すずめのしっぽ 9

「おい! どうした! 遥!」
 只事でないと悟ったらしい真雪が叫ぶ。んなの、俺が知りたいよ――。
 俺はずるっと床に倒れ――気を失ってしまった。

「大澤君、大澤君――」
「涼子――?」
「何言ってんの。私はなぎさよ。白鳥なぎさ」
「ああ――」
 なぎさか。そんな娘がいたっけな――。
「もしかして、もう忘れちゃったの? 私達の記憶、また飛んで行ってしまったの?」
「大丈夫――俺が幸田家に世話になって、アンタが来たところは覚えている……」
 そして、俺はかーっと寝てしまった。
 夢の続きに、桜井博士が現れた。もう顔もぼんやりとしか覚えてないけど。
「いいね? 大澤君」
「はい……」
 そうだ。これは人類の為の研究なんだって、言いくるめられたんだっけ。
「この手術をすれば、手術前のことは皆忘れてしまう。本当にそうなるかどうかは知らんが――まぁ、知り合いに会っても当たり障りのないことだけを話すことだね」
 そして、ウィィィィィンという機械音――。
 手の平にぱたりと滴が落ちた。それは俺の涙? それとも――。

「あ、気が付いたわね」
 なぎさ……。
「アンタ、ついていてくれたの?」
「そうよ。私がわかる?」
「うん、わかるよ――」
 俺は涙を流していた。どうしてこの娘を今まで忘れていたのだろう。俺の、初恋の人だったのに。
 ああ、でも、なぎさには真雪がいる。いいんだ。なぎさが真雪の恋人でも。俺達の友情は変わらない。
 なぎさが俺の頬に手を遣った。濡れるよ。アンタの手。俺の涙で――。
「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
 なぎさはティッシュを渡してくれた。俺は起き上がり、ずびび、と鼻をかんだ。
「大丈夫?」
「ん、あまり大丈夫ではない」
「――大丈夫のようね」
「よっ」
 モニターから真雪が足を出した。そして移動する。真雪はなぎさの部屋に来たのだった。
「俺の部屋より綺麗にしてんな。なぎさ」
「真雪君の部屋だってそんなに汚れてないわよ」
「ああ、だけど、器具が多いからな」
 これはSFなのかファンタジーなのか――俺が目を剥いていると。
「今までの大澤君はこんなことで驚かなかったわ。早く思い出して」
 そう言うと、なぎさは頬にキスをした。
 ああ、そういえば――昨日もなぎさにキスされたっけ。涼子が騒いでいたな。
 真雪は流石と言うべきか、腕を組んだままじっと見ていた。
 俺には欠けている記憶があるのはわかる。なぎさ達だったらわかるかもしれない。
「あのさぁ、なぎさ――」
 そこで、言葉がわだかまる。俺は何を言おうとしてたんだっけ。何をしようとしてたんだっけ。
 全てを思い出したら、俺はどうなるのだろう。
 俺はぼーっとしながらなぎさと、モニターから現れた真雪を見ていた。
「ダメだな。まだ」
 真雪が首を横に振った。
「もっと時間が経ったら思い出すわよ」
「だな。ただ――これは時間との戦いだから。桜井若葉にこいつを渡す為にはいかねんだ」
「それは宇宙警察官としてのお立場から?」
 なぎさの声には皮肉な響きが混じっていた。
「そう言うな。なぎさは元は俺の上司だ。アンタの方が何かわかってるんじゃないか?」
「でも、あそこはタイムパトロールよ。だいぶ違うわ」
「あ、あの……宇宙警察とかタイムパトロールとかって……」
 おずおずと俺は訊く。
「ああ、俺達、タイムパトロールから宇宙警察にヘッドハンティングされたの」
「左遷とも言うけれどもね」
「――いや、なぎさ。俺は進んでここに来た。遥に会いたかったからな」
「私もよ」
「ほら、覚えているか、高校の文化祭の時――」
「しっ、黙って」
 俺は、高校の時の記憶を持っていない。文化祭――それが楽しかったことだけはどうにか覚えている。でも、細部となると――。
「大澤君、戸惑ってるじゃない」
「――悪かった」
「なぁ、真雪。桜井博士は何か秘密を持ってるの?」
「そう! そうなんだよ! そして、お前は狙われているんだ!」
「でも、私達が護ってみせるわ!」
「桜井博士は俺の何を狙っているの? 俺、何にも持ってないよ。真雪だったらともかく」
「ん? 俺がどうかした?」
「パソコン?のモニターから現れたじゃないか」
「ああ、これ。誰にでもできると思うけど」
 俺が覚えている限りじゃこんな曲芸、誰もできない。
「とにかく、俺も幸田家に挨拶してくるかな。もう湊は帰ってる時間だろうし」
 おお、もうそんな時間か。涼子は大学だから帰りが遅くなるかもな。合コンとかに参加したりして……。面白く思えないのは何故だろうか。
 真雪が言った。
「涼子もあまり遅くならないうちに帰ってくるだろ。少しは遊んでくればよいのにな」
「真面目なのよ。両親が生きている間からそうだったらしいわ」
 なぎさが笑顔でふんわりと返す。涼子とは初対面に近いだろうに、何故かなぎさが涼子の姉に見えた。
「モテるのになぁ。……何で遥なんだろう」
 真雪のヤツが首を傾げた。
 ムッ。俺がどうかしたのか? 何か悪いことでもあるのか?
「涼子も趣味が悪いなぁ」
「――そういうことは本人の前では言わないもんだぞ」
「なーに言ってやがる。俺達はいっつもこんな話してたじゃねぇか。な、なぎさ」
「そうよねぇ」
 なぎさはけろっとして当然のような顔をして澄ましている。俺か? 俺が変なのか?
 まぁ、俺がこいつらと相当仲が良かったのは想像に難くない。俺は話にいまいちついていけないでいるが。
「なぎさ、真雪、俺は……」
「ああ、あとあと。お前がここに来たのも運命だと思うぜ。俺は。昔読んだ漫画にあったけどさ。――出会いには無駄なものなんて何一つないのさ」
 言ってることはわかるけど、どうしてそう言ったのか飲み込めない。真雪は何を言おうとしていなのかな。
「大澤君も宇宙からここ地球に還ってきたしね。神様が、送ってくれたのよ。あなたの故郷に。きっと。桜井若葉のことも何とかなるわ」
 桜井博士――俺はあの人の顔も覚えていない。俺が薄情なんだろうか……。
「腑に落ちないって顔、してるわね」
 なぎさの言葉に俺は不思議な気持ちで頷いた。
「取り敢えず、幸田家に行こう」
 真雪が髪を掻き上げる。真雪は男のくせに、たいていの美少女が裸足で逃げ出しそうな美貌の持ち主だ。
「俺も幸田家の様子は見てる。お前を託すのに充分な家だと、俺は思ってる」

2019.02.20

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