猫獣人たかお 20

「――写真屋は……もうやってないか」
「写真にゃ?」
「写真屋だ、かずなり。――写真立てを買おうとしたのだが。百均ので済ます気にもなれんからな」
 百均――つまり、百円で何でも買えてしまうお店のこと。消費税はかかるけど。
 オレ達は家に帰って夕飯を食べた。鮭茶漬けは美味しいな。どう? 真ちゃん。オレだって鮭ぐらいちゃんと焼けるんだよ。
「美味しいな……」
 あ、真ちゃん喜んでる。真ちゃんはツンデレ、という性格みたいで、自分に素直になれない質らしい。だが、オレにはとても優しくて……。
「このまま時が止まればいいな」
 と、甘く低い声で言ってくれた。オレはいたずら心を起こし、
「真ちゃんの魚もーらい」
 っと、魚用の皿から真ちゃんの鮭を奪った。
「まだ皮が残っているのだよ。鮭の皮は一番旨いところなのだよ~~~!」
 うん、知ってる。でも渡さないもんね。
 オレ達はごろごろと転がって行った。
「にゃ、にゃ~ん……」
 真ちゃん……重いのだにゃあ……。195㎝もあれば無理ないけど。
 ぜえはぜえはあ。オレは真ちゃんを上にのっけたまま息を整える。ちょっと休戦。
 真ちゃんが鮭の皮をぱくんと食べた。
「真ちゃん……顔近い……」
「わっ、あっ、いや、その……こうなったのは何の他意もないことなのだよ。そう、事故だ事故」
 真ちゃんが慌てて飛び退る。オレは真ちゃんと遊べて楽しかったのになぁ……しょぼーん。
「かずなり……」
 真ちゃんが手を伸ばす。オレはふい、と顔を背けた。
「何か気に入らないことでもあったのか? かずなり」
 真ちゃんは人に(オレは猫獣人だけど)媚びるようなことはしない。孤高のエース様ってヤツだ。オレも真ちゃんを支えることができたら嬉しいんだけど。
 そう――だから、オレに手を差し伸べたのは、オレがどうして拗ねているのか純粋にわからないからだ。
「――事故じゃないでしょ」
「え、あ、ああ……何だ。鮭の皮がそんなに好きだったのか。すまん」
 もう! 真ちゃんはわかっていない!
 オレは、真ちゃんの顔が近くにあったことが嬉しかったのに……。
「もういい」
「かずなり……?」
「怒ってないのだよ」
 オレは真ちゃんの語尾の真似をして、真ちゃんの口元を舐めた。
 真ちゃんは面白いくらい頬を赤く染めた。
「不意をつくのではないのだよ、かずなり!」
「にゃあ!」
「都合の良い時だけ猫に戻るな!」
「真ちゃんだって、今は猫獣人じゃんか!」
「明日になれば元に戻るのだよ!」
 そうだね……ちょっと寂しいね……。
「まぁ、ちょっと寂しいと考えなくもないがな……」
 真ちゃんは分厚い眼鏡のブリッジを直す。真ちゃんは睫毛が長い美人さんなので、眼鏡をしていようが身長が195㎝あろうが、とても素敵に見えるのだ。
「オレも寂しいと考えていたところ。カゲ様……じゃなく、神様はずっと真ちゃんを獣人のままにしておいてくれないのかなぁ」
「悪いがそれは無理な相談なんじゃないか。オレも早く人間に戻りたいし」
「オレは……」
 オレは、猫に戻りたいと考えたことは――確かにいっぱいあったけど。長老にも会いたいし、ゲンやなっちゃんにも会いたい。
 神様はどうしてオレのことを選んで猫獣人にしてくれたのだろう。でも、それは真ちゃんと言語的コミュニケーションをとる為の大切な変身で――。
 オレ、獣人になれてよかったよ。相手が真ちゃんじゃなきゃ、きっとこの環境にも満足できなかっただろうけど。
「オレ――真ちゃんが好きだ」
「な、何なのだよ。藪から棒に」
 いっつも、オレは好きだ好きだと言っているけど――
「真ちゃんはどうなの?」
「オレか? お前は嫌な奴と一緒に暮らせるか? オレはごめんなのだよ。かずなり。お前だから一緒にいられるんだ」
「真ちゃん……ありがとね」
「ああ。オレは猫は大嫌いだったが――かずなりと会って、猫も悪くないと思うようになったのだよ」
「光栄だね」
 オレは相好を崩した。真ちゃんの眼鏡がかちゃかちゃ鳴る。
「風呂に……入らないか? 一緒に。洗ってやるのだよ」
「にゃあ」
 オレは了解の返事をした。
