猫獣人たかお 30

「たかお君……」
「――にゃあ?」
「にゃあではありません。話があります」
 そう言ったのは、この話ではもうすっかりお馴染になったてっちゃんにそっくりの――
「神様!」
「そうです」
 神様が無限の慈愛を瞳に湛えて頷いた。
「どうしたの? また何かあったの? あ、もしかして一日だけオレを猫に戻してくれるとか!」
 オレは言った。真ちゃんとの生活は楽しいけれど、本当はちょこっと皆と一緒に街を走り回りたいなぁ、という誘惑もないではなかった。
 神様は厳しい顔をしている。童顔だからあまり迫力ないけど。
「にゃあ……どうしたの?」
「たかお君に言いたいことがあります」
「にゃ?」
「ボクはキミに猫に戻りたいか、獣人になりたいか、それとも、人間になりたいか、三つの選択肢を提示したことがありましたよね」
「にゃう?」
「キミは獣人として生きていく、と言いましたよね」
「うん!」
 オレは力いっぱい首を縦に振った。
「ボクもそれに賛成しました。けれど、キミがこのまま獣人として生きていくなら――些か問題があります。今の君は、猫であり獣人であり、そのどちらでもある存在なのです。君は――この世で最も中途半端な存在なのです」
「と、言うと――?」
「キミは大人になりました。成人の儀式をする必要があります。猫に戻るか、獣人のままでいるか」
「人間にはなれないの?」
「――君はその道は選ばないでしょう。獣人の為に戦うんでしょう?」
「うん!」
「獣人のままでいるということは――ボクはキミが猫であった時の記憶を消さなきゃならないということなのです」
「ええええええええっ?!」
「本当に――本当にごめんなさい。これはボクの手落ちです。神様が――ボクにも神様に値する存在がいるんです――このことを今、話してくれたものですから……。猫の記憶を持った獣人。いずれは生まれてくるでしょうが、それは今ではない、とボクの神様が判断したんです。難しい言葉で言えば、『時期尚早』です」
「にゃあ……?」
 神様にも神様がいる? そんなことって――。でも、じゃあ、オレは猫時代の友達との記憶を消されるってこと?
「そして――」
 まだあんの?
「君の猫だった時の友達とはもう会話を交わすことはできません。君は猫語も忘れてしまうのです」
「そんな……」
「獣人としての能力はそのままですが」
「じゃあ、もし猫に戻ると言ったら?」
 オレは試しに訊いてみた。オレはもう、真ちゃんなしでは生きていけない。あったかい手。優しい愛撫。真ちゃんはオレの番いの相手だ。
「本当に猫に戻りたいですか?」
 神様がずいっと近付いた。
「う……」
 本当に、本気ではなかったんだ。今のは。真ちゃんと離れたくない。
 そりゃ、猫だった時、真ちゃんに撫でられるのは気持ち良かったけど、もっと大きな快感を知ってしまった。
 オレは、猫には戻れない。
「猫に戻るんだったら、獣人だった頃の記憶は消すしかないですね」
「にゃあ……そんなのにゃだ……」
 オレの目元から涙がぽろぽろ溢れ出てきた。それは止めようがなかった。
「たかお君――これはボクのせいです」
 神様がそっと手を伸ばして、オレの頭を撫でた。いつもの赤い髪の男が、神様を釣り道具でで釣り上げながら「ま、だか……」と呻いている。
「でも、決まりは決まりなので……獣人のままでいるか、猫に戻るか、考えておいてください。期間は一日です」
「にゃっ?! たったの?!」
「本当に――君を猫獣人にしたあの日から、ボクは罪を犯したことになるのです」
「にゃあ……でも、てっちゃん神様、何も悪いことしてない……」
「してるのです。キミは、いや、キミ達はボクの実験材料でした」
「でも、それでも……ねぇ、神様」
「何でしょう」
「オレを猫獣人にしてくれて、ありがとうございます」
 そう言ってオレはぺこりとお辞儀をした。
「それであの……他の人や猫達からも、オレが元猫だった記憶を消すの……?」
「場合によってはそうします」
「真ちゃんからも?!」
「そうです。というか、彼の記憶から君の猫時代の記憶を消すことがボク達にとって一番やらなきゃならないことなのです。まぁ、キミが猫に戻りたいなら、緑間君からキミが獣人として彼と一緒に暮らした記憶を消すだけですが」
 真ちゃんがオレのことを忘れる?! 猫時代のオレか、獣人時代のオレか――どちらかのオレを?
「そんなのにゃだ! 真ちゃんが猫としてのオレでも獣人としてのオレでも、どちらかでもオレを忘れるなんて、そんなのにゃだ!」
「でも、猫に戻るならキミも獣人時代の緑間君のことについては忘れているのですよ。キミは昔通り緑間君の可愛い愛猫として一生を過ごすこともできるのですよ」
 ああ……神様……どちらかを選べなんて……。
「酷過ぎる……」
「否定はしません。――今から24時間、時間をあげますから考えておいてください。本当はもっと時間を与えたいところですが、それでは迷いの方が強くなってしまうでしょう」
「にゃあ……」
 オレはぱっと目を覚ました。隣には裸の真ちゃんが。
 あ、そうか。 今夜も交尾をやったんだっけ。この前、真ちゃんは、
「交尾とはちょっと違うんじゃないか? ……オレ達は男同士だから」
 と、言っていたけれど。そういえば、性行為とか、セックスとかエッチとか呼ばれていたな。テレビでは。この行為のことについては。そういうことに関する本も読んだし。
 真ちゃん。大好きだよ。例えオレが猫になっても獣人のままでも。
 オレは真ちゃんの前髪にキスをした。
「ん……かずなり……」
 にゃっ?! 何でこんな時に起きるの真ちゃん! いつもは死んだように眠っているくせに!
「どうした? またしたくなったか?」
「そうじゃなくて……」
 オレは何となく哀しくなってべそをかいた。
 この真ちゃんともこのオレ自身とももうすぐお別れなんだ。
 変わること、それが一番怖い。
 オレは、獣人として生きて行きたい。でも、今になって猫時代の友人達が改めて大切に思えてきた。オレは、今でも時々猫達の集会に加わっては楽しい時を過ごしていた。
 そんなことももう無くなるんだ――長老、オレはどうしたらいいだろう。
「ねぇ、真ちゃん。獣人としてのオレと猫としてのオレとどっちがいい」
「何だ……藪から棒に」
 真ちゃんの声が眠そうだ。今は寝かせてあげようか――。
「でも……そうだな。今の方がいいな……」
 真ちゃん――。……おっと、感動している場合ではなかった。
「ねぇ、真ちゃん。もし、オレが猫に戻ったら?」
「戻るのか?」
「――うん。そうなるかも……しれない」
「もしそうだとしてもオレの可愛いかずなりに変わりはない」
「真ちゃん……」
 オレはうるっと来た。涙で輪郭がぼやけて見える。
「でも……やはりオレは今まで通りがいい。――もしかずなりが猫に返ってしまったらこんなこともできなくなるからな」
 こんなことってエッチのこと? ――もう! 真ちゃんたら!
 オレだって本当は今まで通りがいいよ。
 真ちゃんからはもう離れられないのだから――。
「愛してるよ。真ちゃん」
「オレもなのだよ。かずなり……」
 真ちゃんはそのまますーっと寝こけてしまった。オレは明るくなったら長老のところに行ってみようと思った。そうだ。大学のバスケ部のテツヤ2号にも話を聞いてもらいたい。

2017.9.13

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