すずめのしっぽ 21

「――私を泳がせる必要はない。全部このUSBメモリに全部書いてある」
 桜井博士が真雪にUSBメモリを渡した。
「私はどう転んでも長くない命だ――遥、こんなことに巻き込んでしまって君には済まないと思っている」
「桜井博士……」
「じゃ、お邪魔しました」
 そう言い残して桜井博士は帰って行った。
「おい、なぎさ。風見のじいさんのところへ行くぞ」
「今から? 大澤君はどうするの?」
「遥も連れて行く。そういう訳だから、湊と涼子はここにいてくれないか?」
 真雪の言葉に湊はしかつめらしい顔で頷いた。
「聡、悪い。また時間を見つけて話そう」
「そうだね。忙しい時以外ならいつでも付き合うよ。僕はもう少しこの家にいてもいいかな」
 聡さん――いや、聡が優しく笑う。
「おう。好きなだけここにいていいぞ」
 湊が請け合う。涼子も同意見らしかった。

 俺達は風見さんの店『Long time』に来た。
 真雪は風見さんにデータの分析を頼んだ。
 時間がやけに長く感じられた。実際はそんなに経っていなかっただろう。
「真雪……」
「どうした? 憔悴して――この短時間で十は老けたみたいだぞ」
 真雪は風見さんに対して失礼なことを言う。
「取り敢えず紅茶でも飲んで落ち着いたら?」
 なぎさが提案する。
「すまない。ちょっと動転してたもんで」
 風見さんは紅茶で唇を湿した。
「――この世界はもうすぐ終わる」
「ふうん。終末論か。ノストラダムスの大予言なんてものが昔あったな。外れたけど」
 と、真雪。そういえばそんなものもあったかな。
「今回はそれを上回る。畜生! 星間戦争の方がまだしもだ。桜井若葉が絶望したのもわかるな」
 桜井博士が、絶望……?
「どういうデータなんですか?」
「つまり、何もかもなくなってしまうんだ。俺達の住んでいる地球も、銀河も、宇宙ごと」
「それはどういう……」
 俺はごくんと息を飲んだ。
「『全てがFになる』という本が昔流行っただろう。私は読んでないが。そのタイトルをもじるとすると――全てが点になる。存在自体が点になる。神様がいようがいまいが関係なくだ」
「風見さんは神様を信じてないの?」
「信心はあるさ。人並みにはな。でも、こうなってくると――」
 風見さんがふうっと溜息を吐いた。
「遥、収縮する宇宙の話は知っているか?」
「え? え?」
「そうか――今の遥に話しても無駄だったな。つまり、宇宙が収縮して最終的には点になるというものだ」
 しん、と沈黙が下りた。風見さんが口を開いた。
「桜井若葉はきっとその事実を知って絶望したんだな。足掻いて足掻いて、力の限り――そして、このデータを私達に残してくれた」
 桜井博士――。
 きっと辛かったことだろう。桜井博士が泣いているところが目に浮かぶようだった。桜井博士は力を尽くして――それでも力が及ばなくて。嗚呼、やっぱり桜井博士は悪い人ではなかったのだ。
 俺達は託されたのだ。桜井博士の志を。
「桜井……」
 風見さんはぽろぽろと涙を流した。俺はいまいち感情移入できないが、それでも何かしなきゃいけないのはわかっていた。
 存在自体が点になるのだ。俺らの意志とは関係なく――。
 それなのに人間は今日も生き、歩き、呼吸し、遊びの計画を立てたり仕事をしたりしている。
 風見さんは真雪に何事か囁いている。真雪が時々頷く。
「なぁ、遥、力を貸してくれないか?」
「――うん」
 真雪の言葉に俺は頷く。桜井博士のこともある。俺は皆にめいっぱい迷惑をかけたに違いない。罪滅ぼし――というんでもないけど。
「桜井若葉もがんばったんだ。私達もがんばろうと思う」
 風見さんが力強く言った。風見さんはどちらかというと美男子という訳ではないが、今だけはかっこよく映った。
「タイムパトロールの力も欲しい。頼めるか? 真雪」
「あたぼうよ。あそこには俺の部下がいっぱいいるんだぜ!」

