猫獣人たかお 34

「にゃあ……うん……」
 オレが目を覚ますと夕陽が部屋に差し込んでいた。
 真ちゃん……今、心配してるかな……真ちゃん、オレはここだよ。もう会えないのかな。
「真ちゃん……」
 オレは呟く。そうすることで真ちゃんに繋がっていられるように。
「きゃっ! 何をするの?!」
 あの女の声だ。
「うるさい! かずなりがここに入ってくるのを見たヤツがいるのだよ!」
「だから、たかお君が急に具合悪くなったから……きゃっ!」
「お前の評判は聞いて知っているのだよ! 大方たかおを性奴隷にしようとしてたんだろう!」
「何でそんなに怒るの! 緑間君……ねぇ、ちょっと……!」
 真ちゃん……? この聞き慣れたオレの飼い主の低い声。
 ガラッと部屋の扉が開いた。
「これは……酷い……」
「え? 何が……?」
「かずなり。今自由にしてやるからな」
 真ちゃんが首輪を外してくれる。オレは相当ほっとしていた。真ちゃんに会えたから……。
「真ちゃん、ありがと……」
「――何でかずなりだけ次から次へとこんな目に遭うのだよ……獣人だって人権が認められる時代なのに……」
「にゃあ……」
「さ、帰るのだよ。オレの家へ――」
 真ちゃんの家へ――。
「にゃあ。わかったのだよ。真ちゃん」
「オレの口真似をするな」
「だって、夫婦って似てくるもんなんでしょ?」
「――馬鹿」
 真ちゃんは優しくオレの黒い頭を小突いた。
「あなた達――」
 玄関に女が立っていた。恐ろしい形相で。いつものエレガントさの欠片もなかった。
「ふっ、オレらが何の策もなくここに来ると思うか」
「警察だ! ここを開けろ!」
 ドンドンと扉を叩く音がする。続いて男の声。
 この家の扉は案外薄い。それに、オンボロだし――。女は古いアパートに住んでいるのだった。
 ガンッ!
 扉を蹴破ったのは――赤司だった。
 赤司って警察だったの?
「ご苦労だったな。赤司」
 真ちゃんが言う。
「人に働かせておいてどうして上から目線なんだい? ――まぁいい。かずなりは無事か?」
「にゃああ……」
「おやおや。傷だらけで。ねぇ、レディ。あなた大変な男を怒らせたね」
 皮肉げな声で赤司が言った。
「何ですって……」
 どすっと女がボディに真ちゃんの一撃を食らった。
「ぐっ……」
 女は頽れる。オレも気を失いそうになった。真ちゃんがそんなオレを支えてくれる。
 警察らしき男が告げた。
「山田葉奈子! お前に家宅捜索令状が出ている! さぁ、入れてもらおうか!」

 オレも参考人として警察に連れて行かれた。
 オレは警察の人達に話をした。――と言っても、大した話はできなかったけれど。
 警察の人達は、オレの言葉を訊きながら、
「酷い……」
「人間業じゃない……」
 などと話し合っていた。
 オレが真ちゃんと帰る頃、警察の偉いおじさんは、
「何かあったらいつでも来ていいからね。遊びに来ていいからね」
 と、オレの手を取って泣いた。
「よくがんばったのだよ」
 と、真ちゃんがぽんとオレの頭に手を置いた。
 良かった。真ちゃんにまた会えて本当に良かった。
「何を泣いてる。かずなり」
「だって――夢みたいで……もうあそこで死ぬのかな、と思っていたから……」
「オレがお前を死なさないのだよ」
 そうして、オレは往来でキスをした。

 猫であり、獣人でもあるということは思ったより大変らしい。でも、弱音を吐く訳にはいかない。
 多分、てっちゃん神様もがんばっているから――。
「傷だらけだな。お前」
「うん……お風呂には入れてくれたけど、傷口に染みて大変だった」
「多分それも楽しみだったのだろう。サディストだったらしいからな……あの女……」
 真ちゃんがぎりり、と悔しそうに歯噛みした。
 オレはあの女は不幸だったと思う。けれど、同情する気にはなれない。
 苛めている相手にも愛してくれる人がいるということをあの女はついにわからずじまいだったから――。
「どうする? これから」
 赤司が言う。真ちゃんは、
「訴える。お前ならできるだろう? 赤司」
「あまり乗り気にはなれないなぁ……」
「何でだ赤司! こういう時に一番張り切るのはお前だろう!」
「――人を何だと思っているんだ。いや、山田の成育歴を見るとどうしてもね」
 赤司は山田葉奈子の子供時代を簡潔に話してくれた。
「それは……」
 真ちゃんも息を飲んだ。オレもそれを聞いて哀しくなった。
「まだあるんだけど……聞く?」
「いいや。もういい」
 真ちゃんが首を横に振った。
「示談で我慢するのだよ。それにしても迷惑この上ない……」
「真ちゃん、オレのせい?」
「いや……」
 真ちゃんは優しい目をしている。オレは猫だから夜目がきく。真ちゃんの優しい目が星のように煌めいている。オレはその目が欲しかった。
「真ちゃんの目、綺麗……」
「な……急に何言うのだよ、かずなり」
 ちょっとあの女の人の気持ちがわかるような気がした。――だってオレ、さっき真ちゃんの目を抉り取りたいって思ったもん。
 でも、そうしたらもう二度とこんな目で見てくれないんだろうな――。
 女の実家はお金持ちらしく、真ちゃん(と赤司)が要求した金をぽんと出してくれた。
 その後、一度女と会う機会があった。
「ねぇ、葉奈子さん。もうあんなことしちゃダメだよ」
「うるさいわね化け物! 私に近付かないで!」
 そう叫んだ女の背中は震えていた。泣いているのかな? 泣いていないといいな、と思いながらオレは葉奈子の涙を見たように感じた。
 女は精神を病んでいたようだった。――後で病院に入院したと聞く。もう一生出られないかもしれないな、と真ちゃんは無表情で呟いていた。

2017.10.11

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