 オレは真ちゃんと背中流しっこをした。真ちゃんはシャンプーハットという奇妙なものをつけて髪を洗う。いつものようにオレが髪を洗ってあげると、真ちゃんの黒い耳がピコピコと動いた。きっと気持ちがいいんだろうな。
「かずなり。十数えたらあがるのだよ」
「うんっ! いーち、にーい……」
 オレ達はざばんと風呂から上がった。湯船のお湯が少し減っていた。
「かずなりはもう大人だから、一人で体拭けるな?」
「にゃあ」
 猫獣人になりたての頃は、湯上りのマナーを知らなかったので、真ちゃんに体を拭いてもらっていた。ちょっと手つきがぎこちなかったけど、最高に気持ちが良かった。
 そうか。大人になるって、真ちゃんにお世話してもらえなくなることなんだな。これも、やっぱりちょっぴり寂しいな――。
 でも、大人になっていいこともあるんだよな。友達ができたり、恋人ができたり――。
 オレは――やっぱり真ちゃんが初恋だな。猫だった時から、ずっとずっと、真ちゃんを見てきた。
 真ちゃんのいいところはわかってる。変だな、と思うことも時たまある。
 真ちゃんはおは朝のラッキーアイテム集めに夢中だ。おかげで、家には、必要のあるものないものがごろごろと――。でも、真ちゃんは綺麗好きだから、ラッキーアイテムもちゃんと整頓している。
 おは朝占いでは、『今日は蟹座のアナタは猫になる日』なんて言わなかったのかな。
 真ちゃんは七月七日が誕生日なんだよ。だから、蟹座なんだ。
「ねぇ、人間に戻ったら、オレと番いにはなれない?」
「いや……そんなことはないのだよ。というか、ここは大事なことなんだが、猫獣人と人間では性行為が可能なのだよ」
「ふぅん……」
「前にも言ったかもしれんが、獣人を性奴隷とする輩がいる。お前は充分に気をつけなきゃダメなのだよ」
「でも、獣人と言ったって、人間の体に耳と尻尾がついてるだけじゃん」
「獣人の研究は盛んに行われている。まだまだ獣人に優しい世界は到来していないのだよ」
「大学の人達は優しいじゃん」
「特権階級の余裕から来る優しさなのだよ。獣人は三歳の子供より危険に晒されているのだよ」
「タイガも?」
「基本的には、そうだ。まぁ、火神ならかえって賊を返り討ちに合わさんとも限らんが。――黒子は、火神に引け目を感じているのだよ。黒子はタイガに対して済まながっている」
 それは何となくわかっていた。
 てっちゃんはタイガに気を使っている。それには贖罪の意味も含まれているのだろうか。人間に生まれついたこと。それ自体が業なのか。――いや、それは、猫だって、獣人だっておんなじなんだよ。てっちゃん。生命を得た存在は、『生きる』という業を背負っているんだよ。
「未だに獣人をペットと混同している奴も多い」
 真ちゃんが溜息を吐いた。
「ペットならまだしも、性奴隷にする輩もいるしな」
 真ちゃん、それ、さっき聞いた――。
 と、ツッコミを忘れてしまうほど、真ちゃんの眼鏡の奥の瞳は一瞬瞋恚に燃えた。
「覚えておけ、かずなり。お前は運が良かったんだ。オレとはどうかわからないが、今までは皆お前に優しかった。後で、ちょっと社会体験を積ませなかったことを後悔したぐらいだ。だが――もう、お前が酷い目に合うのは耐えられない」
「にゃあ……」
 真ちゃんの言ってる意味はわからないけど、真ちゃんはオレのことで悩んでいるようだ。
「本当に、このまま、時が止まってしまえばいいのに……」
 それ、前にも言ったよ。真ちゃん。でもね、それは神様にもきっとできないことなんだ。それでも、真ちゃんは、いや、人間は、時が止まるなんて不可能なことを望むんだね。人間て厄介だね。――真ちゃんは唇を噛んだ。
「噛んじゃダメ。真ちゃん、唇を噛んじゃダメ。せっかく綺麗な唇なのに……」
「かずなり……オレなんかに優しくしちゃダメなのだよ……」
 オレは真ちゃんの唇を舐める。血が滲んでいたから舐め取ろうとしたんだ。でも、真ちゃんは赤い顔をして立ち上がり、さっき不意をつくなと言ったろう、これからはもうそんなことをするのではないのだよ、と注意した。

2017.6.21

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