猫獣人たかお 13

 オレ、たかおかずなりは、大学生ではない。だけど、大学の講義に飼い主の真ちゃん――緑間真太郎――と参加することになった。
 真ちゃんの通っている大学は獣人も多いので、友達もたくさんできた。
「学校に行くぞ! かずなり!」
「にゃん!」
 今日もオレは上機嫌で学校へ行く。
 今日のテキストはエドガー・アラン・ポーの『黒猫』だった。
 ふーん。黒猫さんが出てくる話かぁ……。
 だが、オレはふと、あるイヤな予感に囚われていた。
「真ちゃん、ポーって誰?」
「ホラー作家なのだよ」
「そっか……」
 知らないことは恐ろしいということを、この先味わうことになる……。
 あるところに優しい男がいた。妻がいて、黒猫も飼っていた。だが、男は酒に溺れ、性格も歪み、可愛がっていた黒猫を目を抉り取って最後には木に吊るして殺してしまう……。
 そこまで読んで、オレはかたかたと震えた。さぞかし真っ青になっていたことだろう。隣の真ちゃんがオレを揺すった。
「かずなり! 大丈夫か?! かずなり!」
「真ちゃん!」
 オレは真ちゃんにしがみつきえっえっと泣いた。
「すみません。たかおを医務室に連れて行きます。皆さんは授業の続きを」
 真ちゃんは立ち上がってそう言った。
「そ、そうですか……」
 と、だけ、教授は答えた。オレが泣き始めたのでびっくりしたらしい。オレ達は廊下に出た。そしてオレ達は階段の下に来る。
「し、真ちゃーん……」
「どうした? かずなり」
 そんな優しい声で呼ばないで。死んじゃいそうだよ……。
「猫が……猫が……」
「『黒猫』の話がそんなに怖かったのか?」
 オレはこくんと頷いた。
「そうか……悪かった。あんな講義に連れてくんじゃなかったのだよ。元・黒猫のお前にとっては怖かっただろうな……」
「うん……猫が殺されるところも怖かったけど、オレ、男が気が狂っていくところが怖かった」
「そうか……」
 真ちゃんはオレを抱き締めながら静かにオレの背中を叩いてくれた。まるでなだめるかのように。
 真ちゃんはこんなに優しい……。
 でも、ポーの『黒猫』の主人公のように、酒に溺れて変わっていってしまうんじゃないか――そんな馬鹿なことを考える。
 馬鹿なことだよね、真ちゃん……。
 オレがこんなこと考えているって知ったら、笑うよね。
「――もしかして、オレがあの男のように、お前の目を抉ったり、木に吊るしたりするんじゃないかと思ったのか?」
 真ちゃんにしてみれば、冗談半分に口にしたに違いない。でも、あ、また……。
 オレは発作が起こったようにぶるぶると震え出した。
「そう……なのか……?」
 真ちゃんはショックだったようだ。
「違うよ」
 そう言って笑いかけてあげたかった。優しかった男の話に真ちゃんのことを連想したなんて気付かせたくなかった。
 でも、もう遅い……。
「かずなり……あれはお話だ」
「でも……真ちゃん……」
「あれは昔の話だ。作り話なのだよ」
「でも、皆に語り継がれてる古典なんでしょ? ホラー小説にだって何らかの真実があるからそうなんでしょ?」
 それを聞いた真ちゃんは軽く舌打ちした。
「どこで聞いたんだ、そんなこと」
「本で読んだ」
「あまりいらん知識を吸収するな。かずなり。それに、オレはそんなことはしないのだよ――絶対に」
 真ちゃん……。
 昔、仲間の一人(一匹?)が言ってた。人間の「絶対」を宛てにしてはならないって。
 だけどオレ、真ちゃんを信じなかったら、誰を信じればいいんだろう……。猫獣人になってから、オレは真ちゃんを杖柱と頼んできた。
 オレはいつか言った。真ちゃんになら、裏切られても平気だ。それに――真ちゃんは信頼に値する人間だ。
 オレは、真ちゃんを愛してる。だから、平気だ。
 いつか、真ちゃんがオレを襲う化け物になったとしても――それが真ちゃんなら、オレは受け入れよう。
「真ちゃーん」
 オレはまた、真ちゃんの胸でむせび泣きをした。
「泣き虫だな。かずなり」
 真ちゃんが温かい大きな手でオレの頭を撫でながら言う。オレは、えっえっとしゃくり上げながら、
「ごめん……真ちゃ……涙が止まんな……」
「何も言うな、かずなり」
 オレは真ちゃん、真ちゃんと何回も繰り返す。まるで、それしか言えなくなったみたいに。真ちゃんのシャツがオレの涙で濡れた。
 めんどくさいって、思われなかったかな……。
 だが、真ちゃんは、
「あの講義は欠席する。お前とここにいるのだよ。かずなり」
 なんて嬉しいことを言ってくれる。オレは……真ちゃんに甘えていいのかな。
 この先どうなるかなんてわからないけど……真ちゃんは『黒猫』の主人公のようにはならないでね……。

「あれ? 緑間にたかお」
 青峰の声が聞こえた。オレの涙は止まろうとしていた。つまり、ちょっとは落ち着いてきたところだった。
「エスケープかぁ? やるじゃん」
「お前と一緒にするな、青峰。かずなりの具合が悪くなったのだよ」
「あのね、『黒猫』がね、優しかった男がね……」
 オレは一生懸命説明しようとした。
「あー、ポーの『黒猫』か。あれはオレも怖かった」
「青峰……読んだことあるのか?」
「マンガで見かけてついでに原作読んだんだよ」
「へぇー、知らなかった。青峰すごーい」
「ふふっ、もっと褒め称えてくれたっていいんだぜ。たかお」
「相手にするな、かずなり」
「んだよー。冷てぇじゃん。緑間」
「付き合う相手を選んでいるだけなのだよ」
「ふん……獣人といちゃついて……獣人嫌いだと宣言してたのはどこのどいつだったっけ?」
「にゃあ……青峰、真ちゃん、喧嘩しないで……」
「オレは獣人になる前から、かずなりのことが好きだったのだよ」
 ……え? それほんと? 真ちゃん。
「真ちゃん、それほんと? ねぇ、それほんと?」
「ああ。お前が猫だった時からお前のことは好きだったのだよ。ああ、変な意味じゃなくてな」
 ありがとう、真ちゃん。ありがとう。
「けっ、ばーかばかしい。――おい、たかお」
 青峰がラムネサンシャインのペットボトルを投げた。オレはそれを受け取った。
「それはお前にやる。オレのことをすごいと言ってくれた礼だ」
 青峰はスタスタと去っていく。かーっこいい!
「おい、かずなり。青峰に見惚れるのはやめろ」
「でも、かっこいいんだもん」
「まぁ、それでお前が元気になってくれたんなら、青峰の出現も悪いことばかりではないが――やっぱり妬いてしまうのだよ。青峰に」
 真ちゃんて、可愛いとこあるなぁ……。それに、真ちゃんはあまり酒は飲まないから、心配しなくてもいいんだろうな。やっぱり真ちゃんは『黒猫』の主人公とは違うもんね。
 それから、『黒猫』のテキストが終わるまで、真ちゃんはその講義を欠席し、オレのそばにいてくれた。

2017.4.11

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