すずめのしっぽ 4

「真雪……」
「そう。鈴村真雪くん――て言っても、覚えてないか」
 なぎさが言う。
「うん……」
 俺はそう答えるしかなかった。
「わかったわ。これでもう質問は終わりよ。――入ってきていいわ。涼子さん、湊くん」
 涼子さんが遠慮がちに扉の隙間を広げた。湊が頭を掻く。
「やー、どうもども」
「すみません。白鳥さん」
「あら、どうして涼子さんが謝るの?」
「だって――遥くんとあなたの話を立ち聞きしたりして」
「そう。でも、収穫はあったわ」
「え? 収穫?」
「まぁ、後はまた別の機会にね」
 そう言ってなぎさは俺のこめかみにキスをした。
「きゃあっ! 何してるのよあなた達っ!」
 そう叫んだのは涼子さん。
「涼子さん。大丈夫よ。遥くんはただの友達。彼氏はまた別にいるのよ。それじゃ」
 涼子さんはまだ口をぱくぱくさせていた。湊は「おやおや」と賢しげに言っていた。湊、お前まだ小学生だろ。それは小学生のしていい表情じゃない。まぁ、ませてるだけかもしれんが。
 でも、役得だったなぁ……。
「羨ましいな。遥」
 湊が言うので俺はでへっと笑った。
「ふんだ」
 涼子さんは台所に引っ込んでしまった。なぎさも帰ってしまうし。――涼子さんは潔癖なタイプだったのかな。所謂深窓のお嬢様っぽいところも無きにしも非ずだし。
 ――でも、なぎさって、あんな性格だったかな?
 ああ―、もう、記憶よ戻ってこーい! 高校時代の記憶だけでいいから。
「白鳥さんケーキ食べなかったな」
「そうだな」
「ケーキ嫌いなのかな」
「そんなことないよ」
 ――と口に出してから、俺は思った。俺はなんでそんなことを知っているんだ? なぎさの何がわかるんだ? ――と。
「じゃあ、何か用事があったんだね。大人の世界って複雑だな」
「えっらそーに」
 俺は湊の頭をこつんと叩いた。そういえば、こいつに似たヤツもいたような気がする。――真雪ってヤツかな? 俺のカンではどうもそんな感じがする。
「俺は何もわかんないガキだけどさ――姉ちゃんが怒っていることはわかるぜ」
 そういえば、乱暴にがっちゃがっちゃと皿を洗う音が聞こえる。
「いつもはもっと静かだもんな」
「そうなんだ……」
 涼子さん……恋ではないかもしれないけど、俺、アンタが好きだよ。湊のことも好きだよ。
 白鳥なぎさは特別さ。きっとただの幼馴染みたいなもんだろう。――彼女のことすっかり忘れてたけど。嫌いではないけど、今は特に好きでもない。
 誤解されたままじゃ、困るな。
 俺は台所に行った。
「涼子さん――俺、なぎさのことについてはあまり記憶がないんだ」
「記憶がなくても、あんなに仲良く付き合えるのね」
「仕様がないだろう。ぞんざいに扱えとでも言うのか?」
「別にそんなこと言ってないでしょう」
 涼子さんがこっちを見た。ざぁぁぁぁと水音のしてる中、涼子さんの顔はどこか悲しげだった。
「わー、痴話げんかだー」
 いつの間にか湊も来ていた。
「違うわよ、湊! 馬鹿ね」
「水、止めたら? 勿体ない」
「そ――そうね」
 涼子さんは蛇口を締めた。
「遥。姉ちゃんこれでもモテんだ。でも、フリーだからモノにするなら今のうちだよ」
「湊!」
「わーい、姉ちゃんが怒ったー!」
「もう……湊ってば」
 涼子さんはくすっと笑った。湊のヤツ、ただの空気読めないヤツかと思ったらどうしてどうして。
「涼子さんも大変ですね。湊みたいな弟を持って」
「そうなのよ。優しくないわけじゃないんだけどねぇ……」
「じゃあ、湊が言い過ぎた時は俺が注意してやりますよ」
「お願いね」
 涼子さんが本来の笑顔に戻った。
「あのさ、涼子さん――」
「ん?」
「その――ごめん」
「何で謝るの? ――って、それはさっきの白鳥さんの台詞ね」
「俺へのこめかみへのキス――あれはなぎさの悪ふざけだと思うんだ」
「うん、私もそう思う」
「じゃあ、何で怒ってんの?」
「そうね――何でかしら」
 もしかして俺に恋――とか?
 でも、それが訊けない。俺は湊みたいにはなれない。
 うーむ、もしかして湊って、かなりの大物なのかもしれないぞ。学校でのあいつのことはわからないが。
「遥くん、湊と仲良くしてくれてありがとう。湊にはお兄ちゃんがいなかったから、兄ができたみたいで嬉しいのよ」
 そうか――涼子さんにとって俺は湊の兄代わりか。何となく寂寞の思いに駆られた。
 まぁ、焦らない焦らない。それに、涼子さんには他にいい男が現れるかもしれないし。
「手伝いますよ」
「でも……」
「記憶喪失とは関係ないでしょう。皿洗いを手伝うことぐらい」
「そう、じゃあ、もう食器は洗い終わったから拭いてくれる?」
「わかった」
 俺達はいろんな話をしながら食器を拭いた。けれど、なぎさのことは話題に出さなかった。
「あのね、遥くん。もしよかったら、好きなだけいてもいいわよ」
「だけど、食い扶持が増えると思うぜ」
「でもね――私達お金持ちなの。両親の遺産がたくさんあるから。でも、お金なんかいらないから、お父さんやお母さんと暮らしたかった――ごめんね、こんな話」
「いやいや」
 何だか俺達は謝ってばかりいるような気がする。気を使ってんのかな。――そうかも。それにしても、両親のいなくなった涼子さんは何だか可哀想で……。
 湊? あいつは逞しいから一人でも生きるだろう。ふと、デジャヴを覚えた。
「どうしたの?」
「いや、湊に似たヤツがいたかもなーと思って」
「それはいるかもね。結構いそうなタイプでしょ?」
「クラスに一人はな。そんで結構人気者だったり」
「ええ、でも……湊は弱音を吐けないから可哀想なの」
「男は弱音を吐かないもんだよ。――湊にはそれがわかってんだ」
「私のせいかしら」
「そうかも。涼子さんは女だから」
「私を守ってくれてるのね」
「そう。でも、気にしなくていいよ。これからは俺が守るから」
 するっと出た言葉に俺は驚いた。うわー、こっぱずかしー。俺は口元を押さえた。涼子さんがとびっきりの笑顔で言った。ありがとう!――と。

2018.11.13

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