すずめのしっぽ 3

「どう? 美味しいかしら」
 涼子さんが訊く。
「ええ。超旨いです」
「ほんとー。嬉しい」
 涼子さんは笑顔になった。美人に笑顔はよく似合う。そういえば彼女の弟の湊も整った顔してるよな。髪型はすずめのしっぽだけど。
 そして俺。
 俺も顔立ちはまぁまぁだと思う。青いメッシュが人目を引くかな。でも、この青メッシュ、自分で入れたのか生まれつきのものなのかいまいちわからん。
 ピンポーン。――ドアのチャイムが鳴った。
「はぁい」
 涼子さんがパタパタと駆けて行く。何となく気になって俺と湊も玄関について行く。
 そこにいたのは黒いロングヘアーをひっつめにした美女だった。
 誰だろ? あれ? どっかで見たような――。あ、思い出した。さっきすれ違った女性だ。こういうことは思い出せるらしい。
 でも、その前にも見たことあるような――。
「こんにちは。白鳥なぎさと言います」
 白鳥なぎさ――やっぱり聞いたことが……。
「うっ!」
 俺は一瞬くらりとした。立ちくらみか。俺は手で顔を押さえた。
「大丈夫か? 遥」
 湊は心配そうに言う。俺はだいじょぶだいじょぶと身振りで答えた。
 湊も優しいな……。
「白鳥さん、俺、幸田湊ってんだ」
「湊の姉の幸田涼子です」
「で、隣にいるのが――」
「大澤遥です」
 俺は答えた。大丈夫。俺は平気。ただちょっとめまいがしただけで……。
「で、白鳥さんでしたか? 今日はどんなご用件で?」
 と、涼子さん。白鳥さんはただのセールスマンではなさそうだ。セールスマンそれ自体でもなさそうだ。
「今度近所に引っ越すことになりました。お近づきのしるしにタルトでも。美味しいんですよ」
「まぁ、わざわざ」
「引っ越しソバでも良かったんでしょうけれどねぇ」
 涼子さんと白鳥さんが和やかに話す。
「俺達ケーキ食ってたんだよな。甘いものが続くな」
「湊……!」
 湊は悪いヤツじゃないが、案外余計な一言が多い。
「白鳥さんもケーキ食べていきなよ。タルトのお礼にさ」
「湊くん、ありがとう。それでは、お邪魔します」
 白鳥さんが靴を脱ぐ。うーん、綺麗な人はそれだけで絵になるなぁ。
 つか、俺、この頃美人に縁なくね?
「こっちこっちー」
 湊が白鳥さんの手を引く。いいなぁ。湊のああいう無邪気なところ。見習いたいぜ。
 涼子さんがタルトを冷蔵庫にしまい込む。白鳥さんが言った。
「本当はここに引っ越すのはもうちょっと後なんですけどね」
 まだ引っ越してないのに引っ越しソバ……じゃなかった、引っ越しタルトは変だな。タルトが変なのではなく。この人、それを俺達に近付く口実に使ったんじゃねぇのか? 引っ越しの挨拶にしては早いと思う。何で白鳥さんのことをそう不審に思うのか、自分でもわからないが。俺は自分が記憶喪失だから警戒しているのかもしれない。
 白鳥さんがこちらの方をじっと見てる。
「ん? どうしました?」
「――まだ、思い出せませんか?」
 俺のこと?
「さっきすれ違いましたよね」
「そうじゃなくて……」
「何のお話?」
 涼子さんが割って入る。
「ああ。大澤さんの話です。私達、高校同じだったんですよ」
「えっ……?」
 それじゃ、白鳥さんの目当てはやっぱり俺? 高校の同級生ならそんなに悪い人ではないだろう。やぁ、弱ったなぁ……と言いつつ、ほんとは少しも弱ってないんだけど。
「遥くん、口元がだらしない」
「え……?」
 涼子さんに指摘されて、慌てて顔を引き締めた。
「遥くん――大澤さんは高校の辺りの記憶はないと言ってましたが……」
「いや、完全にないんじゃない。ただ、あやふやなんだよ」
 俺は訂正した。
「白鳥さんがお知り合いだったら、これほど心強いことはありません」
 うん、まぁ、そうだな。
「そういえば、大澤さんは、高校に可愛い娘がいるような気がしたと言ってました。多分あなたのことではないでしょうか」
「光栄ですわ」
 白鳥さんは、はんなりと笑った。
 彼女は俺の記憶に関係があるのではないだろうか。
「大澤くんも随分失礼よね。私達のことを忘れるなんて」
「す……すみません」
 俺は頭を下げた。白鳥さんみたいな美人を忘れるなんて、確かにどうかしてる。そういえば、白鳥さんはさっきこう言った。「まだ、思い出せませんか」って――。それが高校の頃のことを指しているのだとすると、彼女は俺の記憶喪失のことを前もって知ってた? いや、普通に、俺の様子で思い出せていないようだと思ったというのもあるだろうけど。
 まぁ、とにかく白鳥さんはすげぇ美人だから、大抵なら覚えている……はず。ということは、やはり俺の身に何かあったんだ――。俺は、白鳥さんの次の台詞で現実に引き戻された。
「真雪くんも心配してたわよ」
「真雪……」
「変な名前だな」
「み、湊……ダメでしょ。そんなこと言っちゃ」
 涼子さんが弟を窘める。
「遥だってさ、女みてぇな名前じゃん。遥の周りには変な名前のヤツらが多いんじゃ――うぷ!」
「ほほほ。私達、ちょっとあっちに行ってますわね」
 涼子さんは湊の口元を押さえながら部屋を出て行った。
 気が付くと、白鳥さんと二人きり。
 そういえば、白鳥さんて彼氏いなかったっけ。つか、どうしてそんなこと思うんだろう。記憶が戻ったかな? 白鳥さんくらい美しければ彼氏も当然いるだろうけど――。
 そんなことはどうでも良かった。この人は昔の俺を知ってるんだ!
「白鳥さん!」
「なぎさでいいわ。昔の大澤くんも『なぎさ』って呼んでたし」
「じゃあ――なぎさ」
 どうも慣れねぇなぁ、こういう感覚。
「昔の俺はどんなだった?」
「うーん。今とあまり変わってないわね」
「そ……そか」
 俺はほっとした。
「でも、あなたは重大な秘密を背負っているのよ」
「重大な秘密って?」
 俺はごくりと生唾を飲んだ。するとなぎさは、
「今は教えない」
 と、のたまった。
「何だよそれー。言う為にわざわざ来たんじゃないのかよー」
「真雪くんはね、今はまだ言わない方がいいんじゃないかと考えていると思うの。勿論、私も同じ考えよ」
「真雪って、何か心の中に引っかかるんだよな。その名前」
「今は私の上司よ。出世したの」
「へー、偉いんだ」
「真雪くんも大澤くんには褒めてもらいたいと思うんだけどな。ほら、彼、大澤くんを頼りにしてたし。――と、あの頃の記憶がないんだっけ。大澤くんには」

2018.10.24

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