 そして――いろんなことが急にバタバタと決まった。
 いや、俺が動かないだけで、皆は慌ただしく働いている。俺は少しずつ記憶を取り戻しつつある。
 それから、桜井博士が死んだ。
 新聞に載っていたのだ。――都内のアパートで死体が見つかったと。少しは苦しまずに死ねただろうか。病院にいても良かったのに――。
 幸田家の肝煎りで桜井若葉の葬式が行われた。
 幸田家はこの日本ではかなり発言力を持っているらしく、風見さんは湊のところに厄介になっている俺に対して、
「偶然てないんだな。幸田家のような力は私も欲していたところだ」
 と言っていた。だって、風見さんは表向きはただのアンティーク・ショップの店主だからね。
 風見さんは日本も動かそうとしているのだ。
 全てが点になるのなら足掻いても無駄なのではないのか。俺もそう思った。
 だけど――桜井博士は最後まで諦めなかったらしい。存在に対する感謝全てをかけて俺達が点になるのを防ごうとしていたのだ。
 点になった宇宙はどうなるのだろう――。
 また爆発して点から宇宙が生まれるのだ。――風見さんはそう言っていた。
 しかし、取り敢えずこの世界をどうにかしないと。
 今までの俺だったら、宇宙がまた始まるんだったらそのまま坐して世界が滅亡するのも仕方がないんじゃないかと考えていたかもしれない。
 でも、今は足掻いてみるのも一興かと思う。俺達は伊達と酔狂で生きているのだ。
 それに、約束したのだ。涼子を守ると。
 涼子――約束は守るよ。
 これは、皆に協力してもらわないといけないのだ。特に科学者連中に。
 多次元宇宙の研究も有効だと思う。この宇宙の終わりが来た時、別の次元に飛べるように。
 俺達は風見さんと連絡を密に取り合っている。俺も何か役に立つことがあればいいのだが宇宙の滅亡という未来の前には俺の力などたかが知れてるんじゃないかと思うこともある。……いかん、悲観的になってしまった。
 しかし、鍵は俺が握っているらしい。――今でもだ。
 俺は桜井博士の第一の助手だから。
 問題はいっぱいある。でも、ひとつひとつ解決していこう。でなかったら、何の為に生まれてきたかわからないから。

「ん……遥、まだ起きてたのか」
 湊が眠い目を擦っている。俺には時間がないのだ。桜井博士の遺志を引き継いだのだから。今、俺はパソコンに向かっている。
「少しは寝ろよ。根詰めないで。宇宙が点になると言っても、今日明日の話じゃないんだから」
 湊の今の台詞、俺には宇宙が『天』になると聴こえた。
 そうか――宇宙は点になると同時に天になるのかもしれない。
 堺牧師なら何て言うかな――後で聞いてみよう。
「俺、寝る」
 幸田家には沢山人が訪れるようになった。俺と聡は同じ部屋に起居することになった。
 夜になると飲んで騒いでこいつらに世界が――いや、宇宙が救えるのかと疑問に思ったことがある。
 けれど、俺は信じたい。人類の力を。
 見ててください。桜井博士――。
 タイムパトロールの活躍だとか、真雪の働きとか、堺牧師の説教とか、書きたいことは山程あるけど、この話はここで一旦区切らせてもらう。全部書いていたらとてもとても大変だからだ。
 この話が終わっても俺達の人生は続いて行く。続かせるよう努力する。
 そして、俺達の日常も続いて行く。
 ――この俺の命が尽きるまで。この宇宙が点になる日まで精一杯足掻こう。

2019.09.04

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