すずめのしっぽ 7

「桜井博士! そっちはどうですか?」
「いかん、火を噴いてる――!」
「こっちもダメです!」
「そうか――仕方ない、後は頼んだぞ!」
「桜井博士――!」

 ――トントントン。ノックの音で目を覚ました。
「……あ」
「遥、ご飯ができたわよ」
 涼子の声だ。相変わらず綺麗な声。
「はーい!」
 やっぱ一応布団は畳まないとな。
 でも、夢のせいで少しだけ、記憶が戻った。
 俺は、桜井博士に、捨てられたんだ――。

 俺は涼子と湊と朝の食卓を囲んだ。湊が言う。
「どうしたの? 遥。元気ねぇじゃん」
「……ちょっと、ヤなこと思い出してさ」
「ヤなこと?」
 湊がクロワッサンをちぎりながら訊く。
「もし話したくなかったら話さなくてもいいのよ。――それが忘れたいことならばね」
 涼子の優しさが心に沁みる。
 忘れたいこと……。
 桜井博士の記憶も、もうおぼろげだけど……。ところで、桜井博士って何の研究してた人だったっけ。桜井博士は確か俺に近しい人だったように思う。
 ここに来たのも、彼が原因か。
 まぁ、涼子と湊に会えたんだから、まるっきり災難という程でもないが。でも、捨てられた記憶が甦ってくるのは……何だか辛い、な。
「遥、牛乳飲む?」
「――いただきます」
 牛乳は好きだ。湊が牛乳を残している。
「湊、牛乳飲まんのか?」
「え、ああ……後で……」
「湊はちっとも牛乳飲まないのよ」
「好き嫌いはダメだぞ」
 こうしていると、何だか家族をやっていうような気がする。
 俺がお父さん、涼子がお母さん、湊が子供。
 それは――幸せだけど、何だか悲しい。
 涼子も湊も、俺をそっとしておいてくれた。それが何だか有り難かった。
 人の優しさが――こんなに嬉しいものだとは。
「このクロワッサン、美味しいですね」
「本当? ――実は私が作ったの」
「マジで? 涼子って何でも作れるんだな」
「コツさえ覚えれば遥も作れるわよ」
「あ、テレビつけていい?」
「いいわよ、湊」
 朝の情報番組だ。朝の番組もこの頃バラエティー化してきた。
「ねぇ、遥はどこの学校行ってたの?」
 もぐもぐとクロワッサンを咀嚼しながら、湊が尋ねる。
「湊、遥は学生時代のことは覚えていないのよ」
「だから、小学校さ」
 俺は覚えていた小学校の名を言った。
「むぐっ! その学校だったら俺も知ってる! 隣の県だよな! 確かドッジで有名だった!」
「ドッジかぁ……」
 俺はドッジといえば必ず狙われてた。俺も狙い返してたから、おあいこだな。俺はドッジは強かった。そんなに好きって程ではなかったにしろ。
「湊はドッジ好きなのか?」
「うん。大好き。イヤなヤツとかいると決まって強いボールぶつけんだよな」
「あんまり他人様に痛い思いをさせるんじゃないのよ」
 涼子の言うのも尤もだ。
「だって、そいつ、皆から嫌われてるんだもん」
「嫌われてるからっていじめちゃダメよ」
「どうして? 皆そいつを嫌ってるよ。性格悪いもん。だから、あいつ、いつも一人なんだ」
「男子かい?」
「女子」
「女子をいじめるたぁいけねぇなぁ。男子でもいけないけど」
「湊、あなたはその子に優しくしなくちゃダメよ」
「……はぁい」
 湊は腑に落ちないようだった。――どこでもあるんだなぁ。そういうのは。
 その女子は、きっとドッジが嫌いなんだろうな。ドッジの時間が来る度に憂鬱になったりして――と遥は考えた。
 でも、急にその子と仲良くしたら、かえってあらぬ噂を立てられたりしてさ――。今度は湊がいじめられたりして。
「湊。ドッジでその子を狙うのだけはやめといた方がいいと思うぞ。他は普段通りでいいからさ」
「わかったよ。遥」
 湊は頷いた後、小声で付け足した。
「ああいうの、ほんとはリンチみたいで気分悪かったんだ」
 ――小学生も大変だな。いや、中高生も大学生も、社会人だって大変だけどな。多分。
 俺は、最近の記憶がないから――。
「あ、そうそう。遥、お薬飲まないと。昨日忘れたから」
「涼子。俺、薬は飲まないよ」
「どうして?」
「俺は病気じゃないんだ」
 病気よりもっと厄介なものかしれない。
「でも、お薬の力で記憶が戻るかもしれないわよ」
「……じゃあ、飲む」
「私も口うるさく言いたくはないんだけどねぇ……本当は」
「姉ちゃんは口出し過ぎなんだよ」
「否定はしないわ。友達からは過保護って言われてるし」
 涼子は実に母親役にぴったりだ。子供はまだいないし、結婚もしていないけど、立派な母親だ。
 結婚……か。涼子だったら引く手数多だろうな。相手なんてよりどりみどりだろうし。
「姉ちゃん、今日は大学行く?」
「え、うん。午前中で帰ってくるから」
「またそれ~? 姉ちゃん、俺のことは心配いらないから」
「ああ、俺、この家のこと見てますよ。簡単な掃除くらいはやれるし、後片付けもできるし」
「そう? じゃあ、午後の講義も出ようかしら」
「そうしなよ」
 俺が勧めた。やっぱり勉学は大事だもんな。
「姉ちゃん、途中まで一緒に行こうぜ」
「そうね。ちょうど通り道だもんね」
 その時、チャイムが鳴った。――ピンポーン。
 ……嫌な予感がする。涼子が玄関に立った。俺もついていく。
「あら、白鳥さん」
 涼子が言った。なぎさの満面の笑顔を見て俺は思った。この人なら、桜井博士のことも知っているだろうか。もしかしたら――という俺の勘だけどさ。
 俺は、桜井博士は訳があって俺を見捨てたのだろうと、心のどこかで信じてもいた。

2018.01.18

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