったのはマー坊だった。
「今は獣人専門のカウンセラーもいるから、その人に相談に乗ってもらってもいいんじゃないか?」
「う、え……」
「考えておきます」
 真ちゃんはオレの台詞を待たずに答えた。マー坊が続ける。
「私も大学時代心理学をかじったことがある。――困った時には相談に乗ってもいい。しかし、生兵法は怪我の元というからな」
「はい。お世話になります」
 真ちゃんの声音に温かみが点る。マー坊の話で胸を撫で下ろしたんだろうな。
 赤司達、今どうしてるかな。
 オレは急に赤司達が気になった。賑やかで愉快な仲間達。オレはふと思いついて言ってみた。
「ねぇ、今吉サン、花宮サン……真ちゃん家に来ない? ――いいかな? 真ちゃん」

2018.04.10

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